第2話

 結局、マスターの判断を仰ぐことになった。

「っていってもまあ、三三〇円だし。無銭飲食するつもりでもなかったんだろうし。九州男児を食べるなんていうレアな光景を見させてもらったし、別になぁ」

 マスターは頼りになるんだからならないんだか、微妙な口調でそう言った。

「いいんじゃね? 駄目かね、理恵ちゃん」

「マスターがいいなら私が口を挟むことじゃありませんけど」

 原価の回収は出来ているわけだし。

「本当すみません」

「でも、所持金それだけっていうことですよね? 銀行口座もないって。それで今後の生活どうするおつもりだったんですか?」

 なけなしのお金で九州男児を食するとは。なんという人。

「んーまあ、どうにかなるよね」

 私の言葉に、彼はあっけらかんと笑う。

「仕事はしてないんですか?」

「うわっ、理恵ちゃん酷いこときくねー」

「いや、まあ」

「じゃあ、ここで働いたらいかがですか?」

「はぁ?」

 私の提案に素っ頓狂な声をあげたのはマスターの方だ。

「ちょっ、理恵ちゃん何言ってるのっ?」

「確かに一介のバイトが口を挟むのは出過ぎた真似だと思いますけど」

「なんで俺が可愛くもない男雇わなきゃいけないのっ!」

「顔、可愛い系ですよ、この人」

「まあ確かに。ってそうじゃないっ!」

「冗談です」

 でも、と私は真面目な気持ちで告げる。

「私も毎日来られるわけじゃないですし。マスター一人だと、大変じゃないですか?」

 私の表情に何を読み取ったのか。マスターは一瞬言葉に詰まる。

「……いやべつに大変じゃないけどさ」

「年中無休で休みないのに」

「理恵ちゃん居るときは休んでるし」

 いや、そこは休まないで欲しいんだけど。

「それぐらい疲れてるってことじゃないですか」

 沈黙。お互いににらみ合うようにする私たちに、

「いや、あの、俺の意思は?」

「ああ、忘れてました。どうですか?」

「っていうか、その、名前は?」

 ようやく基本情報を確認するに至った間抜けな私たちを、彼は面白そうに見ながら、

「神坂英輔」

 端的に名乗った。

「神坂さん。バイトしません?」

「神坂くん、バイトする気なんてないよね?」

「マスター」

「理恵ちゃん」

 再び睨み合う私たち。神坂英輔は、もう完全に笑いながら、

「懐寂しいから」

 いや、寂しいってレベルじゃないだろ、それ。

「雇ってもらうのは吝かではないけど、でも」

 そうして彼は、首を傾げた。

「俺、人じゃないんだけど、人外も採用してんの? ここ」

 そして再びの沈黙。

「はあっ?」

「はい?」

 期せずして、マスターと声がはもった。神坂英輔はにこにこと笑っていた。

 これが私とマスターが神坂英輔と出会った日のこと。衝撃的以外の何者でもなかった。


 自分は戦争の為に作られた生物兵器で、見た目人間だけど常人離れした身体能力と、絶対に死なない体を持っている。以上が、神坂英輔が語った、自身の存在である。

「頭の可哀想な人なのかなぁー」

「理恵ちゃん……」

「だって、まともな人が、九州男児なんてもの食べます? お金もないのに」

「まあ、それはそうだね」

 メニュー考案した人までも同意する。

「じゃあわかった。やっぱり三三〇円の話は置いといて。寧ろ三千円も置いといて、帰ってもらおう。それでいいよね?」

 マスターがそう結論付ける。だけど、それもそれでなぁ……。

「でも、まともそうですよ。それ以外は」

「理恵ちゃんはどうしたいの?」

 マスターが呆れたような顔をする。

 自分でも支離滅裂だとは思うけれども、神坂英輔は変な人だと思うが、それでもここで働いて欲しい。

「なに、どうしてそんなに置いときたいのアレを。惚れたの?」

 戯けたようなマスターの声に、ちょっといらっとする。

「……バカですか」

 視線を逸らして小さく呟いた。

 私たちがごにょごにょ話している間、当の神坂英輔は常連のおばあさま方と楽しそうに談笑していた。

「でもほら、溶け込んでますよ」

「けどさぁ」

「あの」

 マスターの言葉を、神坂英輔の声が遮った。

「お客様です」

 彼が指差す先には常連のおじさま二人。

「いらっしゃいませー」

 私は慌てて営業スマイルを浮かべると、お冷やを持って行く。この二人はいつも決まったものを頼むので、メニューは持って行かない。

「ぜんざい二つ」

「はい、かしこまりました」

 わかっていながらも、お決まりの注文を受けて戻ると、神坂英輔とマスターが二人で何か話していた。

 取り込み中のようなので、自分でぜんざい二つを用意して、運ぶ。

「理恵ちゃん、あの子誰?」

 常連さんの言葉に、

「ええっと、色々あるんですけど。新しいバイト候補?」

「へぇ、マスターに負けず劣らず、イケメンだねー。しかし、珍しいね、マスターが男の子いれるなんて」

「それで渋ってるんですよ、あの人」

「でもまあ、確かに理恵ちゃんと二人じゃ大変だよね。マスター、一人の日多いし」

「……そうですよね」

 やはり、お客様から見てもそうなのだ。マスター一人じゃ大変だ。だからやっぱり譲れない。

「理恵ちゃん」

 マスターに手招きされる。お客様に一礼して向かうと、

「とりあえず一週間。様子見」

 どういう話し合いが行われたのか、そういう結論になったらしい。

「よろしくおねがいします」

 神坂英輔が一度頭をさげる。

「こちらこそ」

 ああ、よかった。これで少しはマスターの負担も減るかもしれない。

「まあ、とりあえず明日から来てもらって。って、平気?」

「はい」

「家どこなんですか?」

「ないよ?」

 ごくごく当たり前のようにふった質問に返ってきたのは、予想外の言葉だった。

「は? ない?」

 問い返すと、微笑んで頷かれた。え、笑う場面? ここ。

「……今までなにしてたの?」

 なんだか嫌そうにマスターが問うと、

「甘いもの探して旅しているから、いつも」

 なんでもないように答えられた。

「……世界は甘いものでまわっているんですか?」

「あ、そうかもね」

「なに、不死者の主食は甘いものだって?」

 揶揄するようにマスターが問いかける。

 不死者設定、拾っちゃっていいの? スルーしてあげたほうがいいんじゃないの? なんていう私の心配を余所に、

「ううん、趣味」

 なんでもないように神坂英輔はそれを受けた。

「……趣味って」

 苦々しくマスターが呟く。

「え、じゃあ、その、甘いもの探して旅をして、普段はホテルとかに泊まっていたってことですか?」

 それってある意味冒険家みたい。

「大体ネカフェ。安くて良いよね」

「ネカフェ難民か」

「ちょっと古くないですか?」

「事実そうじゃん」

「いやいや、俺は自主的にネカフェ選択しているんで」

「威張るな」

「でも、所持金無くなっちゃったなら、それも無理なんじゃないですか? 今日からどうするんですか?」

 私の当然といえば当然の疑問に、二人の口がぴたりと閉じる。

「……そうだよ、どうすんの?」

 マスターが尋ねると、

「考えてなかったなー」

 あっけらかんとした言葉が返ってきた。

「自分のことだろうが」

「まあそうだけど。うーん、まあ、その辺で野宿とかするからいいよ」

「危ないですよ」

 そりゃあ、今は春だから暖かくて、凍死の危険性はないだろうけれども。

「大丈夫だよ、言ったでしょ? 俺は死なない、って」

 またそんな夢みたいなことを。

「……従業員に野宿される俺の立場にもなれよ」

 マスターが大きな溜息を吐きながら言った。

「店の評判にかかわるだろうが」

「そんなもの気にするんだ」

「そんなものってなんだよ」

 二人の掛け合いを少し意外に思う。まるで旧知の仲のようなノリで会話するから。それほど馬が合う、ってことかしら。

「じゃあいいや、ここに住めよ」

 面倒くさそうにマスターが言う。

「え、いいんですか」

 驚いたのは私の方だ。

「だってしょうがないじゃん。俺の家には泊めたくないし、理恵ちゃんの家とか当然論外だし」

「……そりゃあ、まあ」

 私の家、当然他の家族がいますしね?

「毛布ぐらい持って来てやるよ。ソファー並べりゃ寝られるだろ。すぐそこに銭湯もあるし、キッチン使っていいし。食材はだめだけど。あー、銭湯に行ったり、食材買う金がないか……。それは、貸すわ」

 半ば投げやりにマスターが言うのを、

「いいの? 俺、レジの金持って逃げるかもよ?」

 おおよそ、許諾される側の人間とは思えない発言で神坂英輔がうける。それをマスターは鼻で笑って受け流した。

「そんなことになったら地の果てまでも追いかけてやる」

「言ってみただけ」

 と、またちょっと仲のいいような会話。

「金庫ありますしねー」

 ちょっぴり疎外感をうけながら強引に話に加わると、神坂英輔は、

「壊せるけどねー」

 と、やっぱり意味不明なことを言った。もういいって、その人並みはずれた身体能力とかそういう設定。

「じゃあ、まあ、そういうことで」

 マスターがどこか疲れたように呟いた。

 ……なんか、余計なことをして、余計に疲れさせてしまっただろうか。ちょっと後悔した。

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