12 追伸:「スパナを持った女」

追伸

 手紙で書き残したことをここで付言しておくことは、あらぬ誤解を避けるためにも有益なことであると信じる。ぼくがきみの考えを全面的に退けたのではないということは、強調しておかなければならない。

 実際、ぼくは部分的にきみの考えを維持している。これまで「明晰夢」とみなしてきた夢のサンプルの中には、疑似明晰夢と呼ばれるべき事例が含まれているのではないか。このように考えることは、ぼくが依然として「明晰夢は存在する」と固く信じていることに矛盾しない。ぼくが擁護しようとするのは、真正の明晰夢の事例だけであって、疑似明晰夢と判定されたものを通常の夢の範疇に含めることには、いささかも反論する気がない。この点は明確にしておくべきである。

 ぼくがきみの議論を受けて真実だと認めたのは、次のことである。世間にある多くの事柄と同様に、明晰夢にもまがい物が存在する。ただし、まがい物存在しないのではない。まがい物存在するのだ。そのように、きみの主張の含意を弱めることで、ぼくはきみの主張を受け入れたのである。つまるところ、きみが提示した論証は、世間で「明晰夢」として報告される夢のサンプル群から、まがい物を排除するための理論的基礎とみなされるであろう。そうして、真実の事例を混沌の海から救い出すことによって、きみの議論は「明晰夢は存在する」というぼくの主張の信憑性を高めることに、むしろ役立つのである。

 以下で、参考までに、疑似明晰夢と思しき夢のサンプルをひとつ紹介しよう。


「スパナを持った女」

 玄関に行くと、引き戸が開けっ放しにされていた。ほとんど全開に近い状態であり、外から月明かりが差し込んでいる。それを見て、ぼくは『まずいことになったかもしれない』と思う。戸を閉めておかないと犬が逃げるからである。ぼくは、戸を開けっ放しにしたのは自分だったかもしれないと思って、責任を感じている。幸い、犬は逃げていなかった。暗いのでよく見えなかったが、ふだん眠っているクッションの上に、確かにいるようであった。ぼくは『おとなしくしていてくれたか』と思った。

 ぼくは玄関の戸を閉めようとするが、何かにつかえて閉まらない。すると、庭先から、飼い犬に雰囲気が似た、しかし小さな犬が、こちらに入ってきた。その犬は細い首輪をしていた。ぼくは一瞬、やはり犬が逃げていたのかと錯覚した。その犬は可愛らしく、ぼくの腕にじゃれてきた。うちの犬がそのようにじゃれてくることは想像できないので、ぼくはその犬がやはり別の犬なのだと思う。その犬は小さいがけっこう凶暴で、ぼくの腕を本気で噛みにきている。意外と力も強く、噛まれると痛い。だが、悪い気はしなかった。ぼくは『こいつも家に入れてやっていいかな』と思った。その犬は家の中に入っていった。

 すぐに、やっぱりまずかったと思った。うちの犬が、その小さな犬に深くかみついて、殺そうとしていた。小さな犬の体は、ちぎれてしまうかもしれない。ぼくはその犬を助けようと思案した。が、実際には何も行動しなかった。『飼い犬をげんこつで強く殴れば、さすがのこいつもあきらめて口を開くだろう。しかし、よその犬のために、飼い犬にダメージを与えることは、気が引けることだ。』結局、ぼくは犬を殴らなかった。小さな犬は重傷を負い、助からないように見えた。

 玄関の戸は依然として開いたままであった。ただし、いまは半開きの状態であった。大きなスパナを持った、女? いや、人間ではなかったかもしれない。とにかく、武器になりそうな、巨大なスパナを手にした何かが、玄関の外にいた。得体が知れなかった。ぼくはそれを家の中に入れるわけにはいかなかった。

 その『女』は、知能がかなり低そうだったので、ぼくはそいつを挑発して、スパナをこちらに寄こすようにしむけた。そいつは攻撃のつもりで投げつけてきたらしいが、スパナは壁に当たり、ぼくは怪我を負わなかった。ぼくはスパナを拾って、そいつを威嚇した。激しく振り下ろす動作をして、こちらに攻撃の意志があることを示した。

 そのとき、ぼくはふと『これは夢だ』と思った。ぼくはそいつに躍りかかっていき、そいつの頭部に思い切りスパナを振り下ろした。そいつの頭はくだけたようだ。書き方が曖昧になるのは、実際、よくわからないからである。そいつはもう、もとの女のような何かではなかったようにも思われる。

 ここからの展開は、ものすごく奇妙である。敵の頭数は3体に増えていた。場所は、もとの薄暗い玄関ではなく、明かりがついており、自分の家でもなかった。ぼくは敵の頭上に、次々とスパナを思い切り振り下ろしていった。敵の頭はへこんだり、つぶれたりした。ところで、ぼくは『これは夢だ』と思っている。『よし、もっとよく観察してみて、敵の正体を確かめよう』

 すると、映像が致命的におかしくなり、自分が見ている映像が、テレビの中の映像のようになってしまった。いや実際に、目の前にテレビのモニターが現れ、ぼくが見てきたことは、モニターの中の出来事として、以後進行するようになってしまったのである。戻し方は、わからなかった。

 それから、女がやってきて、ぼくにこのように聞いた。「わたしの犬はどこ?」ぼくは女に言った。「あれはおまえの犬だったのか。おまえの犬は死んだ。でも、あれは夢だったんだ。」女は言った。「ええ、まさにそう。わたしが(こうして生きているのが)何よりの証拠だわ!」

 女が立ち去ると、ぼくはこう思い立った。『そうだ。夢の内容を忘れてしまわないうちに、いますぐメモをとろう!』自分はまだ起きていない(ということを薄々感じている)にも関わらず。とにかく、このときのぼくは、明晰夢を見たと確信しており、それが記録に値するものだと思っている。


コメント

 この夢は混乱しすぎていて、明晰夢と呼ぶことはできないように思われる。『これは夢だ』と思ったとしても、そのことからただちにその夢が明晰夢であると判定することはできないというきみの指摘は、基本的には正しいのである。

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