2 明晰夢を見るための方法(1)
前略
早速のお返事どうもありがとう。そうか。Tはまた職を変えたのか。いろいろ事情があるのだろうが、正直なところ、ぼくはTがうらやましい。ここでは毎日がひどく単調だから。
退屈な時間は、そのときは長く感じるけれども、後になってふりかえってみると、あっという間に過ぎたようにも感じる。たぶん、ふりかえってみたところで、思い出すべきものがそこに何もないからだろう。時間の経過を確認できる日々の足跡というものが、ここにはない。刑務所の仕事は、頭を使う余地なんてないし、休み時間とかでも、ぼくとまともに会話できる相手なんて、ここにはいない。だから、きみには本当に感謝している。きみに手紙を書いている時間が、いまのぼくにとっていちばん楽しい時間だ。
だから、きみがぼくの夢の話に興味を持ってくれて、ぼくはとてもうれしい。他にきみが興味を持ってくれそうな話題なんて、ここには転がっていないから。実のところ、きみはぼくの夢の話にそれほど興味を示さないかもしれないと思っていた。かく言うぼくだって、例えば昼食の席できみが昨夜見た夢の話をはじめようものなら、うんざりしてしまうかもしれない。夢の中できみがどんなに大きなケーキを食べたところで、それが何の自慢になろうか。きみが見た夢の出来事をあるがままに物語っていようといまいと、そんなことはぼくには無関係だ。夢の話など、周囲の人にとっては、空想や寝言と同じ価値しかもたないからである。
ところが、明晰夢の話となると、事情が別のようだ。たとえそれが夢であるとしても、そのなかで自分の欲求が満たされることは、その当人にとっては、一種の快楽である。それゆえに、誰しもが一度は、できることなら、夢の内容を自由にコントロールしたいと願うはずだ。なぜなら、夢の中では、一切が可能であるように思われるからである。
まえおきはこれくらいにして、きみが手紙に書いてきた質問に答えるとしよう。だが、その前に、きみにあやまっておかなければならないことがある。きみはぼくのことをたいへんうらやましがっているが、実のところ、ぼくはまだ夢の完全なコントロールには成功していない。ぼくの書き方も悪かったが、ぼくはまだ夢の中でなんでもできるというところまでは到達していないのだ。きみはぼくの餌にまんまと釣られてしまったわけだが、折角のことだし、ぼくのくだらない夢の話にもう少しつき合ってみてくれ。
さて、当然のこととして、きみは自分でも明晰夢を体験してみたいと思い、そのための方法をぼくに聞いてきた。どうすれば明晰夢を見られるのか。確実な方法は、ぼくも知らないが、明晰夢を見るための方法は、世界中で研究されていると聞く。なかには怪しげなものもあるが、世間でどういう方法が実践されているのか、詳しいことはぼくも知らないので、興味があるのなら、自分で調べてみてほしい。
ぼくに答えられるのは、これが夢だと気づくために重要な、日頃からの態度というか、認識の姿勢といったものがどのようなものかということだけだ。自分がいま見ているのが夢だと気づくためには、そのときの夢の状況から、何かがおかしいと感じ取らなければならない。例えば、夢の中で、もうこの世にいないはずの人と会話しているとき、ふと、『あれ、おかしいな』と感じたとすれば、そこから、『そうか、これは夢なのだ』という気づきに至るまでは、もはや猫の額ほどの距離しかない。しかし、そうは言っても、通常は、夢の世界がいかに滅茶苦茶でも、おかしいとは感じられず、当然のこととして受け入れられてしまう。これがどのような原因でそうなるのか、ぼくには知る由もないが、思うに、日頃から、あたりまえと思われることでも、実はあたりまえじゃないのではないか、なにかおかしいところがないかと、疑いの目を向ける批判的な姿勢が、明晰夢を見るためにいちばん重要だと思う。
もっとも、これは、別に明晰夢を見るためじゃなしに、日常の些細な出来事からも重要なことに気づけるように、ぼくがずっと意識的に続けてきた訓練の成果だから、他の人が真似しようとしても、一朝一夕には身につかないかもしれないがね。
それから、もう一つ重要なことは、自分の心の声に耳を澄ませる習慣を身につけることだ。たぶん、多くの人も、心のどこかでは、夢の状況が滅茶苦茶だと感じているはずだ。『何かがおかしい』という疑いが心に生じても、それが見逃されてしまえば、なんにもならない。ぼくに言わせれば、世間の多くの人は、自分が何を望んでいるのか、何をしようとしているのか反省することよりも、自分の望みをかなえ、自分の意志を押し通すのに心を砕くことに慣れすぎている。自分の心に浮かんでいることがらを表面的に把握するだけで、それらの土台となっている原因にまで突き進んで行こうとはしない。何かに違和感をおぼえても、たんにお腹がすいているせいだとか、今日の髪型のせいだとか、当たり障りのない理由をつけて処理していこうとする。日頃からそんな態度をとっている人が、目の前にある明白な事実に一生気づけないとしても、ぼくは驚かない。もちろん、きみがそのような人間だと、ぼくはこれっぽっちも思っていないがね。
そして、いま言ったことと密接に関係しているが、実際には如何ともしがたい条件として、心が落ち着いた状態にあることが挙げられる。夢の中で切羽詰った状況に追い込まれているときや、何かに熱中しているときには、それが夢だと気づくことは、まずないと思う。例えば、戦場にいて、マシンガンを持った男に追いかけられ、必死に逃げているような状況では、文字通り、無我夢中というやつで、冷静な判断をする心のゆとりはない。だから、このような状況で夢だと気づけなくても、自分はなんと愚かな人間なのだと、自分を責める必要はまったくない。
他にも細かいことはいろいろあるのだけれど、重要なのは以上の三点だと思う。なんだかやけに説教くさくなってしまったが、きみが明晰夢を見られるための一助となれば幸いである。
ほんとうは昨日見た夢の話もしたかったのだけれど、長くなりすぎたので、今回はこれで筆をおこうと思う。それでは、お体にお気をつけて。Tにもよろしく。 草々
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます