第92話 It makes you strong


 翌日。学校とトレーニングを終えた僕は一人で蜘蛛の巣を抜け出した。

 辺りはすっかり暗くなっていて、オレンジ色の灯が照らすバス停にはせわしなくバスがやってきていた。夜の商業区に出かけていた人達が戻ってきて、遅くまで仕事をしていたアンチバイラスの人間が家へと帰っていく、そういう時間。

 バス停でも、バスの中でも、フードをどんなに深くかぶっていても僕が誰だか知っている人ばかりで、あれこれと勘繰られているようで少し気分が悪かった。気を紛らわすように見つめた窓の外を通り過ぎて行くいつもの風景が、夜闇に包まれているだけでなんだか少し違って見える。

 朝や夕方には開いていなかった店の明かりと道端の街灯、その向こうでぼんやりと光ってみる工業区のライト。いつもの通学バスが停まらない場所で降りていく人達。この辺りに星月亭があった気がするな、なんて。

 生きているうちに覚えた島の地図。バスはそこを通り過ぎて、僕の生活範囲の外側へと向かっていく。

 外側から来たお偉いさんが泊まるらしい豪華な宿舎や大きなイベントホールを通り過ぎる頃には乗客はほとんどいなくなり、商業区から乗って来た同年代の男子と僕の二人だけになっていた。

 島の西北地区、旧浄水場という停留所で立ち上がり、運転手のパクさんに会釈をして降車する。他の場所に比べて少し古くて暗い印象の照明にかざした指令所を確認し、目の前の通行止めゲートを眺めていると、背後でバスが走り出す気配。それと同時に、身軽な男の子が歩いてくる音。

「あー、やっぱり小田島セイさんっすよね?」

 明るい声に振り向くと、同乗していた彼が白い歯を見せて笑っていた。

 小柄なせいもあってか、僕よりも年下な気がした。

「あっぶねー、あ、俺、ジェイっす。本当はここで出迎える予定だったんすけど、寝坊しちまって……へへ、でも間に合ったっすね」

 嘘だ。偶然じゃない。バスに乗ってくる前から、こいつの意識は僕にずっと向いていた。なのに。

 屈託なく笑った彼が差し出した拳に、戸惑い気味に拳を合わせる。誤魔化しでも悪意でも無く、わずかな思考の痕跡すら存在しない嘘。

「んじゃ、こっちっす」

 彼のふりまく笑顔の後についてゲート脇に造られたガレージみたいな小屋へ向かう。小さな明かりの下の窓口から覗いた警ら隊員らしきおじさんとお姉さんにジェイが笑顔で手を振ると、すぐに扉が開く音がした。暗がりにも慣れた様子でガレージに停めてあったジープに乗り込んだ彼が、視線で隣に乗る様にと僕を誘う。

 入口とは反対側のシャッターが重たそうに持ち上がり、海の暗がりに二つのライトが浮かび上がると、本土でもまず聞かなくなったくらいに古臭いエンジン音を何度か上げた屋根のない無骨な車が走り出した。

 幅の広い道。広くて真っすぐで、何もない道をライトの輪が照らしている。

「……ジェイは、誰に言われて僕を迎えに来たんだ?」

 潮風を避ける様にフードをかぶりなおした僕の質問に、ジェイの鼻歌が止まる。

「? そりゃグエンっす。小田島さんが来るから、迎えに行けって」

「そう」

 頷く。

 グエン、か。いつかのトイレで揉めた相手。最初で最後に僕の魔法を振り払った敵で、夜間警備という言葉を聞いて最初に思い出した顔だ。ルーガ付近の停留所から乗ってきたジェイを見たときに予感して、この場所の雰囲気を感じて確信した。この旧浄水場は、彼ら――ルーガをはぐれた不良集団の居場所ホームなんだろうって。

「……で、誰に聞いたのかな? 僕があのバスに乗ってるって」

 乗客、運転手、あるいは巣の中の誰か。僕の乗ったバスをグエンに報告したやつがいる。

「? あー……へへへ、さすがっすねセイさん。でもさすがにそいつは内緒っす」

 困ったように笑う彼の頭の中に、誰かのぼやけた顔が浮かぶ。僕の知らない人間だ。

「そう、残念だな――」

 普通はこうだ。質問をすれば頭の中に答えは浮かぶ。直接それを見ることができなくても、とっさに頭の中に浮かんだものを歪めれば、その痕跡は感じられる。目が泳ぐとか、言いよどむとか、魔法使いじゃなくたって分かるくらい。僕ならなおさらだ。

 さっきは異常に嘘が上手い奴かと思ったけれどそういうわけでもないんだな、と流しかけた僕の脳味噌が警告を発するように騒ぎ出す。 

 ……知らない人間? グエンじゃなく?

 なんとなく思い込んでいた。手下からリーダーに報告が入って、そこからジェイに指令が出たのだろうと。なら、どうしてジェイは今、報告した人間の顔を思い浮かべた?

 今僕に思いつくのは2つ。実は目の前の少年が彼らのリーダーなのか、それか彼らの情報ネットワークの中心にいるのがこの子なのか。

 どちらにしても若すぎる少年の横顔を見つめると、彼は『いやいや、マジで内緒っすから勘弁っす』と僕と彼の額の間で片手をピッピと振り払って見せた。


 月明かりの下、しばらく続くエンジンの音と海の音。少しずつ低くへ離れていっていた海面との距離が安定し、橋の先に大きな建物の影が見えてきた。

「デカいね、でも旧浄水場って事はもう稼働していないってこと?」

 聞いた僕をまじまじと見たジェイは、はははっと楽しそうに笑って。

「動いてるっすよ。でも今は基本工業用っすね。むこうの――昔の研究所とかの跡に新しいすげーのが出来て、島の人たちが使う水はほとんどそっちっす」

 陽気な声で言った彼は『あれっす』と言いながら、ハンドルを握ったまま僕の頭の向こうを指さして。

「見えるっすか? あのバカデカい奴、あれが新しい方っす。脱塩もろ過も発電もあそこでやっちゃうらしいっす」

 言われて目を凝らした遠い風景に、僕は少し驚いた。確かにでかい。バカでかい逆三角形の建物と、それを支える様に海から伸びたいくつもの足。空の上の闘技場みたいだ。

「すごいな。相当金がかかってそうだ」

 僕の下世話な感想に、ジェイは他愛なく笑って。

「そりゃもう。でもなんかOSPRだけじゃなく、アメリカとかユーロとか世界中からヨウスケさんが金を引っ張ってきたらしいっす」

「そうなんだ」

 頷く。最低限にも満たない灯と、本土ではまず嗅がなくなったガソリンの匂い、それから端にぶつかる波の音。

 あそこに。

 ふと思った。

 もしかしたら、あそこに。元帥が。

 彼はいつからか島のどこかに隠れていて、かつて全島を支配していた

 もしかしたら弱くなったんじゃなく、中心がずれたのかもしれない。


 ――なら。そうか。元帥の居場所を知れば。戦える。


 ――戦え。


 古い道に踏み込んだ車体が、大きく僕らの身体を弾ませた。

「ちなみにどういう人? そのヨウスケさん、有沢ヨウスケって人は?」

 尋ねてみると、ハンドルを指先で叩いていたジェイは少し考えて。

「う~ん。日本語だとなんつうんすかね? クズっすかね……?」

「はは。アンチバイラスの人達はグエンをクズだって言ってるけど、そういう感じかな」

 笑った僕の横で、彼は『へへっ』と声に出して笑いながら。

「んじゃ違うっすね。グエンとかあの辺の奴らは腐ってて、みんなで駄目になっていく感じっす。んで、ヨウスケさんはキラキラしてるっす。どっちかっつうとヒーローっすね」

 ボロいバックミラーに映る真っすぐな笑みと言葉に、僕は緩んだ頬を隠すように海の方に向かって笑いながら。

「でもクズなんだ」

「そうっす。そういうの、なんつーすんか? すごい人で、あの人についていけばあの人の言う通りになれる人なんすけど、ついて来ないやつも、ついて来れなくなった奴も、いないのと同じなんす」

「成程」

 フロンティアの人達が彼の名を口にするときに浮かぶ様々な感情とカナの言葉。そのイメージに、ジェイの評価がしっくりと来た。

「う~~~ん……なんつうか、つまりアンチバイラスも、警ら隊も、グエン達も、それからルーガのもっとやばい連中も、あの人にとっちゃ同じなんす。そっすね。自分以外の全部がチェスの駒って感じっすかね」

「そうなんだ」

 頷く。自分以外、全部を駒にする。まるで僕や元帥みたいだなと少し思う。

「さっきの警ら隊の人達とか港湾エリアの連中とかどっかのお偉いさんとかが使ってるドラッグとか賄賂とかデート屋も、最終的にはヨウスケさんにつながってるはずっす。そんでファージのパーツを内緒で外の国や企業に売ったりして、そいつらやアンチバイラスから外で使える金とか武器とかケミカルを手に入れたりしてるっす」

 頷く、何度も。

 有沢ヨウスケ。僕の感覚でも相当にやばい奴に思える。元帥は、そういう人間を上層部へ迎え入れるつもりなのか。

 そんな現実を軽く語る少年の、悪気の無い笑みを見つめて。

「……君は――ジェイは、それでもグエン達の仲間なのかい?」

「そっす」

 彼は笑った。

「なんでっすか?」

 聞かれて、少し言葉に詰まり。

「なんて言うか、君は、自分のいる場所が良くないと感じてるから」

 ジェイは、また笑って。

「あー。そっすね。ま、仕方ないっす。俺は雑種なんで」

「?」

「小田島さんからしたらみんな同じかもしんないっすけど、違うんすよ。ルーガの中でも、長とかチャムの支配的な系統と、そうじゃない連中がいるんす。んで、中でも一番はじかれるのが俺みたいな雑種っす。どの系統でもないし、まともな親もいない奴っす。そういう奴は生まれたときからやばい奴らのグループに入ってて、ヨウスケさんの手先の手先の手先になるんす」

 ジェイは困ったような苦笑いで。

「俺にとっちゃそこが最悪なんで、グエン達といれば、奴らから守ってもらえるんす。強いんすよ、グエンのグループは」

「そうか」

 頷いて、少し、チャムの事を思った。ジェイの笑顔は、あの子に似てると思ったから。

「ジェイは、学校には?」

 彼は納得がいったという風にケラケラと笑う。

「そんなの無いっすよ。結局俺達にゃ、将来とかないみたいなんで」

 余りにも無知な僕に少し驚きイラつきながら、そんな僕と接する事がとても新鮮で楽しそうに瞳を輝かせて。

「すげーっすね、セイさん。ずっとニコニコしてるのに、確かになんつーか、ムカつくっす」

「そう」

 彼の笑い声と僕の笑みを乗せたボロいジープは、今にもエンストしそうな音をたてながら小さな旧浄水場の十分に巨大な影の中へと吸い込まれていった。


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