第94話 レジスタンス

 外に出ると、海の音が一層大きくなる。最低限の灯りに照らされた旧浄水場に当たった波が眼下で白く砕けていくのも、潮風にさらされた錆びの目立つ手すりも、背の高いグエンも小柄なジェイも、みんな同じように夜の中に埋もれていた。

 海上建造物の周りをぐるりと囲む足場に立っていた大きな銃を構えた見張り達が、近づいてくる影に向かって一瞬銃を持ち上げて、それがグエンだと気が付くと『なんだ』という顔になってまた海の方へと顔を向ける。マフラーで口元を覆った、僕より少し幼く見える女性だった。

 海面を撫でていくサーチライトを見やりながら、背の高いグエンは髪を掻いて。

「……てめえの言う通り、ここは良くねえ所だ。向うに出来た要塞施設のおかげで、今は警備も最低限になってる。だから懲罰だかしらねえが、お前クラスの軍人がわざわざ来る理由がねえんだよ」

 頷く。そうかもね、なんて笑いながら。

「確かに僕はスパイに向いてる。必要な情報を正確に手に入れられるからね」

 それでも。

「本当に、ここにいけって警備局長に言われただけだよ。彼は彼で、僕が父親――元帥の犬だと思ってるだろうから。多分、向こうも選挙の邪魔をされたくないんじゃないかな」

 グエンはそうかよとだけつぶやいて、上へとつながる細い階段をのぼりながら。

「ジェイ、お前はどう思う?」

 その言葉で、僕はやっと彼らに前後を挟まれていることに気が付いた。油断した。心の中で舌打ちをした僕の背中から、ジェイののんびりした声が。

「そっすね。最悪なのはヨウスケさんが俺らを見限ってこの人にここを処理させようとしてるってパターンっすけど。喋ってみた感じ、ヨウスケさんのこともここのこともあんまり知らないみたいっすね」

 少し笑う。ジェイの優秀さに。それと、僕の愚かさに。

 小田島セイを敵とみなしてやりあうつもりなら、人数と武器が揃っているさっきの場所かと思ってしまった。だから、そこを乗り越えて少し油断していた。

 グエンの性格と能力を考えたら、これで十分。あの時よりもうまくやれるとはいえ、グエンは一度僕の魔法をはじいている。もしもこの距離から戦闘が始まってしまえば、一瞬のもたつきが命取りになる。グエンをうまく抑えたとしても、その瞬間にはジェイのナイフが背中に刺さってるだろうし。先手を取って二対一に持ち込んだところで、こっちのメンツは僕と僕並みに戦闘力が低いくせに銃を持っていないジェイだ。

「はっ。そうピリピリすんなよ、小田島。なんにしろ正規に派遣された兵士とここで戦うつもりはねえよ。今は、な」

 意味ありげに笑った彼が、屋上に足を踏み入れた。

 中央に置かれた何かの装置に取り付けられたいくつかのライトが、ギリギリの明るさをもたらしている海の上。風は穏やかで、心地良いとさえ感じた。

 グエンの視線が、暗闇のはるか先に見える明るい光に照らし出された機械の島に向けられているのに気づく。いつだったか僕が遥か向こうの本土の生活を思った様な心の景色。

 そういう目で、彼は要塞と呼ぶに相応しい巨大な施設――浄水から発電、貯水もこなしてくれる西側フロンティアの新しい心臓をながめていた。

「もしかして、あっちに行きたいのかい?」

 ニヤつく僕を振り向いた不良グループのリーダーは、呆れたように鼻を鳴らす。

「……うぜえ野郎だな」

 それから、僕と同じように笑うジェイの顔を横目で見て。

「どこにいようと同じだろ。この島にいる限りはな」

 つまらなそうな笑みとともにこぼれた彼の言葉には、怒りや自嘲のようなものは無く。大きなため息の様にも思えるくらいの諦めがあった。

 僕は『そうか』と笑って。

「で、ここは何? 何か大事な場所には見えないけど」

 ヘリコプターくらいは余裕で止まれるくらいのスペースに両手を広げて聞いた僕を、グエンは本当のため息まじりにじろりと見つめ。

「てめえが案内しろっつうから案内しただけだ。んで、ここが終点。あとはてめえの好きにしろ」

「はは。冷たいなあグエンは。僕はもっとここの設備を説明してほしかったんだけど。どの機械がどれくらい重要で、どれを壊せば一番効率的に機能不全を引き起こせるのかとかね」

 冗談めかした僕の顔を、リーダーがじろりと睨む。

「笑えねえぜ、小田島。本土の人間がここにくるだけでも珍しいんだ。てめえにゃ、元帥の犬どころかだっていう噂もある」

 僕は目を丸くして見せる。十分気づいていたはずなのに、当たり前のように初めて知ったふりをして。

「僕が? そうか、成程ね。言われてみれば確かに上層部にも取り入ってるし、本土仲間の藤崎にも影響力がある。それに、あの化け物が生まれる海を消そうとしたし――」

 いつの間にか隣に来ていたジェイの綺麗な瞳が、下から僕をのぞき込む。珍しい生き物の生態に対する興味と呆れるほどの感心が混じったような苦笑。

「それに、ルーガとも繋がってるっす。しかも、有力な後継者候補だったチャムを脱落させたっすよね?」

「そうだね。箇条書きにすれば、ほぼ黒だ。人間側が使を確実に窒息させるために送り込んだスパイ、それが僕かもね」

 あははと笑うと、グエンがあからさまに舌打ちをした。

「はは。でも、そうだね。だったらどうする? もしも僕が有沢元帥の独裁体制を崩そうとしたら、君たちは?」

 髪をなでていく海風の中、あくまで冗談みたいに、社会に不満を抱く連中のたまり場の頂上で言った僕を、彼らはそれぞれの表情で見つめ――。

 ――僕は笑った。

「いいよ。どっちでも。ただの噂かもしれないしね」

 くすくすと笑いをこぼしながら、小田島セイは遠くのまぶしい設備を見据え。

「それじゃあジェイ、質問だ。答えを間違えないでほしい。有沢源十郎は、どこにいるのかな?」

 僕の声が意味に変わると同時、グエンの鋭い視線がジェイの顔を捉えた。

「……どういうことだ、小田島? こいつが知ってるのか?」

「いやいやいや、まじっすか。勘弁してくださいよ、セイさん」

 この場で最も強い人間の攻撃ベクトルが自分に向いたことを悟った少年は、両手を上げて困った様に首を振り。

「俺は何にも知らないっすよ、マジで。そんな特ダネがあったらすぐにグエンに言ってるっす」

 再びこちらを向いたグエンの視線の先で、僕は小さく頷いた。

「でも、君ならわかるはずだ。巣に出入りする女の子達にも知り合いが多いみたいだし、他にも顔が広いだろう? 島のどこかにある秘密の部屋とか、電気経路が怪しいところの噂とか。あとは水と食事に医療品とか洗濯物も。元帥が隠れている所まで、誰かが運んでいるはずだよね。それがどこかまではわからなくてもいい。だけでも教えてくれれば、それでいいよ。君なら少なくとも『誰に聞いていけばいいか』がわかるはずだ。違うかい?」

 沈黙。すっかり耳に馴染んだ波の音と雲の影に、尖っていた神経を少し緩める。

「……マジであんた、ヤバい人なんすね」

 呆れたようなジェイの声に、僕は『そうかな』と首を傾げた。

「本気で探せば、それっぽい噂は集められると思います。でも、多分、相当死にますよ。俺たちだけじゃなくて、口封じとか、警告とかでも。下手したらルーガにアンチバイラスを送ってくるかもしれないっす」

 苦笑いの彼に、僕は『そうだね』と頷いて。

「君達は知らないかもしれないけれど、この島は常に監視されている。OSPRにも、外の国に住んでる一般市民にすらある程度の衛星画像が解放されてるんだ。ましてや今は選挙のタイミングで、注目度が高い。そしてこの島は国際法的な観点からみれば国じゃないし、大企業の傘下からも外れてる。内紛なんかあればOSPRも外国の軍もやってきて、簡単に占領される。上層部はそれを恐れて派手には動けないんだ」

 警戒とか、疑いとか、恐怖とか、彼らの心を守る扉を少しずつ言葉がノックして。

「シレンシオは十分に稼働する。魔海の消し方も、上層部同士じゃ公然の秘密になった。人間は、また魔法使い抜きでもファージと戦えるようになる。そして勝つんだ。その時に、この島が、今のままでいられると思うかい? 明日なのか、五年後かわからないけれど、僕は誰かが動き出したときにできるだけ多くの人を守れるようにしたい。そのためにも元帥の居場所は知っておきたいし、できれば彼と直接話せるルートを確保したいんだ。何を考えているのか聞いてみたいし、必要なら力づくでもやめさせる。僕ならできるよ。君たちの力を借りられればね」

 そう、僕ならできる。並べ立てた言葉に乗せて、使命感とか、勇気とか、正義だとか。野心と体力と時間を持て余している不満分子に、希望を植え付けることが。

 頭の上のサーチライトがゆっくりと塔を回る。ジェイの指が、彼の綺麗な頬を掻いた。

「……わかったっすよ。いろいろ探ってみるんで、ちょっとばかり待ってもらえるとありがたいっす」

 『ひぃー怖』と声にならない悲鳴を上げて身震いをする美少年から、グエンに意識を移して。

「グエン。君はどうせ暇だろうから、彼らを守ってほしい。ジェイや彼の友達が悪い目に合わないように」

 相変わらず気に食わない笑顔を浮かべる僕を見下ろした彼は、普段より大げさな悪態をつきながら。

了解イエッサーだよ、クソ野郎」

「はは。悪いね、汚れ役を押し付けちゃって」

「はっ! 俺たちゃてめえみたいに綺麗なお手々じゃねえんだよ」

 ペッと唾を吐き捨てて歩き出す彼の台詞に、僕は苦笑して。

「……裏切るんじゃねえぞ、小田島」

 不意に振り向いた彼の言葉に

「ああ、もちろん。その予定はないよ」

 残酷で、卑怯に、頷いて見せた。


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