第12話

 その晩、夢を見た。

 黒男に襲われる夢。

 でも、それはまだいい。だってあいつは嫌いだし、怖かったから。

 それに、マスターが助けてくれたから。

 マスターは、大きな口をあけて私に噛み付こうとする黒男を、その前脚で突き飛ばして助けてくれた。夢の中でも、助けてくれた。

 ほっと、安堵の息を吐く私に、狼のマスターが近づいてくる。ゆっくりと。

「マスター」

 私が呼びかけても、マスターは返事をしない。

「……マスター?」

 なんだか不穏な空気を感じとって、もう一度呼ぶ。

 マスターは何も言わず、次の瞬間、黒男をはじきとばしたのと同じように前脚を振り上げ、私に振り下ろした。

 衝撃をうけて、横に吹っ飛ぶ。

 ばんっと、地面に体が叩き付けられた。

 不思議と痛くはなかった。夢だったからだ。

 だけど、息ができなくなった。

 頭からの、ぬるっとした感触。血が出てきたことがわかる。

 マスターがゆっくりと、私に近づいてくる。

「だから、俺言ったよね?」

 へらへらと笑った英輔さんが、倒れている私を、頭から覗き込むようにしながら、ひょうひょうと言った。

「狼男は人を喰うから気をつけな、って。年長者の言うことは、聞くものだよ?」

 小さな子どもに言い聞かせるようにそういうと、英輔さんはどこかに去っていた。

 助けてはくれない。

 動けない私は空を見上げていた。

 夜。曇っていて月は見えない。

 狼のマスターの姿が近づいてくる。

 大きく口をあけて、私を。

 食べた。


「いやぁぁぁ」

 私自身の悲鳴で目が覚めた。

 体を起こした場所は、見慣れた自分の家、私の部屋だった。

 ベッドの上で両手を見る。しっかりとついていた。

 ああ、夢か。そこでようやく理解して、立てた膝に顔を押し付ける。

 怖いと思ってしまった。マスターのことを。

 夢の中とはいえ、夢の中だからこそ。

 がくがくと震える手を、握りしめて押さえる。

「こわくないこわくないこわくなこわくないこわくない」

 だって、マスターが優しいこと知っているから、怖くない。マスターがあんなことするわけない。

 必死に自分に言い聞かせる。

 本当に?

 本当にそう思っているのならば、あんな夢見ないんじゃないの? 心のどこかで怖がっているからあんな夢見るんじゃないの?

 そんな反論も聞こえる。私の中から。

「ちがうちがうちがう」

 ベッドの横にある棚に手を伸ばす。その上の小さなトレー、その中のペンダントをひきずりだすと、ぎゅっと握った。

「ピラマ、パペポ、マタカフシャー。ピラマ、パペポ、マタカフシャー」

 必死に唱えると、心を落ち着けようと何度も何度も深呼吸した。


 結局、ちっとも眠れないまま朝を迎えた。少しでもうとうとすると、同じような悪夢を見てしまう。

 ぼんやりした頭で、今日が土曜日なことに感謝した。学校、休みでよかった。

「理恵、あんたバイトは?」

 母の何気ない言葉が、ちくりと胸に刺さる。クビにされたんだよ、お母さん。

 でも、そんなこと言えなくて、

「改装工事でしばらくやすみ」

「そー、珍しいわね。じゃあ、ちゃんと勉強しなさいよ。あんたは、いつもいつもバイトバイトってね」

 そのまま始まった小言を聞き流す。

 でも、考えてみたら、まったく予定のない土曜日なんて久しぶりかもしれない。悲しいことに。

 勉強するから邪魔しないで、と母にいって、部屋にひっこむ。

 床に座り、ベッドに背中を預けるとクッションを抱える。

 ちゃんと考えなくっちゃいけない。

 英輔さんが言っていたことの意味。化け物と一緒にいる、という意味。狼男が人を喰う、ということ。

 ちゃんと考えなくっちゃいけない。

 でも、考えようとするとあの悪夢の映像がでてきて、怖くなる。あんなの、夢だとわかっているのに。

 考えなくちゃ考えなくちゃと思っているだけど、無意味に時間は過ぎていく。心が焦るけれども、気持ちは先に進まない。

 そうしていると、

「理恵、お客様ー」

 母の声がした。

 お客様?

 部屋のドアをあけると、ドアの前で母がなんだか不思議そうな顔をしながら、

「大鎌さんって知っている? なんだか、美人のお姉さん」

 おおかま……? なんか、聞いたことがあるような…….

「あ」

 カマイタチの人?

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