第7話
それにしても、揉めているというのは思ったより大変な事態らしい。最近、マスターはあんまり店にいない。私が学校を終えて行くと、私と英輔さんに任せて店から出て行ってしまう。
「大変そうですねー」
「これじゃぁなんのために俺がいるかわかったもんじゃないねー。どうも美女と一緒にいるっぽいしねー」
私の言葉に、英輔さんがまた、皮肉ったような相槌をうってくる。
「……そーですね」
面倒になってそう返事すると、
「あ、認めた」
楽しそうに英輔さんが笑った。
「だってもうばれてるし……」
「そうだねー」
キッチンから楽しそうな笑い声がする。
基本的に、以前から私はフロアを担当することが多い。それはマスターの「給仕するなら可愛い制服の女の子でしょ」の方針に基づいている。キッチンもできなくないし、マスターと二人の時はキッチンもやっていたけれども。
英輔さんも、ようやくキッチンの仕事を覚えたので、今日も私がフロアを担当している。
「つまみ食いしないでくださいねー」
フロアから投げやりに声をかけると、
「しないよっ!」
ちょっと焦ったような声がした。何をつまみ食いしたんだ、今度は。
最近、餡子やアイスの減りがはやい気がするのはきっと気のせいじゃない。例え一回がほんの少しでも、英輔さんのことだから、何回もそれを繰り返しているのだろう。マスターが、もう諦めているみたいだからいいんだけれども。
「ごちそうさま」
「ありがとうございましたー!」
帰るお客様に慌てて声をかけると、お会計を済ませる。
「あれ、誰もいなくなっちゃった?」
キッチンから顔をのぞかせて、英輔さんが言う。
「はい」
見事に今、お客様はいない。
「今日暇だねー」
「そうですねー」
売り上げが心配になるな……。あと、暇だと余計なことを考えてしまうから、それも嫌だ。
「あ、裏の冷凍庫あるでしょ?」
「ああ、はい」
キッチンを抜けて裏口から出ると、小さな物置がある。そこが更衣室兼倉庫だ。そこにアイスなどの予備をいれておく、小さな冷凍庫がある。
「あれの霜取り、沢村さんに頼まれてて。ちょっとやってきていい?」
「ああ、どうぞ。暇ですし。一人で大体出来ますし」
「だよね。混んだら呼んで」
と、すっかり手慣れた様子で英輔さんが奥に消える。
まあ、ここで寝泊まりして、勤務時間外でもここで餡蜜食べていれば慣れもするだろう。よほどの混雑時以外、右の一番奥の席は、英輔さんの席としてお客様にもインプットされている。それはそれで、問題だと思うんだけれども……。
呆れてちょっと笑いながら、先ほど帰ったお客様のテーブルを片付けに行く。
ふっと椅子を見ると、ライターが置いてあった。さっきのお客様の忘れ物だろうか。百円ライターっぽいけれども、中身もまだあるし、捨てたわけじゃないだろう。毎週金曜日に来る常連さんだし、一応とっておいて、来週いらっしゃった時にでも返そう。そう思って、とりあえずエプロンのポケットに滑り込ませる。
ちりん、と鈴の音がして、
「いらっしゃいませー!」
反射的に声をかけた。声をかけてから顔をあげ、入り口を見ると、
「あ……」
そこに居たのは、この前の枯れ木のような黒い男だった。
正面から対峙すると妙な威圧感があって、やっぱり嫌だ。好きになれない。
むしろ、なんだか、怖い。
「……店長は今おりませんが」
戸惑いながらも声をかけると、
「知っている」
ざらついた声で言われた。
「だから来た」
ああ、そういえば、マスター、この人に呼ばれて出て行ったんじゃなかったっけ? それなのになんで来ているんだろう。
「半血の分際で店を持ち、引こうともしない。こうなれば実力行使だ」
「はい?」
「悪く思うな」
言うと同時に、男の姿が掻き消える。
「え」
驚いて瞬きした瞬間、目の前にいたのは真っ黒な大きな、狼だった。
「っ!」
手に持ったままだったカップが、床に落ちる。
がっしゃん、っと音がした。
狼はそれを気にせず近づいて来る。大きな口をあけて。
「やっ」
思わず瞳を閉じる。
「理恵ちゃんっ!」
英輔さんの声がして、何か鈍い音がした。
「大丈夫っ!?」
腕を掴まれて眼をあけると、英輔さんが私と狼の間に割って入っていた。その右腕に、がぶりと狼の牙がささっている。
「やっ」
私の悲鳴に、
「平気平気」
英輔さんは笑いながらいい、私の腕を離すと、その手で狼の鼻先を殴りにかかった。狼が口を離し距離をとるから、拳は狼の鼻先をかすめるに留まる。
英輔さんはもう一度私の腕を掴むと、私を背中に庇うようにし、軽く押す。とんっと私の背中が壁にあたった。
「英輔さん、腕っ」
ぽたぽたと英輔さんの腕から血が流れている。
「平気だって」
「平気なわけっ!」
「だから、俺、不老不死の不死身だって言わなかった?」
英輔さんは言いながら、私の腕を離し、左手で傷口をそっと撫でるようにする。そうして手を離すと、
「え……」
傷口はすっかり消えていた。
「言ったでしょう?」
ちらりと一瞬だけ私を見て、英輔さんはへらりと笑う。
「え、あれ、マジだったの……?」
思わず小さく呟く。たちの悪い冗談だと思っていたのに、本当に本当だったの?
「ふん、やはりな。ただの人間ではないと思ったが」
狼がそう喋った。ざらついた声で。
「しゃ、しゃべったぁぁっ!?」
「そりゃあ喋るっしょ、狼男だもん」
「狼男っ!?」
私の驚愕の言葉に、英輔さんも狼も返事をしない。え、っていうかあのざらついた声、もしかして、もしかしなくても、あの黒男がこの狼になったの?
「理恵ちゃんの悲鳴が聞こえて戻ってきてみれば、随分毛深いお客様で。つーか、一応飲食店なんで、犬畜生の御入店はお控え願いたいかなぁ」
英輔さんが軽く鼻で笑う。横顔はいつもと同じようにへらへらしているけれども、瞳が嫌に真剣だ。
「俺、死なないし、そこそこ強いよ? 理恵ちゃんを人質にでもとって、沢村さんに言うこと聞かせようとでも思ったんだけど、諦めたら?」
展開の速さに圧倒されて、金魚みたいに口をぱくぱくさせている私を無視して、狼と英輔さんは話を進めて行く。
「今日こそあいつには、この店を畳んでもらわねば」
「半血だから? でもさぁ、狼男ってそれ自体が人間と狼のハーフとかじゃねーの? 狼男と人間だと、んー、クォーター的な? それが半血とかに拘るのってなんかうけるぅー」
英輔さんがいつものようなへらへらした口調で、煽るように言葉を重ねる。
「黙れこわっぱ。部外者はひっこめ」
それに狼が牙をみせて答えた。鋭い牙。背筋がぞっとする。あれに噛まれたら、ただじゃすまない。
指がネックレスを求めて、胸元を彷徨う。指先が震えているのが自分でもわかった。
「部外者じゃないよー。だって俺、ここのバイトだもん」
そうしてへらっと英輔さんは笑う。眼は鋭く、狼を睨んでいたけれども。
「その小娘を渡してもらおう」
「無理にきまってんじゃん」
「力づくでやってやる」
狼はそこで、わぉんと一つ、吠える。
すると、入り口のドアを蹴破るような勢いで影が飛び込んで来た。たちまちそれらに周りを囲まれる。四頭の狼達。
「不死だかなんだか知らないが、多勢に無勢の言葉もあろう」
黒男がせせら笑う。
英輔さんは私を庇うようにしながらも、周りを囲む狼を見て、うーんと頭を掻いた。
「確かにこれは厳しいかなー。一人なら平気だけど、理恵ちゃんいるし」
ああ、私が足枷になっているんだろうか。いやっていうか、この状況は一体なんなの?
「だからまあ、沢村さん、お願い」
英輔さんが呟いたのと、キッチンの方からうぉぉんっと遠吠えのような声が聞こえたのは同時だった。
恐らく裏口から入って来たのだろう、黒い影がカウンターを飛び越えて、まわりの狼も飛び越えて、英輔さんの横に着地した。それは、黒男よりも一回り小さい、灰色の狼だった。
「理恵ちゃん、乗れっ」
その狼が叫ぶ。
「えっ」
その声には聞き覚えがあった。嫌という程。
「マスター?」
「そうだよっ」
「えっ、なんで」
「説明はあと! いいから早く!」
狼なマスターがぐっとその背中を私に近づける。
「理恵ちゃん、大人しく乗って。あいつらの狙いは理恵ちゃんなんだから」
英輔さんも言ってくる。
「それ間違いなく沢村さんだから大丈夫」
戯けたようにつけたされる。
「理恵ちゃん!」
焦れたように狼が叫ぶ。
なにがなんだかわからないけれども、このままここにいては英輔さんの邪魔になることだけはわかった。
「すみません」
失礼しますっと、その狼の背中に乗る。小柄と言えども、私が乗っても余裕のようだった。
「英輔、頼む」
「はいはい」
狼なマスターは英輔さんに一つ声をかけると、また飛んだ。
「させるか!」
黒男が叫び、それを邪魔しようとするのを、
「邪魔すんなつーの」
英輔さんが回し蹴りの要領で牽制する。そのまま、流れる勢いで五頭相手に攻撃を加えていく。動物愛護団体から抗議が来そうなほどの力で。
それを尻目に、私を乗せた狼は、入り口から外に出た。
「待てっ!」
後ろからの制止の声。あのざらついた声。
それも無視して、マスターは空に高く、飛び上がった。私はなんだかよくわからないまま、ものすごいスピードで屋根の上を走って行く狼に、振り落とされないようにしっかりしがみついた。
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