13 夢のコントロールの探求(1)

前略 

 きみがぼくの説明に満足したのかは判然としないが、ともかくきみは、ぼくの言うことを信じて、ぼくの探求を支持したいと言う。「信じる」とはどういう心の働きなのか、詳しい検討をはじめると長くなるのでやめるけれど、「支持する」という言葉には、どちらかというと受動的なニュアンスがある。どうやらきみは、現在のところはまだ、自分でも明晰夢を見たいとそれほど熱心に考えているわけではなさそうである。

 明晰夢に関して、きみが興味を抱いているのはむしろ、ぼくの実践的探究が今後どのような成果を得るかということだ。きみは、現時点では、自分でどうこうしようというつもりはなくて、ぼくの夢の世界の探検を遠くから見守り、ときどきぼくの冒険譚を聞いて楽しむくらいの心づもりである。ずばり言えば、きみは、ぼくをつかって、夢の中でどれくらいのことが可能なのか実験させようという腹づもりなのだ。当たらずとも遠からずといったところだろう? いや、きみのその気持ちは、ぼくにもわからないではない。

 いまのところ、明晰夢はなんだか物凄いものであるかのように喧伝されているが、その効用がいかなるものであるかは、いまだ不明確である。素晴らしい効果があると謳われた「薬」が、いざためしてみると、まったく所期の効果を生ぜしめないことは、ままあることである。思わぬ副作用が生じるということもありえよう。慎重な人ならば、信頼に足る証言を得て初めて、商品の購入を検討し始めるにちがいない。これと同じことが、いまのきみにもそっくりそのまま言える。明晰夢を見るための方法を真面目に検討するのは、その効用を確かめてからでも遅くはない。それが本当に素晴らし効果を生ぜしめるとわかった後でなら、明晰夢を見るための研究に幾ばくかの労力と時間を支払うのにやぶさかではない。きみはそう判断した。

 どうやらきみは、なるだけ他人に働かせて、自分は楽をしようという狡賢いところがあるようだが、ぼくはきみのそういうしたたかなところが嫌いではなく、むしろ高く買っているのだから、安心したまえ。それに、ぼくとしても、ぼくの探求に試験的価値があるときみが考えているうちは、きみも興味を失わないだろうと安心することができる。

 よろしい。それじゃあきみは指をくわえて見ていたまえ。ぼくの探求がどのような結果になるのかを。

 夢の中では一切が可能なのかどうか。夢は人間に癒しと慰めを、それどころか生きる希望すら、与えるものなのかどうか。きみにはぜひとも、その判定者の役を買って出てもらいたい。良いお返事を期待している。   草々

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