第11話
置きっぱなしの荷物を取りに大和撫子に戻る。
大和撫子は、見るも無惨なぐらい荒らされていた。扉はかろうじて閉まるみたいだけれども、店内に無事な部分がない。
「あ、帰って来た」
「あー、のっぺらさん、ありがとー」
無事じゃない店内の床に直接座り込んで、携帯ゲームに勤しんでいたのは常連の若い男の人だった。英輔さんがきた日に私が丁度接客していた人。若いのに珍しいなとは思っていた。いつもフードを被っていて、って彼がのっぺらさん?
「別にいいけど。えーすけ、その格好で帰って来たの? よく職質されなかったね」
「上通って来たから」
もう本人に怪我はないものの、服全体が血まみれの英輔さんは、さすがに人目につくわけにもいかず、屋根の上をこそこそと帰って来たのだ。私を抱えて飛び跳ねていたのだから、身体能力が優れているのも本当なのだろう。
「そう。じゃあ、俺帰るわ」
「うん。店番も本当にありがとー」
「いや、この店好きだから」
立ち上がったのっぺらさんは、私を見て少し笑う。
「この顔ね、ペイントしてるんだよ。特殊メイク的なね」
囁くようにそう言ってから、
「じゃあ、理恵さんもまたねー」
軽く片手を振って出て行った。あれが、のっぺらさん。
ああ、でもまたね、って。私、クビになったのに。
「とりあえず理恵ちゃん、今日は帰った方がいいよ。着替えておいで」
英輔さんに促されて、更衣室に向かう。慣れ親しんだ海老茶式部の制服を脱ぐ。もうこれを着ることはないのかもしれない。
ネックレスをぎゅっと握った。
セーラー服に戻って店に戻ると、英輔さんも血まみれ服から別の服に着替えていた。
「帰ろう。送って行く」
黙って頷く。いつかみたいに店に鍵をかけて、外に出る。ドアには「都合によりしばらくお休みします」と貼られていた。
並んで黙って歩く。
「……理恵ちゃん」
英輔さんがそっと気遣うように名前を呼んでくる。
答えない。答えられない。何か喋ったら、泣きそうだ。
唇を必死に噛み締めて耐える。
「沢村さんはね。怖いんだよ」
黙っている私を見て、英輔さんがぽつりぽつりと話し出した。
「理恵ちゃんに嫌われることとか、また理恵ちゃんを巻き込むこととか」
英輔さんがいつもより優しい声で言う。
「バレたしね、正体」
「だけど、私っ」
思わず反駁する。噛み付くように。
「マスターのことは怖くなんてなかった。英輔さんだってっ」
驚いたけれども、だけれどもやっぱり怖くない。よく知っている人だから。優しいこと、知っているから。
なのにそんなに遠ざけられたら、悲しいじゃないか。
「うん、それは本心だと、俺は思うよ。だけど、いつまでも理恵ちゃんがそう思っているとは限らない。今はことが起きたばかりで混乱していて、深くこの事実を受け止められていないかもしれない」
「そんなことないっ!」
「沢村さんはそう思っているんだよ。沢村さんだって今はまだ混乱しているんだよ。大事な理恵ちゃんを巻き込んでしまって」
「……そんなことないのに」
クビになったことよりも、あの拒絶されたような感じが悲しい。巻き込まれたなんて、思っていないのに。
「俺はどっちの主張もわかるよ。理恵ちゃんが人間として沢村さんのこと信じていて、あの店で働きたいと思っている気持ちもわかるし、沢村さんが理恵ちゃんから離れなくちゃいけない、その方がいいと思っている気持ちもわかる」
だから難しいよなぁ、と英輔さんはぼやいた。
「一つ、言っておくね。本当は、俺なんかが言うべきことじゃないんだろけれども、このまま、なあなあになってしまうことが、きっと一番よくないことだろうから、仕方ないよね」
後半は自分に言い聞かせるようにしながら英輔さんは言い、
「理恵ちゃん」
柔らかい調子で私の名前を呼んだ。
英輔さんがそうして足を止めるから、私も同じように立ち止まる。
「なんですか?」
首を傾げながら尋ねると、英輔さんは微笑んだまま、
「ごめんね」
私の首に右手を伸ばしてきた。
避けようもないぐらい、速い動きだった。
驚いてなにも出来ない。
びっくりするぐらい冷たい掌が、私の喉を覆う。そっと触れるだけ。英輔さんは、微笑んだまま。
なのに私は、何一つ身動きできなかった。
怖くて。
このまま首を絞められるんじゃないかと、あの時、黒男に対して思ったのと同じ恐怖を感じていた。
「俺はね、理恵ちゃん。人間である理恵ちゃんなら、簡単に殺せるよ」
微笑んだまま、淡々と英輔さんが言う。
「理恵ちゃんだって、わかっているよね? 俺がこの手にすこぅし力を入れただけで、理恵ちゃんの首なんて簡単にへし折れる、っていうこと」
英輔さんが右手の親指を軽く動かした。指先が顎に触れる。
それはいっそ、優しいぐらいの手つきで。
「それは沢村さんだって一緒だよ。沢村さんが本気をだせば、いや、本気をだすまでもなく、非力な理恵ちゃんなんて一瞬で噛み殺すことができる。ねぇ、理恵ちゃん」
囁いてくる声は、とっても優しい。幼い子どもに言い聞かせるように。
「本当に、わかっている? 化け物と一緒にいるのが、どういうことなのかを」
言いながら、英輔さんの手がゆっくりと、首から下におりていく。
声は出せないけれども、心の中で必死に唱える。ピラマ、パペポ、マタカフシャー。
英輔さんの手がゆっくりと、ネックレスのある方までいき、
「っ!」
ばちり、と大きめの静電気のような音がして、弾かれたように英輔さんが手を引っ込めた。
「いって」
呟いた英輔さんの右手は、やけどをしたかのように赤く腫れていた。
「ああ、やっぱり、それ。やっかいだなぁー」
赤く腫れた右手を、左手で乱暴に撫でながら英輔さんがぼやく。瞬間、右手の腫れた元に戻ったのが見えた。
「い、いまのは……」
手が離れて、ようやく呪縛がとけた私が、絞り出すようにして尋ねると、
「ネックレス」
やる気のなさそうに英輔さんが言った。
「それ、魔除けだって、俺言ったでしょう?」
なに当たり前のこと聞いてるの? とでも言いたげな口調。
「魔除け……」
そうだ、そういう話だった。
「それがあるから、下等な化け物は迂闊に近づけない。あの呪文と一緒ならば、俺や狼男だって退けることができる。今みたいにね」
「……あ、じゃあ、さっきの黒男も?」
私は見ていなかったけれども、ふっとんでいったらしい。あの時私は、呪文を唱えていたはずだ。無意識だったけれども。
「ん? 俺は現場にいなかったから知らないけど、何かあったのだとしたらそれのパワーってこともあるだろうね」
ひょうひょうと解説する英輔さんは、いつもの英輔さんだった。さっきの英輔さんとは、やっぱり雰囲気が違う。
「そうか、理恵ちゃんにそれがあるのならば、多少は理恵ちゃんの身は安全なのかな。でも、なんらかの方法で、ネックレスを理恵ちゃんから遠ざけたら、やっぱり簡単に殺せるもんね」
殆ど独り言のように英輔さんが呟く。そうして、
「うん、やっぱり、理恵ちゃんはもっと考えた方がいい。化け物と一緒にいるのが、どういうことか、をね」
何かに納得したかのように一つ頷くと、またすたすたと歩いて行く。
私は慌てて、その後を追った。
「それはそれとしてさ、俺は理恵ちゃんには辞めないで欲しいよ。理恵ちゃん辞めると、俺が辞めにくいし」
そろそろ他の地方の甘いもの食べに行きたいのに、というぼやきが聞こえる。
そんなに甘いものが好きなのか。それに少し呆れて笑うと、そんな私を見て英輔さんもちょっと笑った。
家につくと、エントランスの前で立ち止まって英輔さんが言った。
「どっちにしろ、店片付けないと営業にならないからさ、二、三日ゆっくり考えてみなよ。それでやっぱり平気だと思ったら、店に来なよ。俺も一緒に、沢村さんを説得するから」
その言葉にしっかり頷く。
「ちゃんと、考えます」
「うん」
そうして英輔さんは、いつものへらっとした笑顔を浮かべて、去って行った。
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