序章-2 信長と家康
「まことに申し訳なき仕儀になってしまったゆえ、どうかお許しあれ……」
高天神城が落城したその日、織田信長は三河の吉田城にて、珍しく丁寧に頭を下げて徳川家康に謝意を示した。
この時、織田の援軍は三万の大軍であった。その分だけ行軍が遅くなり、高天神城の救援に間に合わなかった。先行して数千の軍勢を送れば間に合っただろう。だが、この時信長がそれをしなかった理由が三つあった。
第一に、伊勢長島で起こっている一向一揆である。昨年一旦攻勢をかけてある程度の戦果を挙げたものの、未だに石山本願寺率いる反織田勢力の力は侮りがたい物があった。
第二に、美濃岩村城の存在である。信玄在世の際、信玄は重臣の秋山信友に命じ岩村城を陥落させており、今もその時と変わらず信友が常駐している。信長の本拠である岐阜城からは距離があるとは言え、岩村城そのものが信濃、三河、美濃三国の中央に位置する絶好の場所であり、その岩村城への警戒も怠る訳には行かない。
そして第三にして最大の問題として、織田軍の兵がそれほど強くないのである。
桶狭間で今川義元を討ち取ってから十四年、今や日の本一の大勢力となった織田家の兵が強くないとは少しおかしいかもしれないが、基本的にこれまで勢力の拡大を成して来たのは当主である信長の天才としか言いようのない素質、そして柴田勝家・丹羽長秀・前田利家・羽柴秀吉・池田恒興ら一流の才覚を持った将たちの働きによる所が大きく、兵士たち一人一人の質はそれほど高くなかったのである。柴田勝家のように大将によっては強い兵士もいたが、それでも全体としては少数派である。実際、姉川においては十三段構えの内十一段までが破られ、三方ヶ原の戦いでは佐久間信盛率いる織田の援軍が全く役に立たなかった。
信長の目は冷静にして冷酷であり、織田軍の大半が武田軍や徳川軍より弱い事をわかっていた。だから、多数で向かわねば援軍の役を果たせないだろうことも自覚していた。その上伊勢長島と岩村にも気を配らねばならないこの状況では、どうしても大軍のまま行軍せねばならなかったのである。
「武田はもはやこれ以上ひた押しには来ぬ…だが即座に奪い返す事もできぬ…徳川殿、まことに申し訳ない。勝頼に付けを払わせてやろうかと思ったが…来年となるか」
「その時はこの家康も共に」
「ふ……信玄坊主め……うぬが失態の付けはうぬが払うべきであった……それを我が子に負わせるか、無能な男よ」
「武田信玄が無能と……?」
「そうよ」
家康は耳を疑った。
あの武田信玄が無能とは!戦勝を重ねる事幾十回、甲斐の虎と呼ばれたあの武田信玄が、三方ヶ原の戦いにおいては自らの愚策もあったとは言え完膚なきまでに徳川軍を叩きのめし、自らに脱糞までさせたあの武田信玄が!
「もし信玄が無能でなくば、今頃信長は上洛はおろか尾張より出る事もできなかったやも知れぬ……あるいは、とっくにどこかの戦場に骸をさらしていたであろう」
信玄は越後の上杉謙信と十一年間、五回にもわたって川中島で合戦を繰り広げている。戦国屈指の名勝負と呼ばれることも多いが、信長に言わせれば全くの無駄だった。
川中島を確保した所で六万石程度の得しかなく、たかがその程度の土地を巡って弟の信繁や山本勘助など多くの重臣を失ったのである。
さらに今川義元を失い徳川に独立され足元がぐらついていた今川家の領国である駿河への侵攻を図り、義元の娘婿である長男を追放してまで駿河へと侵攻したのであるが、その結果北条と仲違いを起こし、更に遠江を巡って徳川とも対立してしまう。
「わしが信玄ならばまず美濃を狙った、それをせなんだ事が信玄よ」
川中島など謙信や地元の勢力にくれてやってもいい。それが信長の発想だった。
五回の戦いの中でもっとも規模の大きな戦いであるとされる第四次川中島合戦の四ヶ月前、美濃の斉藤義龍が三十五歳で夭折していた。後継者の龍興はまだ十三歳である。どう考えても、謙信より与しやすい相手のはずだ。それに、
信玄の目標は元より上洛であったはずだ。だからこそ三方ヶ原で家康に止めを刺さず行軍を続けたはずなのに、どうして信玄は義龍が死んだ時、いや本人が死ぬまで美濃攻略に本腰を入れようとしなかったのであろう。
その一方で、信玄は上野にも手を出していた。川中島も駿河も上野も、京とは逆の方向である。甲斐の大名である武田が京を目指すのならば、まず美濃を取るべきだったのだ。確かに駿河の今川氏真は大名の器ではなかったが、だからと言って駿河に手を出せば北条との関係も壊れるのは明白だったし、独立したばかりの徳川は一向一揆に悩まされていた為遠江や駿河を脅かす力はなかった。桶狭間で義元が討たれてから実質的な滅亡まで九年、義信が廃嫡されてから四年かかっているが、それだけの時間があれば美濃攻略は十分できたはずだと言うのが信長に言わせれば不可解であり、失態なのだ。
「はあ……なるほど……」
家康は信長が言いたいことがわかってきた気がした。信玄は戦争においては天才であったが、外交においては失態を繰り返していたと言うのである。確かに、上洛が目標であるならば川中島も上野も駿河も放っておいて、美濃に入るのが一番の近道であったろう。それをしなかった信玄は無能だ、と言う事らしい。
「徳川殿……駿河は好きにされよ。甲信についても場合によっては考えて置き申す」
信長はまた気前のいいことを言った。いくら自分の土地ではないとは言え、駿河は切り取り次第、場合によっては甲斐・信濃までも進呈すると言うのはいくらなんでも気前の良すぎる話である。
だが、それが信長にできて信玄にできない事でもある。上洛を果たした信長の目線は更に西に向いており、東の甲信や越後、関東は魅力に乏しい地に映っていた。それでいて上杉や武田、北条など手強い大名が多く、無視する事もできない。徳川に彼らを喰い止めさせるためならば、駿河どころか甲斐、信濃まで与えてやっても多すぎると言う事はない、というのが信長の判断であった。
「しかし」
「ん?過大な恩賞と申されるか?気にすることはない」
「いえ、武田はこの後」
「武田は古き軍勢よ。秋になれば退くしかない」
武田家は兵農分離が出来ていない。この夏の時期、延々ひと月にわたり二万五千の兵で高天神城を囲んでいたが、その二万五千の大半はいわゆる農兵であり、秋の収穫の時期になると本国へ帰って穫り入れに従事しなければならない。
無論、地元勢力を始めある程度の兵は残されるだろうが、三河や遠江を脅かす力はない。穫り入れが終わればと言う考えはあるだろうが、駿河はまだともかく山深い甲斐や信濃では穫り入れが終わった直後に雪が降る物であり、そして積もってしまえば基本的に溶けるまで何もできない。そして駿河一国の兵力では数は知れている。
「武田が本腰を入れるは来年……それまでは夢を見させておいてやろう」
「夢ですか」
「ああ…………此度の徳川殿の無念も木っ端微塵に打ち砕いてやろう。そして、極楽浄土の信玄坊主に勝頼らを会わせてやらねばな……虎も、己が子に対する愛を忘れた訳でもあるまいてな……」
そこまで言うと信長は口を大きく開けて笑い始めた。来年起こるであろう事が、楽しくて待ちきれないと言わんばかりの大笑いであった。
「ではこれより信長は伊勢長島の一向一揆に鉄槌を加えてやって来る。後顧の憂いを一つ潰しにな……家康殿、来年を楽しみに待たれよ……改めて、時代の変わり目をお見せしよう……」
「時代の変わり目……」
「そう、幕府の終わりに続いてな…」
昨年、織田信長は十五代将軍足利義昭を京より追放し、室町幕府二百三十五年の歴史に終止符を打った。それ以上に時代が変わった事を証明する方法など、家康には想像も付かなかった。
だが、期待は正直あった。信長の事だから自分たち如きが思い付きもしないだろう、とんでもない事をやるのだろうと。
そして、信長はまもなく伊勢長島の一向一揆への攻撃を開始。三ヶ月余りかけて徹底的に一揆を滅ぼし尽くし、後顧の憂いを断ち切ったのである。
「勝頼……うぬは余を恐れるか、憎むか?いずれでもよい……来い。一人で滅ぶのは淋しかろう?古き時代と共に滅んでもらおう……」
一揆衆の命を燃料に燃え上がる火を見ながら、信長は一人つぶやいていた。これが、時代の流れであり、当然の行いであると言わんばかりに、表情一つ変えることなく。
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