第93話 任務

 まるで工事中のようなガランとした空間。コンクリの剥がれた壁とそこから飛び出すねじれた鉄材が、オレンジ色のライトに薄く照らされていた。世界中から忘れ去られたみたいなフロアを進む僕達の頭上には、三階建てのベランダくらいの高さの手すりから身を乗り出している若い男女。

 ジェイの微笑に促されてジープを降りると、騒いでいた見物人たちが一瞬だけ時間を止めて、それからゆっくりと動き出した。

 五人、六人……もっと多いか。

 部屋の四隅にある扉から次々と沸いては消えていく彼らの感情に神経を澄ます。

 小田島セイは、かつてルーガの中でマジョリティーを占める人たちと友好関係にあった。だけど今の彼は、上層部の欠員を埋める選挙に出馬したオサの真意も知らなければ、チャムが今どんな顔で新しい生活を送っているのかすら知らずにいた。知ろうとすらしてこなかった。そして何よりも、チャムという彼らの希望を壊してしまった張本人だ。

 幸いなことに彼らから明確な敵意や害意は感じないけれど、それも多分僕の出方次第。ジェイの話からしても、この場に集った連中はルーガの敵は自分達の敵とみなすだろう。この人数を相手に乱闘になることは避けた方がいい。

「よう、新人。待ってたぜ」

 聞き覚えのある声は、背中の後ろの暗闇から。

「久しぶりだね、グエン」

 当たり前のように浮かべた僕の笑顔を受けて、アンチバイラスから派遣された先輩警備員の瞳に嫌悪が宿る。

「むかつくツラしやがって。……で、何の用だ? 誰に言われてここに来た?」

 誰に? 何の? そんな彼の問いに、微笑んだままの僕は何かの匂いを感じ取った。

「……有沢警備局長の通達だよ。しばらくここで夜警をしろってさ」

「はっ、あの兄貴か。んで、有沢の犬が俺たちを見張りにきたってわけか」

 薄暗闇の中、グエンと仲間たちの嘲笑が静かに響き渡る。頭の上から降り注ぐ興奮と期待。状況は悪い。まるでタイトルマッチが始まる前の観客席みたいじゃないか。

「どうかな。僕に探られて困るようなことがあるのかい?」

 困った様に笑いながら、倉庫のようにガランとした部屋を見渡していく。

 フロンティアの西側、海上に大きく張り出した場所。警備を担当するのはルーガの若者と、少数の警ら隊。きっと密輸にはもってこいだろう。


「例えば、お酒とかタバコとか、通信機器だとか。アンチバイラスの管理を外れた物があるのかな?」


 労働の負担が大きく、故にルーガの割合が多い港湾部従業者を牛耳って闇の流通ルートを形成する。そうして手に入れた金と酒とたばこやセックスとドラッグをばらまくことで経済力とコネを纏い、今や軍の上層部にも影響力を手に入れたの三男坊――有沢ヨウスケ。

 

 本来は軍によって管理と規制がなされているはずの品物達を探す真似をした僕の視線に、グエン達は少したじろんだ。それぞれの頭で、それぞれの事を考えながら、ふざけているのか本気なのかと小田島セイの出方をうかがっている。


 その中で、頭の後ろで手を組んで楽しげにしているジェイの顔をちらりと見る。彼の話じゃグエンのグループは『ヤバいやつら』から守ってくれるらしいけれど、結局つながる先は同じなんだ。


「規制品のガサ入れで、表舞台に上がろうとする弟の足を引っ張ってこいって送り込まれたんじゃないかって?」


 笑う。

 いいね。力を失いつつある独裁者と、その後釜を狙う息子たちの骨肉の争い。この島の人間なら、ましてや有沢ヨウスケの子飼いの彼らには想像しやすい物語に誰もが耳を貸している。僕の声に、言葉に、呼吸に、無防備に――呑まれて。

 にやける僕ををじっと見下ろしていた旧浄水場のリーダーは、くしゃくしゃと髪の毛を掻いた。

「……ったく、うるせえ野郎だな、てめえは――」

「大丈夫。僕は単純に、巣の中で発砲した罰として夜警を命じられただけだから――『それ以上は、誰にも何の指示も受けていない』」

「っ!?」

 目の前の僕と、頭の上の観覧者の誰か。突然に重なった二つの声に、グエンも彼の仲間たちも凍り付く。

「――てめえっ!?」

 前傾したリーダーの足に体重が乗る。その足が床を蹴り乱反射する動揺が怒りに変わる前に、僕は努めて冷静に微笑んで。

「大丈夫だって。無意識に独り言を言っちゃったってくらいだからね、多分後遺症は残らないと思うよ」

 錆びついた空間を満たすざわめきの中、小田島セイの言葉通りに我に返った少年が興奮気味に周りの人間と話し始めるのを見ると、今にも爆発しそうだった彼らのエネルギーが感嘆と畏怖へと変わり、言葉にならない声が漏れていく。

 噂の新入りと彼を敵視するリーダーの邂逅を見に来た仲間達の間から戦いを期待する雰囲気が消え、主導権を握られたことを感じ取ったグエンは小さく舌打ちをした。

「……なるほどね。噂通り、随分と自信がついたみたいじゃねえか」

 まあねと笑った僕の目を、少し離れた暗がりからグエンがまっすぐに見ていた。

「で、何人実験台にしたんだよ、クソ野郎。何人壊せば、無意味に人の頭ン中に入りこんどいて『このくらいなら大丈夫』なんて平気で言えるようになるんだよ? あん?」

 おぞましい化け物を見るような彼の笑みに、僕は相変わらずへらへらと首を振った。そうすれば、頭に浮かんでしまったいくつかの顔をごまかせるんじゃないかと思ったから。

「何人だ? その内ルーガは何人いたよ? はっ、てめえの言う通り大丈夫だぜ、別に今更キレたりしねえって。元帥も、今宮も――お前らはずっと俺たちをモルモット代わりに使ってきたんだからな」

 お互いのイメージの中に、共通する顔が一つ。幼く、純粋だったあの笑顔を思い浮かべたグエンは、痛みを超越した笑みを浮かべて。

「てめえらは言う。『リスクは十分に説明した、募集に対し志願した人間を使っている』。確かにその通り。ルーガにゃ金がねえからな。どうやったって、第三階層以下の仕事しかまわってこねえし、そこでも結局クソみたいなトラブルに巻き込まれてクビになる。だから、俺たちはこうやって稼いでる。てめえならわかるだろ、シュガー野郎。追い込まれた人間は、てっとり早い手段を使っちまうもんだって」

 自嘲や諦めに似た言葉の底で蠢く透明なマグマが、倉庫の中で――彼らの間で反響して大きくなる。

 自分自身がうまくいかないことから始まって、やがて同じような不満を抱える仲間と共鳴し、目標や敵が生まれ、正義を創り上げ、そして誰かに利用される。それがこの島の上での彼らであり、多分、この世界の中の魔法使いぼくたちになるんだろう。少し前にチャムがよく口にしていた『ルーガをお金持ちにしたい』という夢の意味を、僕は少しだけ理解した。

 多分、ここは沼なんだ。アンチバイラスに入ったくらいじゃ抜け出すことのできない深い沼。街の中である程度の生活を送っている人たちよりも、ここにいる彼らはそれを強く感じている。


 思う。いつか誰かが魔海を消して、ファージの脅威が去り、この島が――ラインを超えた魔力を持った人間を閉じ込めておくための口実が消えた時、僕達は一体どうなるのか。ノーラン・ベルトランが言う『次の時代』に、ルーガも魔法使いも居場所はあるのだろうか。

 ベルトランや元帥は、どう思っているんだろう。有沢ヨウスケも。具体的に、どんな未来を描いているんだろうか。


「……僕に言われてもね」


 困った様に笑ってみせた僕にあてられて、グエンは照れ隠しに笑った。

「はっ、確かにただの夜警が言いあっても仕方ねえか」

 なんだろう、と思った。挑発的な彼の言葉の奥底に、僕に対して向けられる暖かいものを感じる。それはどこか喜びに似ているようなそういうイメージで、今の僕にとってはとても腹立たしくイライラする感情。

 言葉にするなら――期待、か。

 自分じゃ飼えないと諦めた犬を、僕の足元に置いて見守っているような。それでいて、てめえには拾えないだろうとでも言うみたいな姑息な挑発。

 元帥の劣化版であり、外側の世界を知っているこの僕なら、この汚れた犬を育てられるかもなんて。

 ため息を吐く。あたりに充満していた緊張感を完全に取り払うために。


「それじゃあ、仕事を始めようか。警備の案内をしてもらえるかい?」


 観客に広がる興奮とある程度の満足感の中、静かにうなずいたグエンはジェイを顎で促してだらだらと僕の前を歩きだした。


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