第89話 少女と賄賂


 教卓の向こうのボードを見ながら、机をたたく指先でリズムをとる。考える。

 ルーガの長、それから教育機関の女性と有沢ヨウスケ。

 思いつくのは、スキャンダルとかで票を減らす――あるいは直接話して出馬を取り下げてもらう方法。どちらにしろ本人とその仲間から恨みを買いそうな気がする。特にルーガとの関係をこれ以上こじらせるのは良くない。

 なら、真っすぐに有沢ヨウスケの票を増やすのか。彼のイメージを良くしたり、確実に増やすのなら投票所に行って名前を書かせたり――。

 軽くため息を吐いて、首を振る。

 確実じゃない。やっぱり、他の候補者を蹴落としてしまう方が。

 どっちにしたって、時間は無い。情報も足りない。動かないと。

「なあ、小田島クン。お~い」

「……え?」

 呼ばれて、思考の沼から顔を上げた。途端に教室に溢れていたたくさんの声が聞こえてくる。

「あのさ、どうだった、藤崎さん?」「出てくれるって?」

 彼らの顔から教室の中ほどへと視線を移すと、銀髪の周りには今日もいつもの女子が数人集まっていて。そんな彼女たちの景色の中からも、楽しげな声が聞こえてくる。

「ああ、うん。…………話したよ」

 窓際の生徒とか、溢れた声とか、書き残しの黒板だとか。

 ほんの一瞬、一瞬だけ。見慣れたはずの風景がとても遠く、教室がずっと広い場所に感じられて。

 僕は穏やかに笑った。

「説得には成功したから、多分、出てくれると思うよ」

 あの感じなら、僕が動かなくたってそうなっていたかもしれないけれど。

「マジか。さすが小田島クン。でさ、じゃあ小田島クンも出てくれるよね?」

「うん。そのつもりだけど」

 頷くと、片方の男子がきょとんとして。

「あれ、でも小田島クンって実行委員に入ったって――」

「いやでも、出られるっしょ。小田島クンなら」

「あー、確かに。うわ、強いな、うちのクラス」

「ホントな。あ、じゃあ有難う、小田島クン! 本番もよろしく」

 笑って頷いた僕の視界の端で、友達に連れられて立ち上がった藤崎マドカが『どうよ』とでも言いたげな視線をこちらに向けて髪を払ってきた。

「すごいすごい」

 心の中で言いながら、軽く拍手を送る。マドカちゃんはお友達一杯で偉い凄い。

 一方僕は、相変わらずだ。

 とはいえ、試験や行事で成績を上げることが本土よりも遥かに大きく直接的に将来に影響するらしいフロンティアでは、こんな僕の方にも利用価値があるみたいだけど。

『ふふふーん』

 と鼻を高くした西側アンチバイラスのエース様が、ご友人に連れられて教室を出ていく。

 すると、休み時間の教室はまた静かになった。

 変わらずたくさんの声が響いているけれど、そのうちのどれかを聞くこともなく。

 また、考えようとして。

「セイ!」

 突然聞こえた藤崎の声で、扉の方を見る。

「ね、この子。セイに用があるんだって!」

 なんだか嬉しそうなうねうねロングの銀髪の隣には、ほとんど身長が同じ三つ編み頭。上級生の教室を覗く緊張と、憧れの人のお隣に並ぶ興奮でちょっと危ない目をしている飯島久遠が、首を摘ままれた猫の様に僕を見つめていた。

「あ、あの。これ。これを、その、父が、小田島伍長にと――」

 廊下に出た僕に、久遠が胸に抱いていた綺麗な包みをずいっと差し出す。小さくて薄い箱のように思える。

「お父さんが?」

「え、何それ? それって賄賂じゃない、賄賂!? いけないんだー!」

 両手で受け取った僕と贈り物を見比べた藤崎が興味深そうに背を伸ばす。

「い、いえ! 決してこれはその様な品物ではなく! その、あくまでこれは不肖の娘がお世話になっているお礼であると父は申しておりました次第でありまして……そ、その! も、申し訳ございません!」

「え……あ、う、ううん、ただの冗談よ、冗談」

「あ、いえ、もちろん私もこういった物はダメだと言ったのですが、父は、その、軍人としてではなく、親としてなどと述べるばかりで……ご、ご迷惑を……」

「あ、え、っとそうじゃなくて、ていうか私が悪いって言ったのはセイだし――」

 良心と父親の間で板挟みになって涙目になる久遠の様子に、藤崎は『どうしよう』とバツの悪そうな顔で僕を見た。

 だから、僕は笑って。

「いいんじゃない。ありがたく頂戴するよ。もちろん賄賂になるかどうかは中身次第だけどね」

 言いながら、包みをべりっと開けてみた。

「あっ、い、いえ! こ、ここでは!」

 なぜか慌てる久遠の顔を見ながら、僕は中身に視線を送る。

 と。

「……ん?」

「え? なになに?」

「あ、い、いえ! 駄目です少尉! ここここれは、ちちち違うのであります!」

 覗き込もうと近寄ってくる藤崎の袖を、久遠が必死に引き留める。

「あ、あのあの、ち、父はいささかアレな人でありまして! お、男なら絶対に喜ぶ代物だと! そ、その! ですのでつまり藤崎少尉は見てはなりません!」

 多分、いささかアレなお父さんにからかわれて完全に男性向けの大人グッズを運ばされたと思い込んでいる久遠が、顔を真っ赤にして藤崎を羽交い絞めにする。

「な、なによ? なんなの? マジでダメな奴?」

 まさかそういうものだという可能性すら思いついていない藤崎少尉は、下っ端戦士の必死さに戸惑うばかりで。

「……ええと」

 僕は僕で、その中身に戸惑いながら。

「……これは?」

「ああああ! な、なりません! 伍長! こ、ここは神聖なる学び舎で! 年端もいかぬ若い男女の巣窟ぅっっ!!!」

 片手で中身を引っ張り出すと、それはいわゆる。

「見、見ないでくださいっ!! 少尉!」

「な、なによ!」

 藤崎の脇に通した両腕で己の三つ編みを掴み、その毛先で少尉の灰色の目を覆った飯島久遠が、恥ずかし気に、しかし興味津々にそっと僕の手元を盗み見る――土煙を上げて走るバイクの姿が描かれた、多分、組み立て式のプラモデルの箱を。

「…………あ……な、ななな成程っ! こ、これはまさに男の子が喜びそうな物でありますね! 大変失礼いたしました! この飯島、当然いやらしい作品だとばかり!」

 びしっと敬礼をする久遠の姿と、B型同士のか弱い腕力争いからようやく抜け出して僕の隣でしかめっ面の藤崎と。

「……これ、いる? セイ?」

「いや、いらない、けど」

「で、ででで、では! わ、私はこれで! た、確かにお渡しいたしましたので! わ、私ともども父の事もよろしくと言う伝言をお伝えさせていただきます!」

 テンパりの極みに達して例のごとくハチャメチャな久遠に笑いながら。

「お父さんはともかく、久遠に関しては、本当に。僕のほうこそよろしくお願いするよ」

「あ、ありがたき幸せっ! し、失礼いたします!」

 眼鏡の前で三つ編みをクロスさせて忍者の様に走り去っていく久遠の背中と、

「ふ~ん。こういうのが嬉しいの、セイは?」

 と、他人への賄賂を奪い取ってためつすがめつしている藤崎の二人の戦士の顔を見比べながら。

「まあ、盗聴器とか入ってなければね」

 と苦笑してみた。

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