第13話
休日スタイルでぼろぼろだった髪と服をなんとか整え、母には高校のOGだとか適当なことをいい、大鎌三恵子さんを部屋に通した。
「急にお尋ねして、申し訳ありません」
綺麗に正座しながら、大鎌さんが言う。
「あ、いえ」
上手く正座できないまま、私は慌てて首を横に振った。
小さなテーブルに載せた紅茶とお菓子を勧めながら、
「あの、それで……?」
「アフターケア的な仕事で参りました。とはいえ純粋な仕事ではなく、半分は友哉、の友人としての余計なおせっかいですが」
なんか今、殊更に友哉という言葉に力が入っていたような気がする。
ちょっと、むっとしてしまう。
そんな私に気づいているのかいないのか、大鎌さんは話を進めていく。
「まず、友哉はまだ説明していないと思うので。貴方がお持ちの石について」
言われて、ネックレスを見える位置に出す。外そうとすると、
「あ、結構です」
片手を振って断られた。
「あたしたちのような人外は、それに触ることができませんので」
ああ、そういえば、英輔さんも頑に触ることを拒否していたっけ。
「魔除けの石、だと聞きましたが」
「ええ」
頷く。
「かなり古いものですね。まだ本当に、人間と人外との境界が曖昧だったころのものでしょう。道ばたを歩けば、妖怪に会うような、そんなころのものです」
……さらっと言われたけれども、そんな時代って、いつだったのだろうか。
「現代ではほとんど意味をなしませんが、それでも、例えば地縛霊に取り憑かれる、なんていうことからは身を守ることが出来るでしょう」
「じ、じばくれい?」
「ええ。聞いたことありませんか?」
「なくはないですけど……」
実際の生活に関係あるんだろうか。
「例えば交差点にお花とぬいぐるみが置いてあったとします。どう思います?」
「え?」
突然の質問に戸惑いながらも答えを探す。
「……ここで事故でもあったのかなぁーとか、ぬいぐるみがあるってことは子どもなのかな可哀想だなーとか」
「そう、それです」
そこで、ぴっと長い人差し指を突きつけられた。ちょっと身を引く。
「そういう寄せられた同情が霊を引き寄せたりするんですよ?」
さらっと言われた言葉が、理解できない。え、霊を引き寄せる?
「まあ、とはいえ、それぐらいでは多少体調を崩すぐらいなのですが。貴方のそのペンダントは、そういった霊から身を守ることができる、というわけです」
「……はぁ」
「貴方があの店で働けていたのも、そのペンダントが自然と身を守っていてくれていたからでしょう。過度に人外に近づかれることなく、身を守ることができた」
ああ、そんなこと、マスターも言ってたっけ。
「あと、それからおまじないの呪文。あれは、石の効力を引き出すために必要なもの、ですね」
「石の効力?」
「ええ。知能の低い低級霊などは、身につけているだけで近づけませんが、あたしや友哉、それから不死者だとかいう変な彼」
「英輔さん?」
大鎌さんが一つ頷く。
「そういうある程度、自分の意思をもっている力の強いものには効きません。直接触ったりしたら、怪我ぐらいはしますが」
英輔さんも、言っていた。赤く腫れた英輔さんの手を思い出す。
「それが呪文によって、石の力が最大限に引き出されるんです。ジャン・二宮を吹き飛ばしたように」
さらっと言われた言葉を理解するのに時間がかかった。
「……え、吹き飛ばした?」
この石が? あの黒男を?
「あら、ご存じない?」
「え、目、とじてたので……。気づいたら黒男が地面に倒れてましたけど」
「ああ、なるほど」
大鎌さんが納得したかのように頷き、
「吹き飛んだんですよ。友哉から聞いた話ですが。その石のパワーで。おそらく、あの時、呪文を唱えたんじゃありませんか?」
「え、あ、はい。習慣になってるんで……」
困ったときは石を握って呪文を唱える。それはもう、ジンクスであり習慣だ。
「それはおばあさまの教えで?」
「まあ……。困ったことがあったらそうするといい、そうするといいことがあるからって」
「なるほど、普段から唱えておくことで、いざというときに対応できるようにしているんですね。いざ、人外に襲われた時に唱えろと言われても、普段やっていなければ難しいでしょうから」
「……なるほど」
ただのおまじないだと思っていたけれども、そんな深い意味があったのか。ということは、知らずにこれまで助けられていたことがあるのかもしれない。
「貴方が唱えた呪文により石の効力が発動し、ジャン・二宮は吹っ飛ばされた。友哉が言うには、光がジャン・二宮を弾き飛ばしたそうです」
ああ、そういえば、なんだか一瞬、あのとき眩しかった。
「この石が……」
ペンダントを目線の高さまで持ち上げる。そんな効力があったなんて。私の命の恩人だ。
「そのペンダント、大切になさった方がいいですよ」
微笑んで言われた言葉に、しっかりと頷く。
大切にしろと私に言ってきた、マスターも英輔さんも、なんとなくでもこのことがわかっていたのだろう。だから、大切にしろと言った。大和撫子で働くためには必要なものだから。
……クビになったけど。
思い出して、小さく溜息をつく。英輔さんに言われたことの答えはまだ出ない。だから、まだ店には行けない。そして行ったところで、本当にクビになってたらどうしよう。
暗くなった気持ちを切り替えるために、紅茶を一口飲んだ。
「石のこと、わざわざ調べてくださったんですか?」
気を取り直して、大鎌さんに問うと、
「ええ、友哉に頼まれたので」
にっこりと微笑まれたが、言外におまえのためじゃない、と言われた気もする。
ちくりちくりと、棘が刺さる。悪気があるのかないのかわからないけれども。
「ああ、あと。これはあたしが言うのも差し出がましいことですが」
大鎌さんはそう前置きしてから、続けた。
「友哉が店を固定させたのは、今の大和撫子をはじめたのは、貴方のためです」
「え?」
首を傾げる。私の、ため?
「ジャン・二宮と揉めはじめたころに訊いたんです。わざわざ曰くつきの場所で、店をやる意味があるのかって」
ああ、確かにそれはそうだ。面倒くさがりのマスターのことだから、さっさと店を移転させることもできたはずなのに。
「そしたら、前の形態の店で、人間の女の子が紛れ込んでパフェをご馳走したことがあるんだ、って言っていまして」
「……え?」
なんか、その話知っているような……。
「その子はとても泣いていたけど、パフェを食べて美味しいって言ってくれた。それが嬉しかった。人間だってあやかしだって、パフェを美味しいと思うのならば、一緒に食べる場所があってもいいのに、だとか?」
語尾があがり気味に言われた言葉に固まる。だって、それは……。
「そして出来ればその子にまた会えるように、その場所に近いところに店を出したかったんだとか」
大鎌さんは、紅茶のカップを置くと、とどめの言葉を放った。
「それで結局、今やその子がアルバイトしているとか」
「そ、うですか……」
かろうじてそれだけが口からでた。両手で口元を覆う。
ああ、なんだか泣きそうだ。
私にとってあのパフェの一件は、すっごく大きな出来事だった。あれにだいぶ救われた。
マスターにとっても、あの一件が大きな出来事だったなんて。なんだか、胸がいっぱいだ。
嬉しいだけじゃなくて、上手く言葉にできないけれども。
やっぱり大和撫子は、私にとって大切な場所なんだ。そんなことを再確認する。
首元に両手をあて、ネックレスに触れると大きく息を吐いた。深呼吸。
まさかここで、泣くわけにはいかない。
「……ありがとうございます」
そのまま大鎌さんに頭を下げた。
「大事なこと、教えてくれて」
言われなかったら、知らなかったことだ。知らなかったら、大和撫子の大切さを再確認できなかったかもしれない。
マスターはきっと、絶対、教えてくれなかっただろうから。
「いいえ。友哉には余計なこと言うな、とか言われそうだけれども」
大鎌さんは、優雅に微笑みながら、続けた。
「友哉のことだから、どうせひよってもう来なくていいとか、言ったんでしょう?」
急に馴れ馴れしい口調で、やや小馬鹿にするように言ってきた。さすがにわかった。一連の放たれた棘は、わざとだ。これもう完全に、喧嘩売られている。
「半分はお仕事でいらっしゃったんですよね?」
強めの口調で問う。どんな時だって、恋に関して売られた喧嘩は買うのだ。
「なのに、なんでそんなにけんか腰なんですか?」
睨むようにして尋ねると、大鎌さんはちょっと驚いたような顔をした。反撃するとは、思っていなかった?
それから、ふふっとなんだか艶やかに笑いながら、
「だって、悔しいじゃない?」
完全に崩した言葉で話してきた。
「大学の時の恋人が、今はこんなちんちくりんな小娘に夢中だなんて」
言われた言葉に固まる。
仲良さそうだな、とは思っていたけれども、元カノ……?
「袖にしたのはあたしの方だけど、逃がした魚は大きいような気がしちゃうの」
固まった私を見て、ふふんっとなんだか勝ち誇ったように大鎌さんは笑う。
ああ、やっぱりそうなんだ。そういう関係なんだ。マスター、まだこの人のこと好きなのかな。二人が並んだ姿、お似合いだったもんな。
色々な感情が、ぐわっと胸中を駆け巡る。さっきとは違う意味で、泣きそうになる。
ペンダントをぐっと握った。
「ちょっとぉー」
呆れたように笑いながら、大鎌さんが言った。
「なんて顔しているの? ちょっとからかっただけじゃない。貴方を泣かせたら、あたしが友哉に怒られちゃうじゃないのよぉ」
「な、泣いてません!」
慌てて否定すると、
「……ならいいけどぉ?」
納得していなさそうな声。それから、なんだか優しく笑った。
「ねぇ、あたしの話ちゃんと聞いていた? あいつはなんだか知らないけど、貴方に夢中なのよ?」
「へ?」
「……貴方、意外と理解力ないのね?」
バカにしたように言われる。
「友哉は貴方のためにあの店を作って、貴方のためにあの店を守ろうとしたのよ。わかってる?」
言われて、今聞いた話を総合してみる。
「え? あれ?」
確かにそういう話だった。
「あいつがどこまでの感情でやっているのかはわかんないけど、貴方のこと大切に思っていることは確かなのよ」
好かれている自信はあったけれども、それやっぱり間違っていなかったんだろうか。恋愛感情では、今はまだないにしても。
ちょっと赤くなった頬を両手で押さえる。大鎌さんから隠すように。
「それからね」
大鎌さんが、ひらりと優雅に左手をかえした。手の甲が見えるように。
「あたし、もうすぐ結婚するの」
その薬指に光る、指輪。
「あ、貴方バカそうだから一応言っておくけど、相手は友哉じゃないわよ」
「さすがにわかってます!」
今の流れで、相手がマスターだとか言われたら、私はもう何を信じていいのかわからなくなる。
大鎌さんは、それはよかったわ、とバカにしたように頷いた。それから、
「相手はね、普通の人間の男性」
さらっと爆弾発言をした。
「……え、人間?」
カマイタチじゃなくって?
「そう。仕事がらみでね、助けたひとなんだけど」
「ああ、あの黒男みたいなことが?」
「そう。たまにいるのよ、ルールを破って人間に手を出すアホーが。それでまあ、助けたのは仕事だったし、そこで向こうもあたしがカマイタチなことはわかったんだけどね、なんか惚れられちゃって」
左手を頬にあてて、うっとりと大鎌さんが笑う。綺麗に。
「なんか悪い気、しなかったし。っていうか、割と好みのタイプだったし。三年付き合って、今度結婚するの」
「そうなんですか……。あ、おめでとうございます」
「ありがと」
だからね、と優しい声で続ける。
「面倒なこともたくさんあるけれども、人間とそれ以外が付き合うのも、夢物語じゃないし、悪くはないわよ? 友哉自身、両親を見ているだろうから、そこに抵抗はないだろうしね」
ああ、これは。励ましてくれているのか。なんだか口が悪いけれども。
「……はい」
頷く。
そこに問題がないのならば、あとはきっと、私とマスターの気持ちの問題なのだ。
しっかりと大鎌さんの目を見て頷くと、彼女はふふっと満足そうに笑った。
「大和撫子の再営業は、丁度一週間後、次の土曜日からだって。あの不死者とかいう彼からの伝言」
それじゃあ帰るわ、と大鎌さんは立ち上がりながら、色っぽく笑った。
「それまでしっかり考えなさい。あいつはあれでなかなかに、びびりで情けないから、貴方がしっかり、ケツを叩いてやりなさいね」
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