第36話 全了戦 後始末とその後
「どうやら終わったようね。戦場に向かうわよ。」
そう言うなり傭兵組合長・イグトーナは見物していた台の上から軽やかに飛び降りた。2名の随行員も彼女の後を追った。
慌てたのは集められた新人傭兵達だった。
イグトーナの真似をして飛び降りる者、台の端を掴んで高さをなくして飛び降りた者、急いで階段まで向かう者。
距離が開かないように急いで彼女の元へ向かう彼らに最初の試練が待ち構えていることなど誰1人予想していなかった。
イグトーナらが【繋ぎ手】の後方部隊に着くと、忙しなく動いている者、地面に座り込んでいる者、負傷した者を手当てしている者に談笑している者といるが、雰囲気は落ち着いていた。
その様子を見たイグトーナは近くのいた【繋ぎ手】の団員にゼイクが何処にいるのかを尋ね、教えて貰った方向に行こうとすると、女性団員から心配そうな声を掛けられた。
「あの、組合長。彼らは大丈夫ですか・・・?」
「ん?」
イグトーナは女性団員が指さした方に振り向くと新人傭兵が口元を押さえ、必死に何かに耐えていたり、青い顔してぐったりしていたり、青い顔から白に変化して今にも死にそうなになっていたりと地獄と化していた。
「あぁ、彼らは新人なのよ。全了戦の観戦とその後始末を頼んだのよ。」
「あぁ、なるほど。死体を見るのも初めてのヒトもいるんでしょうね。というか、殆どか。あの様子を見る限りじゃ。」
「そうね。それじゃ、ゼイクの居所を教えてありがとう。」
「いえいえ、それでは。」
ペコリと頭を下げて、その女性団員は何処かへ走って行った。そして、イグトーナは後ろに向き直すと、腰に手を当てて、そっぽを向きながらため息を吐いた。
「はぁ~・・・。貴方達、ここで休んでて良いから。私達が戻ってきたら、死体を集めて燃やすわよ。綺麗な武器やその他もろもろも取り忘れないようにね。それじゃ、また後で。」
慈悲のないイグトーナの言葉に全員がその場で項垂れた。
後方部隊が治療を行っている場所から少し離れた場所でゼイク等4人とエルドとサイファが固まっていた。
ゼイクは外傷は見当たらないものの、仰向けで寝ており、カルセルアとニグロがゼイクを挟んで座っている。
ヴァーチはエルドの側に座って何事かを言っている。話しかけられているエルドはじっと聞き入っており、サイファはエルドの後ろで寝そべっていた。
「満身創痍と言ったところかしら?【繋ぎ手】の皆さん?」
声がした方にゼイク以外の面々が顔を向けるとイグトーナが直ぐそこまで来ていた。エルドだけはなぜ試験官さんが?と不思議な顔をしていた。
イグトーナが来たことでニグロがゆっくりとだが立ち上がり、少し脚を引きずりながらイグトーナへと近付いた。
「全了戦は貴方達の勝利ね。文字通り、全滅させたわけだけど。受け渡しは規定通り全てを終えてからになるわよ。」
「分かっている。くみ・・・。」
イグトーナはニグロが組合長と言いそうになるのを人差し指をニグロの唇に当てて黙らせた。そして、ニグロに近付いて、小声でお願いをした。
「あそこの少年に私が組合長だってバレたくないの。お願い、何も聞かずに組合長と呼ばないでくれないかしら?」
イグトーナは艶っぽく囁いて、ウィンクまでしてみせた。
ニグロはそこまでした彼女のお願いを断ることが出来ず、頬を赤くさせながらも頷いた。
「こちらも無傷とは言えない。受け渡しが可能になったら拠点に誰か使いを出してくれないか?」
「そうみたいね。団長さんはお眠り中みたいだし、貴方も参謀さんも向こうのお客人も負傷してるし・・・。いいでしょう。全ての始末が済んだら、使いを出すわ。」
「すまない。」
「いいのよ、気にしないで。それじゃ。」
頭を下げたニグロに手を振って、その場を後にしたイグトーナはエルド達の方へと進んでいった。
ヴァーチが楽しそうに何かを言っているようだが、エルドは辟易した様子で聞いているようだった。
「傷を負わされた割には元気そうにしてるわね、【繋ぎ手】のお客人?それとエルド君も。」
2人は声が聞こえた方に顔向け、サイファは片眼だけ開けて姿を確認した。座り込んでいたヴァーチは立ち上がってイグトーナに近付いて軽い挨拶を交わそうとした。
「よう、くみ・・・。」
「ここは名前で呼んで頂けるかしら。お客人?」
手で口を押さえられ、有無を言わせない笑顔でそう頼むイグトーナに逆らわないようにした方が良いと察したヴァーチは一も二もなく頷いた。
エルドはヴァーチの後ろにおり、彼らのやり取りは見えなかった。
「んで、イグトーナは何のようで来たんだ?」
挨拶を中断されたヴァーチは用件を聞くことにした。イグトーナは先程やり取りしたニグロと同じように繰り返した。
「なるほどな。用件は分かった。腕の傷の回復にも時間がいるしな。丁度良い。」
「そう、それなら良かったわ。」
「試験官さんはイグトーナさんと仰るんですね。名前ぐらい教えてくれれば良かったのに。」
エルドの口調は4人とサイファの元へ戻ったときには普段の丁寧なものになっていた。そして、傭兵組合に加入したときに試験官をした女性の名前をここで初めて知ることが出来た。ついでにとエルドはイグトーナに何故こんな場所にいるのかと問い質すと、イグトーナはうんざりしながらも繰り返すのだった。
そして、イグトーナはエルドに本来の用件を切り出した。
「エルド君、全了戦の最後がどういうことをするのか・・・。興味ない?」
「何か特別なことでも行うのですか?」
「そうね、こういう機会でもないと体験できない事かしら。それで・・・、どうする?」
エルドは少し逡巡した後、頷いた。それを見たイグトーナは微笑みを浮かべて―内心は悪い顔をしているが―エルドに手伝いをお願いした。
(こんな事になるんなら、頷いたりするんじゃなかったな。はぁ、面倒くさい。)
イグトーナがエルドに手伝わせたのは全了戦で生み出された遺体とその装備の回収だった。エルドはただ、面倒にしか思っていなかったが、他の新人達は違った。
無表情で回収を行っていた。最早、幽霊のようにと言ってもいい。
最初は吐きながらも行っていた。初めて見るヒトの死に様に動揺し、悲鳴を上げる者や泣き出す者まで出た。
しかし、イグトーナの監督下の元では、泣こうが叫ぼうが強制的に行わされた。そして、次第に慣れてきたのか、集められた全員が動けるようにはなった。ただし、眼に光を宿さずに。
幽霊のようならまだいい。変な笑い声を上げたり、ブツブツと何かを言ったりと様々な拒絶反応とでも言おうか、そういう者が回収を粛々と行っていた。
全ての後始末が終わったのは平原が茜色に染まった後だった。
「さて、終わったようね。皆、ご苦労様。これから最後の仕上げよ。」
全てを終えた新人達は皆一様に地面の上で仰向けになっていた。息も絶え絶えといった様子だ。
そんな中でも立っているのはエルドだけだ。それはイグトーナも予想通りだったようで、寝ている新人達に起きるように、エルドには隣に来るように言った。
エルドが隣に来るとイグトーナは胸の間から1つの小瓶を取り出した。エルドは胡乱げな目を向けるが、イグトーナはウィンクで返した。
エルドはイグトーナのウィンクを無視してその小瓶について尋ねた。
「これはね、“聖導油”という油なの。」
「何か特別な効果でもあるのですか?ただの液体にしか見えませんが・・・。」
「これはね、教会で作られている油なの。製法は明かされていないわ。そして、死者を弔うための油。そして、恨みを残さぬように導くための油なの。」
「恨みを残さないため?導く?」
エルドは頭に疑問符が並んでいる。効果を聞いてもイマイチわからないからだ。その様子を苦笑しながら、イグトーナは続けた。
「どんな戦いでも命が無くなる戦いは色んな思いが渦巻くわ。悲しみ、怒り、苦しみ、恨み。戦いに勝った者だけの喜びだけでは済まないのが戦い。その負の気持ちとでも言うべきものは時に悪しき者を呼び寄せる呼び水となり得る。」
エルドは黙ってイグトーナの話を聞いていく。
夕日が徐々に地平線に沈み、夜が側まで近寄っていた。
イグトーナは積み上げられた死体の山に近付いていく。
「だから、その負の気持ちを浄化するために燃やす。その全てを。死んだ者を悪しき者に堕とさないために。そして、その手助けをするための油なの。だから、これは“聖なる導きを示す指針”。全てを飲み込み、逃さず離さない。」
イグトーナは聖導油の全てを振りかけた。そして、その手には小さな、小石のような火が浮いていた。
「逝きなさい。ここに留まらないように。そして、燃えなさい。その全てを。」
燃える山が暗い群青の中で煌々と周りに居る者の顔を照らしている。
一筋の煙が空へと昇っていった。
全了戦から4日後。
傭兵組合から【繋ぎ手】の拠点に連絡があった。団員からその旨を聞いたダリカはカルセルアとニグロを引き連れ、傭兵組合へと向かった。
傭兵組合に着くと、受付嬢から組合長室まで通された。イグトーナは書類に目を通していたのを中断し、ソファへと座ると3人にも座るように促し、案内した受付嬢に手配した物を持ってくるように言い、3人に顔を向けた。
「さぁ、それじゃ、聞かせて貰おうかしら。」
ゼイクが頷くと、全了戦の顛末を語り出した。最初の攻防、打って出たときの状況、ダリカがイムニトを狙った理由、自分が分かる範囲を覚えている限り伝え、ヴァーチとダリカとの戦闘はニグロが補足し、ダリカを討ったのはエルドだということも伝えた。
それらを聞き、イグトーナは数分間、考え込んだ。それから、ニグロに対して質問をする。主にエルドとダリカの戦闘について。
「それでエルド君がダリカと話して激昂して、何かのスキルを発動させたのね?」
「あぁ。少し離れていたので全部は聞き取れなかったが、たしかマモンがどうとか言っていたような気がする。こちらもゼイクとヴァーチさんの治療に掛かりっきりだったし、何よりエルドがダリカに向かう前に感じた言いようのない圧迫感を感じて動揺していたからな。正確な言葉は分からない。」
イグトーナはまた考え込んだ。マモンという言葉に聞き覚えでもあったのか、必死に思い出そうとしていた。だが、扉をノックする音が聞こえ、思考を中断させられる。
入室を促すと4人の受付嬢が木箱と1本の剣をテーブルの上に置いて退室した。
イグトーナは木箱の中身を説明した。全了戦が終わり翌日から参加した傭兵団と傭兵達、それと【笑い猫】が所持していた財産の全てをかき集め、金貨に変えた。
その枚数、2000枚強。
イグトーナは木箱を開けて見せ、3人はそれを見て頷いた。剣はゼイクが受け取り斜めにして後ろの腰に佩き、ニグロが木箱を担ぎ上げた。
用は終わったとばかりに3人が立ち上がり組合長室を後にしようとするとイグトーナがゼイクに尋ねた。
「本当に持って行くのね、その剣。いいの?貴方にとっては良いものじゃないと思うけど?」
「いいんだ。この剣は俺にとって戒めなんだ。それに形見でもある。同じ場所で育ったよしみだ。誰かが覚えておいてやらねぇとな。」
「そう、なら私から言うことは何も無いわ。」
ゼイクはイグトーナに振り向くことなく、片手をぶらぶらと揺らして部屋を出て行った。イグトーナはその後ろ姿を微笑んで見送っていた。
ゼイク等が報酬を受け取ってから3日後。
エルドは【繋ぎ手】の拠点に呼び出されていた。用件は全了戦での報酬の受け取りだ。
事前の話し合いのときに、報酬の配分の事になるとエルドは最初、固辞していたが、報酬を受け取らないと参加させないとまで言われ、渋々了承した。
しかし、その割合については口を出した。当初、【繋ぎ手】とエルドの半々だったのをヴァーチが【繋ぎ手】の客人扱いということを指摘して、3等分に。報酬の金額が多大だった場合は、半分を【繋ぎ手】に、残った半分をヴァーチと自分で等分する
話し合いの時に訪れた部屋に案内され、テーブルの上には一杯に詰められた革袋が5個置かれていた。
入室したエルドを見るとゼイクが片手を上げ、カルセルアは笑顔で、ニグロは腕を組んで無言で挨拶した。
「よう、エルド。わざわざ来て貰ってすまねぇな。」
「いえいえ。報酬の件と伺ったのですが?」
「そうだ。テーブルの上の奴がお前の取り分だ。金貨500枚。まぁ、結構な金額になったもんだ。」
「驚きました。こんなにも大金になるとは・・・。」
「にしても、お前はいつでもそのローブ着てんのな。物は良さそう見えるが。」
「そうですね、師匠からの貰い物で・・・。」
報酬の受け渡しを終えると世間話に花を咲かせる4人。全了戦を勝利で収め、1度はいえ、供に戦った者同士、気安く話せるぐらいの仲にはなっているのだった。
そして、話が一段落すると、エルドはその場から立ち去っていった。
「ゼイク、ヴァーチさんのあの話、しなくて良かったのか?」
カルセルアがゼイクに問いかけると、ゼイクは肩を軽く持ち上げて答えた。
「あぁ、俺達が言う話でもないし。本人が直接言いたいだろ。」
「そうか・・・。まぁ、寂しくなるな。」
「頼りになるけど、騒がしいヒトだからなぁ~。」
【繋ぎ手】の拠点から立ち去ったエルドはイムニト商会へと向かった。
商会の中は今、大急ぎで復旧工事と作業を同時に行っていた。襲撃時に破壊された商品や棚、床、壁をミースロースの職人が片付け、作り直している。商会職員たちはこれを機に新しい陳列を考え、それを大工職人と話し合っていた。
エルドはその作業を見守りつつ、商会の奥にある入口からイムニト邸へと入っていった。
身体をローブで隠しているエルドに職人達から問い詰められる事が何度かあったが、職員達と念のため護衛として詰めている【繋ぎ手】の団員達との取りなしやエルドの丁寧な対応もあって、今や素通りで行き来出来るようになっていた。
イムニト邸にエルドが入ると、脚に軽い衝撃が走る。ラザックとサーヒがしがみついてきたのだ。
「おかえり!エルド兄ちゃん!用事は終わったの?」
「おかえりなさい!エルドお兄ちゃん!」
「はい、ただいま戻りました。ラザック君、用件は無事に終わりましたよ。それでお父さんはどこにいますか?」
「お父さんはお母さんに怒られてるよ!また、商会のほうにこっそり行こうとしてバレたみたい!」
「あぁ、それは怒られても仕方がないですね。」
イムニトは全了戦が終わった2日後に目を覚ました。
目を覚ましたイムニトに子供らは泣きながら抱きつき、トーラは泣き崩れた。
それから、数日は治療院で経過観察のために泊まることになり、昨日から自宅へと戻ってきたのだ。
イムニトが目覚めたことを聞いて駆けつけた職員達との相談の結果。商会を改装すると決まったのだが、自宅療養に移ったイムニトがトーラの目を盗んでは現場に脚を向け、居間にある背もたれは斜めになったベッドに連れ戻されては怒られることを繰り返していた。
職員達からは事ある毎に経過報告をされているのだが、我慢ができないのであろう。
今もまた、侵入して怒られているイムニトの側へと近付くと、いち早く気付いたイムニトがエルドに「おかえり」と声を掛けた。
「ただいま戻りました。イムニトさん、また怒られていますね。いけませんよ、まだ安静にしてないといけないのでしょう?」
「そうなのよ!!エルド君もキツく言ってやって頂戴!!このヒトったらまた現場に行ってあれやこれや口出しして仕事してたんだからっ!!」
「そうは言ってもね、トーラ。あの工事の音が私を呼んでるんだよ。行かないわけにはいかないだろ?それにベッドで一日中じっとしていると苦痛で。」
「ダ・メ・で・すっ!!治療院の先生にも言われたでしょ!!軽い運動なら回復を促すために必要だが激しいものは厳禁だってっ!!」
「いや、ただ図面を見て、大工と職員達と相談してるだけじゃないか?」
「あなたっ!!お仕事は軽い運動だって言うんですかっ!!そんな片手間みたいに仕事してたんですかっ!!」
「いや、そういう訳じゃ無いけど・・・。エルド君、助けておくれよ。」
「いけませんよ、イムニトさん。ここは奥さんの言うことを聞かないと本当に怖いことになりますよ?」
「エ・ル・ド・く・ん?怖い事ってなにかしら?」
青筋を浮かび上がらせて笑顔で詰め寄るトーラにエルドは直ぐさま謝罪し、毒気が抜かれたトーラは腕を組んで怒りを沈めるように息を吐き出した。
イムニトはその様子をクスクスと笑って、エルドに【繋ぎ手】からの招集について聞くと、全了戦の報酬の受け渡しだったことを報告して、イムニトが回復次第、祝勝会が行われることを伝える。それを聞いたイムニト夫婦は喜んで参加する意思を伝えると、イムニトが更に付け加えた。
「商会の改装祝いも兼ねて、職員達全員も呼びたいんだがどうだろうか?」
「良いですね。結構な人数が集まりそうなので、ゼイクさん達と相談して場所が決定したらお伝えします。」
全了戦が終わり、この1件を払拭するような慌ただしさと穏やかな日々が始まろうとしていた。
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