甘味処 大和撫子

小高まあな

第1話

 神坂英輔への第一印象は、衝撃的以外の何者でもなかった。


 甘味処、大和撫子。そこが私のバイト先だ。俗に海老茶式部と呼ばれる女袴と革靴、さらに白いフリルのついたエプロンの制服に一目惚れしたのをきっかけに、高校に入学してから一年半、働いている。

 奥まった通りにあるからか、ほぼ常連さんしか来ない、のんびりとしたお店である。

 そもそも店自体が広くない。入り口はいってまっすぐ、右側に四人がけのテーブルが、左側に二人がけのテーブルが四つずつ縱に並んでいるだけの小ささだ。従業員もホールに一人、キッチンに一人居れば事足りる。まあ、大体は両方を一人でまわしているんだけれども。

 そんな特に変わったことのない、大和撫子に新たな風を吹かせたのが、神坂英輔だった。

 甘味処、というだけあって大和撫子のメニューは餡蜜などの甘いものが多い。必然、客層は女性が八割。男性客は女連れか、お年寄りが多い。あとは、年齢も性別も不詳な人。

 彼はそんなところに、単身乗り込んで来た。

 珍しいな、と思った。丁度接客中だった常連さんも、「珍しいね」と呟いた。常連さんはいつも被っているフードを軽くあげて、その人を見る。

「若い男が一人でって。まあ、人のこと言えないけど」

 軽く肩を竦めたその人も、年齢的にはそのご新規さんと同じ、二十代前半ぐらいだ。

 でも、常連さんじゃなくって、若いご新規の男性が一人、なんてバイトを初めて二年目。数える程しかない。

 お冷やとメニューを持って彼の元に向かう。

 彼は私を見ると、メニューを見ることなく、いい笑顔で言った。

「九州男児を」

 私は一瞬、言われたことが理解できなかった。

「はい?」

 接客業にあるまじき態度で聞き返してしまう。彼は気を悪くしたようすは見せずに、

「九州男児を」

 明瞭な発音でもう一度答えた。

 聞き間違いじゃ、なかった。

 店内にいる人々に、衝撃が走る。

「お、おまちくださいっ」

 私はなんとかそれだけいうと、キッチンに向かう。キッチンは細長い。横歩きでかろうじて人がすれ違うほどの広さしかない。

 そんなキッチンではマスターが折りたたみ式の椅子に座って腕組みしていた。ひょろっと長いその体を、綺麗に椅子の上に収納している。っていうか、寝ている……。

 意外かもしれないが、この店のマスターは二十代後半の男性だ。

 この店を始めたのは喫茶店をやりたかったという夢と、可愛い女の子に海老茶式部の格好させたかったんだよねーという夢を両立させるためのものらしい。それを知ったときは本気で辞めようか考えた。だってその制服にまんまとひっかかっているわけだし。

 一週間のうち六日は、本当こいつは駄目な大人だなぁ! と私に殺意を抱かせる、素晴らしい人格の持ち主だ。残りの一日で頼りになるところをちらりと見せることと、バイトが他にいなくて放っておけないためこの店にいる。

「マスター!」

 オーダー品を出すカウンターから、身を乗り出し、中を覗き込むようにして呼びかける。

「んー。理恵ちゃんなにー。全部一人で出来るでしょうー。混んだのー?」

 呼んでもむにゃむにゃと答えるだけ。ええ、ええ。マスターが使えないから一人で店まわせますよ。普段なら。

「起きて! 九州男児が入りました!」

「は?」

 九州男児の言葉はマスターを一瞬で覚醒させる程の威力があった。

「九州男児が?」

「ええ、九州男児が」

 キッチンの空気がキンっと張りつめる。

 マスターはがたり、と音を立てて立ち上がると、戸棚からソレを取り出した。二年目にして初めて見る、その器。顔の三倍ぐらいの大きさはある、大きめの金魚鉢。

 そう、九州男児とは金魚鉢餡蜜のことなのだ。

 その昔、マスターの「なんか目玉メニューとか欲しくね?」というわけのわからない一言によって考案されたという、その餡蜜。数人でわけるの禁止、一人で食べること、お残し絶対禁止、という妙なルールのせいで、実際に提供されたことは過去二度しかないという。寧ろ二人も馬鹿がいたことに私は驚きを隠せない。三千円もするのに。

 マスターは手際良く金魚鉢を埋めていく。まずは寒天を敷き詰め、その上から餡子やら白玉やらフルーツやらを手際よくのせていく。

 ああ、今日のマスターは、一週間に一回の貴重な頼れるマスターだ。思わず手を合わせて拝む私。毎日シフト入っているわけではないので、頼れるマスターを見られるのは貴重なのだ。というか、私が来ない日はマスター一人でうまくやっているのだろうか。じゃあそこで頼れるマスターは消費しているのだろうか。シフト入ってない日に来ようかな客として。

 などと思っている間にも、金魚鉢は綺麗に埋まった。仕上げに生クリームとアイスクリームがのせられる。

「よし、理恵ちゃん、頼む」

 やりきった顔をしているマスターに頷きかけると、金魚鉢をトレーに乗せようと持ち上げかけて、

「……あ、無理」

 重くて持ち上がらなかった。

 結局マスターに席まで持って行ってもらう。

「おまたせしましたー」

「どうも」

 彼は微笑むと、附属の黒蜜をじゃばじゃばかけた。いや、黒蜜は何も全部かけなくてもいいんですよ! 誰か教えてあげて!

 彼は甘ったるそうな物体Xをうっとりしながら口にした。

「あまっ」

 食べてないはずのマスターが隣で呟いた。

 店内の視線は、彼に注がれている。

 彼は一口食べ、満足そうに頷く。そして、また一口、一口、一口。驚異的なスピードで金魚鉢が空になっていく。

「はやい」

 誰かが感嘆の声を漏らす。

「まあ、早く食べたところで別に賞金とかでないけどね、これ」

 マスターが呟く。

「やればいいんじゃないですか、早食いチャレンジ」

「やだよ」

「まぁ、賞金出すの大変ですもんね」

「あの餡蜜作るの大変なんだよ」

「え、そっち?」

 などと話している間に、金魚鉢は綺麗さっぱり、空になった。

 彼は手をあわせて、ごちそうさまでした、と呟くと伝票を持って立ち上がる。

 私は慌ててレジに行き、

「三千円です」

「はーい」

 そうして彼は財布を開き、千円札を二枚だす。そこで動きが止まる。

 ちらり、と視線を動かすと、どう見てもその中にお札はもうなかった。

「あれ……」

 慌てた様子で小銭を全てトレーにあける。五百円玉はない。あるのは百円玉が少しと、十円玉がもう少し。

「……小銭、六七〇円ですね」

 小さく呟くと、彼はぱたぱたとポケットなんかを漁り、そして、

「……あの、すみません」

 情けない声で呟いた。

「お金、足りないんですね」

 私が確認すると、彼はますます情けない声で、

「すみません」

 と呟いた。

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