第一章 再現
第一章-1 再会と猪突
天正三(1575)年二月二十八日、奥平貞昌は徳川家康の命を受け三河長篠城へ入城した。
「織田様は必ずやって来られる。織田様は約束を反故にできるお方ではない」
家康は貞昌にそう言い聞かせた。信長は誠実であるから約束を反故にするような真似をできるわけがない、と言うのではない。
三方ヶ原の時は自分が派遣した援軍がまるで役に立たず、高天神城の時には救援に間に合わなかった。これに続いて約束を破れば、もう織田に対する信用は完全に地に落ちる。信長はそんな馬鹿をするような人間ではない、と言っているのである。
「辛い役目ではあるが、何とか努めてもらいたい」
「承りました」
貞昌は黙って頭を下げた。三河長篠城は武田の矢面に立たされており、二十歳の貞昌には正直過重な役目である。父の貞能は三十八歳の男盛りだが、既に隠居して家康の助言役の立場に回っている。
もっとも、貞昌の年齢とか云々以前に、奥平家の事情は複雑である。元々三河の国人であった奥平家は松平清康に従っていたが、いわゆる森山崩れによって清康を失い弱体化した松平家を離れて今川家に付き、一時織田家に服属し、その後今川家に戻っていた。
そして桶狭間から八年を経て徳川家に従ったが、その三年後には三河に侵攻して来た武田家に従い、そして今また徳川家に服属している。別にこの乱世では寝返りなど全く珍しくはないが、それにしても六回も主を変えた奥平家の様な例は極めてまれである。
更に言えば、この六回の内最後の一回を除く五回の寝返りにおいて主導となった貞昌の祖父貞勝は、六回目の貞能主導で行われた寝返りに反発するように自らの次男らと共に武田方に留まり、現在は甲斐にいた。
要するに、今の貞昌は祖父や叔父と敵対関係にあるのである。そういう人間を最前線に置くのは、忠義心を見せるためのこの時代の作法でもあった。
まもなく、長篠城に奥平家の軍配団扇の旗が翻った。
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その半月ほど後の三月十六日、信長は京の相国寺にて意外な人物と対面していた。
「これはこれは」
「本日は蹴鞠の技をば見せてもらいに参った」
「それはありがたき事……」
信長より四つ下の三十七歳のその人物は、公卿然としたなりをしており、物腰も極めてやわらかであった。まもなくその人物が披露した蹴鞠の美技に、信長は極めて素直に感心した。
「今川殿、見事な技である」
「詮無き事かも知れませぬが」
「貴公の運命とはそういう物かもしれん……」
「運命でございますか……私が当初よりかような立場であれば、多くの人間に迷惑をかける事もなかったでしょうが…………」
「貴公は今の己が処遇をどう思うている?」
「私めの器からすれば、この辺りが妥当ではないでしょうか。先祖や家臣には申し訳なき事ですが…………」
今川氏真。今川義元の長子として後継者となりながら芸事に耽って国を失い、父義元の仇である信長にへつらっていると言う言い方をすれば、最低の男と言ってよいだろう。だが、信長は氏真に好感を抱いていた。
(ある意味では義元以上の人物よ…)
氏真は自分が大名の器ではないことに気が付いたのだろう。それが世の人間が思うよりはるかに難しい事であるのを、信長は知っている。そして、その器に合った生き方をするという事が、同じぐらい難しい事も信長は知っている。
桶狭間の戦いで義元以下多くの重臣を失い松平元康(徳川家康)に独立を許すと言う最悪の状況から家を建て直すのは、実際問題かなりの難事業であったろう。無論、氏真とて全く何もしていなかった訳ではないが、例え氏真に信長並の才能があったとしても、今川家を桶狭間直前の状態に戻すのに何年かかっただろうか。
まず桶狭間の物的損害を取り戻すのに安く見ても数年はかかるだろうし、徳川家を再併合あるいは滅亡させなければならないし、その後は強大化しているであろう織田に備え、そして徳川との戦いの分の損害も補わなければならない、と文字通り難関の連続である。
しかもこれは武田・北条との同盟が続いていて後顧の憂いがなくともと言う話であり、それが破綻しようものならば徳川や織田どころの騒ぎではない。要するに、今川が桶狭間で受けた打撃は余りにも大きすぎたのだ。
氏真はどこかで、今川家がもうどうにもならない所まで来ているのに気が付いたのかもしれない。自分の代で今川家を潰す事になるのは忍びないのだが、もうどうしようもない。家臣たちの前ではなんとか今川の当主として振る舞い続けたものの、氏真が今川家を諦めてしまっている事を見抜いた者たちは徐々に離れて行った。
武田、徳川、北条。家臣たちがどこへ走ろうとも氏真は恨む気にはなれなかった。彼らの事を恨んでいるような処置を下したのは、その結果を相手も覚悟しているのだろう、それが戦国大名ならばすべき事なのだろう、それだけの理由だった。
(しかし、この氏真のようになれる人間が世に何人おるか…)
一方、信長は武田勝頼を評価していない。氏真は方向こそ全く違えど「街道一の弓取り・今川義元の子」ではない自分自身を確立したが、勝頼は「甲斐の虎・武田信玄の子」ではない何かを持っているのだろうか。
無論、父を失ってから十五年の時を過ごした氏真と、まだ二年しか経っていない勝頼を比べるのはいささか無理があるが、勝頼にはどうも「信玄の子」以外の要素が感じられない。氏真は父と違う方向に進んで自分自身を確立したが、勝頼は父と同じ方向に進んでいるようにしか見えなかった。
父と同じ方向に進んで自分自身を確立するには、父を越えるほかない。だが、武田信玄と言う天才を越える事など可能なのであろうか。信長には、勝頼に氏真のように妄執を捨てて己が器に従って生きる事ができるようには到底思えなかった。もちろん、勝頼が信玄並、あるいはそれ以上の器であると言う可能性を否定するわけではないのだが。
(あんな事が実際に可能だと思っておったのか…信玄坊主め)
信玄は死の間際に、自らの死を三年秘匿するように、そして勝頼の長子信勝が成人した暁には、信勝に家督を譲るように遺言していた。今、勝頼の武田家の中での立場は「武田家当主にならんとする信勝」の後見人という所であり、本人が思っているような「武田家当主」と言えるかは疑わしい。
勝頼の立場の弱さを証明する何よりの事実として、勝頼が掲げているのはただの武田の家紋である武田菱の旗であって、信玄の風林火山ではなかった。そんな風林火山の旗も掲げられない人間が実質的頂点に立っている武田家が、果たして信玄生存時と同じ強さを発揮できるのか。
更に言えば、三年自らの死を隠せと言う信玄の遺言も信長には失策に思えた。一応、信玄の弟の信廉は信玄に瓜二つの容貌であるが、中身のまるで違う人間がまるで同じように振る舞うなど天と地がひっくり返っても無理な相談である。
すなわち、三年死を隠すなどという事自体が不可能であり、現に簡単に露見してしまったのである。さらにこの遺言は、裏を返せば信玄が自らの死後当座の実質的当主でとなる勝頼を頼りないと思っていると言う事の証明でもあった。
信玄はおそらく、三年ほどは国力の増強に努めるべきだと遺言していただろう。にも関わらず、既に去年信玄の遺言を無視して勝頼は出兵した。この結果、勝頼と老臣たちとの間には溝ができているだろう。さらに、その結果が成功であった事がさらに武田家の状況を悪くすると信長は読んでいた。
「氏真殿、実に見事である。それで一つご相談があるのだが」
「何でしょうか」
「この信長は今年、武田と大戦を構えるつもりだ……貴公は今川家の当主であろう?信玄は今川家との盟約を踏みにじり、貴公の義兄弟である義信を殺した……勝頼はその義信を押しのけて当主になった男…」
「よ、要するに、私めに出陣をと?」
「そうなるやもしれぬ。あるいは書状を一枚いただくかもしれぬ。まあ、貴公に直に刃を交えさせる事は決していたさぬ。安心されよ」
「私が戦の役に立つと?」
「貴公が役に立たない人間ならば、信長は貴公の元へ足を運びはせぬ。氏真殿、その技、武田を討ち取った暁にはまた見せてもらいたい……」
「それは喜んで」
氏真は自分が戦に向いていない事を骨身に染みてわかっているのだろう。戦の三文字を聞いて素直に怯んでいた。氏真はそれでよいと、信長は思っている。戦国大名としては失格であろうが、それが氏真なのだからと。
(信玄坊主よ、余がおぬしに代わって息子に器のままに生きる事の素晴らしさを教えてやろう)
氏真を見ながら、信長はそんな言葉を心の中でつぶやいていた。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
信長が氏真と語らっていたちょうどその頃、武田の宿老内藤昌豊は躑躅ヶ崎館にて勝頼と二人きりで話し合っていた。
「中途半端はいけませぬ」
「要するにどうせよと言うのだ」
昌豊のおだやかな口調でのゆっくりとした調子での進言に対し、勝頼は喧嘩腰な言い方で聞き返してきた。
「長篠城の事でございます」
「それぐらいわかっておるわ!奥平の事であろう」
「ええ、奥平です」
「だから奥平をどうせよと言うのだ!」
「抑えの兵を残して捨て置くか、それとも織田や徳川の本隊が来る前に多少の犠牲を払ってでも強引に攻め潰すか」
「そなたはどうしたいのだ?」
「それがしならば強引に攻め潰しまする」
長篠城は街道の要地であり、ここを徳川に抑えられたままではいろいろやりにくい。その上奥平家はいわゆる裏切り者であり、裏切り者を放置しておくのは家内の結束の為にもまずい。だから強引に責め潰すと言うのは悪い手段ではない。
「貞能が長篠城にいるのか?」
「いえ、その子の貞昌との事です」
「話は通じそうか?」
「無理でしょう、この日が来る事も想定の上であると考えた方が」
「チッ……」
こちらにいる祖父と叔父を通じて交渉で開城に持って行く事ができないか、それもまた悪い発想ではない。だがその悪くないはずの自分の提案を、無下に否定された勝頼は思わず舌打ちをした。
「お気持ちはわかりますがそう簡単には……」
「わかったわかった、翌日に方針を発表する、ゆっくり休んでいてくれ」
勝頼はもういいと言わんばかりに手を振り、昌豊もそれではとばかり無言で頭を下げて勝頼の前から下がった。
「大炊介と釣閑斎を呼んでくれ」
昌豊が視界からいなくなるや、勝頼はすぐ跡部勝資と長坂釣閑斎を呼んだ。眉間の皺は消え失せ、元の年齢相応の若やいだ顔に戻っている。
「長篠城に奥平が入ったそうだが」
「存じております」
「交渉してみる事はできないか」
なんと、勝頼は宿老である昌豊にあっさり否定された交渉による開城という案を、もう一度この二人の側近に示したのである。
「まあやってみるに越した事はないと」
「それがしは賛成です。犠牲なしで城を落とせるのでしたら言う事はないと」
そして釣閑斎は消極的、勝資は積極的と分かれはしたものの、二人とも勝頼の案に賛意を示した。
「おおそうか、そうであろう?試してみるに越した事はあるまい釣閑斎、やる前から無駄と諦めるのはよくないだろう勝資。たとえ失敗した所で我が武田に何か損害があるか?」
「時間を多少喰います。あと、使者が危ない目に遭うやもしれませんな」
「他に?」
「他にと申されますと……他に何の損害があると言う事でしょうか?」
「いえ……それがしには思い付きませぬ」
勝資がそう言うと、勝頼は満足そうに頷いた。
「であろう?別に当たる確率は高くないにせよ、外れた所で損をする博打ではあるまい」
「そうですな」
「それを修理亮は無下に否定しおった……ったく、何を生き急いでおるのか……いい年をしてまだ一日二日の時を惜しむほど余裕がないのか……」
勝頼の言葉に、二人ともさすがに内心ぎょっとした。いくらその言葉を聞いているのが自分たち二人だけとは言え、昌豊と言う武田の宿老を大っぴらに批判するとは。だが二人にしてみれば想定の範囲内の発言であり、また内心の動揺を表に出す事もなかった。
二人は追従の笑みを勝頼に向けた。何だかんだ言って二人とも昌豊より勝頼の方が大事であり、それ以上に自分の方が大事だった。最近、昌豊らが勝頼に煙たがられて遠ざけられているのを、この二人ははっきりと感じている。今はまだそういう事はないものの、その内昌豊らには事後報告で終了などと言う事にもなりかねない。
二人とも、どうしてもそんな惨めな立場になりたくはなかった。
「お前たちの言葉で自信がついた、翌日その旨を皆の前で申し述べる」
勝頼は二人を下がらせると、怪しげな笑みを浮かべ出した。
(此度の戦で織田信長にきつい一撃を喰らわせる。そして十年、いや五年以内に上洛を果たして見せる。そうすれば、もはや父を完全に越えた事となろう。いや、せめて父が討たなかった家康だけでも討たねばなるまい。さすれば父と肩を並べるぐらいにはなろう)
偉大なる父信玄に追い付かねば、いや越えねばと言う焦燥に勝頼は駆られていた。昌豊らはその焦燥を危惧し、信長はその焦燥に付け込まんとしていた。
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