15 夢のコントロールの探求(3)「気球の夢」

前略

 夢の世界は希望に満ちているなどと言うことは、むなしい。そんなありふれた批判をきみは書いてよこさなかった。そんなことは、わかりきったことであり、言うまでもないことである。きみの批判は、そんな身も蓋もない批判よりも、はるかに手の込んだものだったが、いまのぼくにはそれに反論する術が見当たらないので、今日のところは、きみから寄せられた批判を、忠告として胸のうちにしまっておくことにしよう。

 ところで、きみの夢の中での希望は、自由に空を飛ぶことだった。この子供じみた夢が、どうして人の心をかくも惹きつけるのか。その理由は定かではないが、一部には、それが現実には不可能なことだからにちがいない。実は、きみが言い出す前から、ぼくはこれまでに何度も夢の中で空を飛ぼうと試みたことがある。

 だがそれは、失敗の連続であった。あるときは崖の上から、鳥になった気分で、あるときはマンションのベランダから、風に誘われるように、飛んだが、いずれも見るも無残な結果に終わった。しかし、ぼくは転んでもただでは起きなかった。失敗から学ぶことも少なからずあった。「敗因」を分析し、新たな策を考え、試みては挫折し、また起き上がるの繰り返しだった。

 そうして、先日になってようやく、この試みにひとつの成果がもたらされたので、以下では、そのときの夢の内容をきみに報告しておくことにする。

 それは気球に乗っている夢だった。最初のうちは、まだそれが夢であるという自覚はなかった。気球には同乗者が五人ほどいたが、ほとんどがぼくの友人で、もしかしたらきみも乗っていたかもしれない。気球はだだっ広い平野の上空を飛行していた。気球を操縦していたのは、テレビで見かけたことのある白人の男性で、黒いサングラスをかけていた。彼はある方向を指差して、やけに流暢な日本語で、「ほら、あそこに見えるのが、有名な……ですよ」と叫んだが、ぼくにはなんのことだかわからなかった。ただ緑の草原と丘が果てしなく続いているように見えた。

 それからしばらくして、なぜだか知らないが、上空で気球を放棄して、パラシュートで地上に降りることになった。ぼくは不安を感じながらも、ぼくよりずっと不安げな表情でおどおどしている友人たちの様子を眺めて、冷静さを保とうとしていた。そのときふと、これは夢なのだと気づいた。何がきっかけとなったのかは、はっきりしないのだが、自分がいま非現実的状況に置かれているのは明らかだし、友人の顔を見て安心したのが、冷静になるきっかけになったとも考えられる。

 ぼくは、どのみち気球から離脱しなければならないのなら、いっそのことパラシュートをつけずに、空を飛べるかどうか試してみたいと思った。

 空を飛ぶこと自体は、原理的には可能なはずだった。子供の頃に、自分が空を飛んでいる夢を見たことがあったからだ。ただし、それはあくまで通常の夢での話である。同じ行動でも、通常の夢で意識せずにやるのと、明晰夢でやるのとでは、ぜんぜんちがう。失望させるようなことを言うけれども、現実でできないことは、明晰夢で試みても、たいていうまくいかない。少なくとも最初のうちは、そうである。これまでの数々の失敗を反省してみて、確かなことだと思われるのは、うまくいくイメージができていないことは、確実に失敗するということである。だから、空を飛ぶという行動に関して、日頃からイメージを逞しくしておくことが大事だと考えた。知識なんてものは必要ではない。重要なのはイメージである。それはどんなにばからしいイメージでもよい。どのみち、空を飛べる理屈なんて、わかりようがないのだから。

 失敗しても死にはしないが、これまでの例から言って、落下する途中で目が覚めてしまうのは不可避であり、したがって一発勝負であった。ぼくは手すりに足をかけ身を乗り出した。すると、初めて気球の籠の底のほうが見えたが、ぼくはその様子に、驚くというよりあきれた。気球はじつは空を飛んでいたのではなく、古びたレンガ造りの、恐ろしく高い煙突のような構造物に乗っかっていただけなのである。だがいまはそんなことに気をとられている場合ではない。

 ぼくは弾みをつけて、手すりから空中に勢いよくジャンプした。そのさい、右腕を前方にまっすぐのばし、テレビアニメに出てくるヒーローの真似をしてみせた。冷静に考えるとばかみたいだが、何か型にはまった象徴的なアクションが、空を飛ぶために重要であるような気がしたからだ。すると、なんとぼくの身体は、重力に逆らって、空中を漂い始めた。ぼくは『成功だ』と心の中で叫んだ。はじめてぼくのからだが宙に浮いたのだ。なによりもまずこのことを、ひとつの比類なき成果としてここに書き留めておきたい。

 そこから先は、まだ課題が残る展開となった。宙に浮かぶことには成功したが、思ったような飛行速度が出ず、このままでは飛んでいると言うより、ふわふわと宙を漂っていると言うほうが正しかった。どうやって速度をあげたらいか、まったくわからなかったし、そのためのイメージの準備もなかった。体感的にも、宙に浮いているというよりは、粘度の高い液体に浮かんでいるような妙な感じで、無色透明の見えない何かが、周囲からぼくの身体を支えていたと表現したほうがよい。

 ぼくは、なんとか速度を上げようと思って、しばらくのあいだ、水泳でもするかのように、無色透明のぐにゃぐにゃした何かと格闘していたが、ふいに、耳元でバサバサと音が鳴るのを聞いた。音がする方を振り向くと、視界の端に、黒い鳥が羽根をばたつかせているのが見え、次いで、何かが破裂するような、乾いた音が聞こえた。ぼくは嫌な予感がした。果たせるかな、ぼくの胴体には、無数の風船が紐でくくりつけられており、どうやらぼくの身体は、風船の浮力で宙に浮いているということになったらしい。案の定、黒い鳥が風船を一つ割るごとに、ぼくの身体は地上に向けて下降を始めた。徐々にスピードを上げながら、イカロスのように、最後には真っ逆さまに落下していった。

 地上が近づくにつれ、視界が徐々にぼやけてきて、視覚以外の感覚が脱落してしまうと、やがて視界もフェードアウトしていき、今度は何か、農村の風景のような画像に切り替わった。どうやらそれは、ぼくが小さかった頃の地元の風景のようであった。それからも、しばらくは夢の自覚があったが、何か不明な段階を経て、意識が子供の頃の自分に戻っていってしまい、通常の夢へと移行してしまったようである。

 夢の話は以上だが、最後にぼくの感想を手短に述べておこう。今回の試みは、中盤以降の展開こそ散々だったものの、空を飛ぶという目的に関して言えば、まずまずの成果を収めたと言える。なによりもまず、宙に浮かぶという現実では不可能なことを自分の意志で成し遂げたということを、ぜひとも評価していただきたい。

 常識的に考えるならば、ぼくの身体には最初から風船が結びつけられていて、ぼくはその浮力で浮いていたと結論されるだろうが、ぼくはそのようには考えない。夢の世界では、先ほどまで存在しなかったものが突如として現れるのは、よくあることであって、おそらくは風船も、カラスの出現と同時に現れたと考えられる。それを認知した瞬間に、ぼくの身体を宙に浮かせている原因が、超自然的な力から、風船というありきたりな原因に置き換わってしまったと解釈できるのである。

 よって、空を飛ぶというぼくの意図的な行動は、不完全な仕方ではあるが実現していたとみなされるべきである。ぼくが自分の意志で空を飛んでいたことは否定しがたい事実である。むろん飛行速度など改善の余地はあるが、そうしたことは程度問題にすぎず、成功か失敗かと聞かれたら、ぼくは成功だと胸を張って答えるだろう。ぼくは、それほど遠くない将来、もっとより完全な仕方で、自由に空を飛べる日が来ると確信している。その端緒を切り開いた今回の成果は、計り知れないほど大きな一歩だと考えている。だからぼくとしては、今回の成果におおいに満足しているのである。

 ともあれ、客観的な意見として、きみの意見も聞いてみなければなるまい。冷静な視点から、きみがどう判定するのか多少は気になっている。お返事を心待ちにしている。   草々

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