第88話 君の、そういうところが。
海の上から島の全てを飲み込む金色の夕暮れの中。海岸線を歩く僕の大分後ろを、お下げ髪の後輩がちょこちょこと着いて来ていた。
「……どこまで着いてくるつもりだい?」
ふいに振り向いた僕に、久遠は相変わらずびくりとして。
「え、あ、いや。そ、それはもちろん、巣まで送り届けるつもりでありますが……」
通学バッグを抱きしめて視線をさまよわせる彼女の様子に苦笑しながら。
「いいよ。別に」
「そ、そうはおっしゃりますが! さ、先ほどの集団が待ち伏せをしているかもわからないでありますし――」
たたっと駆け寄ってきた小さな黒髪の女の子に、僕は笑って。
「大丈夫だって」
だからこうしてバスを避けて歩いているわけだし。いざとなればもう一人の護衛に選ばれている有沢カナちゃんが嫌々飛んでくるだろうし。
「し、しかし、あのデレクさんと言う方は、あまりいい噂を聞かない殿方でありまして!」
早口でまくしたてられる言葉の途中で、僕は肩をすくめた。
「そうなんだ。でも――」
「あ! も、申し訳ありません! 飯島としたことが、言いすぎる真似を! 正確に申し上げるなら、時々悪い噂を聞くこともある、という程度であります! で、ですがこればっかりは決してソースはお尋ねにならないで頂きたいのであります!」
ひいぃと頭の上に書きたくなるくらいの必死さで正確に伝え直してくれた久遠だけど、僕の返事は変わることもなく。
「そうなんだ。でも大丈夫だよ」
「い、いえ! しかし! あの人のご家族は、そ、その、有沢さんの――ええと、つまりカナさんのお父様の会社の幹部を務めているのでありまして! つ、つまり、その――じ、実弾兵器などを違法に所有しているという話も出ている次第ですし! こ、ここだけの話ではありますが!」
ぴしっと敬礼をして小さな背を伸ばす久遠を、少しだけ楽しい気持ちになって眺めていた僕は。
「そうなんだ。ありがとう、気を付けるよ」
笑顔で言うと、彼女は心底ほっとしたようで。
「お役に立てて光栄です! では引き続き、警護にあたらせていただくであります!」
興奮しながら敬礼をし、鋭い視線を周囲に走らせ始めた真面目な少女に『頼んだよ』と微笑みかけて。
「あのさ久遠、君は随分しっかりしてるけど、もしかしてご家族にアンチバイラスの人がいるのかい?」
「あ、は、はい! イエスであります! と、とはいっても警ら隊の所属ですが!」
頷く。アンチバイラス傘下の警察みたいなもんだ。
「ふうん。ならデレクさんの悪い噂ってのも信用できるかもしれないね」
意地悪な笑みを見せた男に、彼女は一瞬きょとんとして。
「……あっ!? ああああ、い、いえ! そ、それとこれとは全く関係がノーであります! け、決して、そんな……わ、悪いのは私であります! この飯島久遠が父の話を盗み聞きしたのでありまして! 断じて父の内務規定違反などでは!」
でっかい『ひいぃ』を頭に二つほど浮かべた久遠の姿に、僕は意地悪に笑う。
「あはは。いいって、別に。誰かに言いつけたりはしないよ」
「そ、そうでありますか……ああ、安心したであります。そして感謝です! 小田島伍長のおかげで、幼い弟達が路頭に迷わなくて済みました」
はは、と笑う。幼い弟たち、ね。万が一にも口を滑らせないようにしないと。
微塵もそんなつもりはない純粋な笑顔で感謝と共にプレッシャーをかけてきた久遠に頷いて、またてくてくと海岸線を歩き出す。
真っ白な大地にぶつかる波と、金色から深い赤に変わった夕闇。ついこの前も、久遠と二人でここを歩いた。あの時は、確かこの辺で倒れたんだっけ。丁度、その続きを歩いて帰るような感覚がして、なんだか変に楽しくなって。
「ねえ久遠、あれはなに? プラスチックに見えるけど?」
防風林の隙間に目についたキラキラと光る小さな透明な板のようなものを指さした。本土の公園なんかにあるような木の名前を示す札の様に思えるけれど、それにしては数が多い。
すると久遠は、ぱちくりと瞬きをして。
「ああ、あれですか。あれは墓標です」
「へえ、そうなんだ」
彼女の答えに、今度は僕が瞬きをした。墓標。お墓。当たり前だろうけど、本土の物とは大分違う。
「はい。特に本土出身の人間はここにお墓を立てることが多いのです。ええと、この海の方角に本土があるらしいので。遺灰をここから海に撒いて、残った骨をあの辺りに収める様です」
「成程ね」
言われてみれば、無数にある小さな板はみんな同じ方角に向けられているように見える。
「はは。てことは、みんな本当は帰りたがってたのかな?」
穏やかな笑顔で呟いた僕を、久遠がちらりと盗み見て。
「……本土から来た人は、みな友人や親せきやご家族などが向こうにいるので、せめてこうしていると聞きました」
「成程。そうなんだ」
頷いて歩き出した僕の背後、ちょこちょこっと小走りをした飯島久遠が遠慮がちにすぐ後ろのポジションを取り。
「あ、あ、あの……その……」
「なに?」
林の中へと進路を変え、てくてくと歩き続けながら。
「セ、僭越ながら、その……わ、私(わたくし)は、その、先ほど、伍長が笑っているのを、初めて拝見いたしまして――あ、いえ、そのもちろん小田島伍長には、こんな飯島でもいつもにこやかに接していただいているのですが、その……セ、先日から、思っていたことがありまして――」
笑う。もちろん、いつもと同じように笑いながら。
「そうかな? 比較的笑顔で過ごしてるつもりだけど」
「あ、いえ。ええと、その、つまり、差し出がましいようですが――も、もう少し、学校でも。その、そういう風に振舞ってはいかがかと……」
「言われなくても、そうしてるよ」
言われなくても、ずっと。ずっと前から、僕はそうしてる。本土でも、このフロンティアに来てからも、ずっと。他人の気持ちを僕の必要に合わせるために、そうなるようにずっとちゃんと振舞っている。
「あ……は、はあ……そ、そうでありますか……」
何も言わないくせに何か言いたげなままでいる彼女の態度に、ちょっとイラつく。
「はは、悪いね。でも久遠の言う通りかもしれない。人間、完璧じゃないからね、うまくやれていないこともあるのかも」
笑った僕の横をしばらく黙って歩いていた女の子は、突然『ああああ』と奇声を漏らしながら二つ結びの髪の毛をぎゅーっと握りしめて。
「そ、そういうことではなく、でありまして! むしろ逆! 逆に、その! 振舞うのではなく! 普通に! わざと人を怖がらせたり、怒らせたり、なだめたりするのではなく! 素の! ありのままの小田島伍長で過ごしてはいかがなものかと! 飯島は思うのであります!」
喉と勇気を振り絞って声を上げる彼女の様子を眺めながら、涼しい木立の中を歩き続けて。
「つ、つまりそのっ! 確かに小田島さんは特殊なタイプの魔法使いではありますが、しかしながら、私たちも、その、言葉や態度などで、相手の精神を攻撃することも癒すことも可能なのでありましてっ! で、ですがそのっ! そうはしないと言いますか――よ、要するに、先日のOSPRの方にもデレク殿とも、ああいった態度ではなく、もっと……その……普通に……」
怒り、恐怖、後悔、願望、心配。
そういった感情がぐちゃぐちゃなまま沸点を超えてしまった少女の目には、涙があふれてきていて。
「あああ、ち、違うのです! これは決して泣いているのではなく! 徹頭徹尾支離滅裂にして全くもってうまく言えていないことを自覚しておりますもので!」
ええい、と悔し気に目元をぬぐった久遠は小走りでついてきながら。
「わ、私は、感謝っ! 感謝しているのです! こんな私に役割を頂いたこととか! 守れと言っていただいて……意味がっ! 自分の魔法の意味が! 闘う理由も! ゆ、夢とか、その、希望がっ! この飯島の中に、未来が湧いてきたのであります! で、ですからっ! お守りしますのでっ! 伍長もっ! そのっ! なのでっ! あのっ! 魔力加速剤とか……消えてしまいたい……などと……そのぅぅぅ……す、すみません……」
いつもの薄ら笑いのまま、ただただ歩く僕に追いすがる様にして。
むき出しの気持ちがあふれ出た最後の最後に残った形のない感情が、泣き顔のままでも歩き続ける足を支えていた。それは。弱いはずの彼女が振り絞っている感情は――あの日のチャムや、屋上で死を語った時の藤崎や、飛行機の通路に仁王立ちしたおじさんが見せたような。
「着いたよ、久遠。この辺だろ、家」
居住区の東区画。同じ形と同じ色の集合住宅が立ち並んだ場所。
はっとして辺りを見回した久遠の目に、何事かという人々の視線が突き刺さり。
「あ、あわわわ……ぶくぶくぶく」
とお下げの髪を両手で握り、白目を向いて陸の上でおぼれかける少女の肩を、ぽんと叩く。
「大丈夫だよ、久遠」
分かってる。本当は、分かってるんだ。
僕にあるのは、もっと形の整った物だけ。誰かの表情を上手に真似しているだけ。
それだけ。
あとは、怒り。ヘドロのように深く濁った、どうしようもない怒り。
そういうところ。
それが、僕の違うところ。間違っているところ。物心つく前から僕の中に棲んでいたシズカと言う名前の化物。
それが、僕。その化け物に侵された部分の方こそが、久遠が言うところの素の自分。
一歩踏み外したらとんでもないことをしてしまうんじゃないかと言う不安、予感。
なのにもうとっくにそちら側へ踏み出しているんだという自覚と、現実と、罪悪感。
鴻上さんがその影を感じ、ベルトランやロビ霧島が見ていた僕。
あの夏の日からだんだんと大きくなっている、暴力的で独善的で冷酷で怒りに満ちた、大嫌いな、許されざる僕。
そうだね、確かに君は違う。勇気を持った戦士なんだ。
「ほら、家族が心配してるよ」
道の向こうからベランダに乗り出してこちらを見つめている瞳に、久遠の肩を向けさせる。
年頃の娘が男と二人で歩いて帰ってきて、しかもなんだか泣いている姿をあわあわと見つめるお母さんと、その周りに並ぶ好奇心と心配が混じった小さな瞳の数々。
「ひぃぃ……」
脳みその真ん中から悲鳴を上げながら、回れ右をしてぎこちなくエントランスに向かう勇気ある友達の小さな制服を見送りながら、僕は。
「ありがとう、久遠。気を付けてみるよ」
ベランダから大好きなお姉ちゃんを虐める相手に敵意を向けてくる幼い戦士達に、笑顔で手を振ってみせた。
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