第87話  一晩経っても


 放課後。

 蜘蛛の巣に似た材質の渡り廊下を歩き男子校の『第一会議室』の扉を開けると、教室にいた数名が反射的に振り向いた。

「やあやあ、小田島実行委員長殿!」

 にこりと笑って手を上げたのは、男子校三年生のデレクさん。

「こんにちは」

 順当に――つまり僕がいなければ、おそらく実行委員長の座についていたであろう先輩に笑顔を返しつつ席に座る。にこやかな彼の態度とは裏腹に、会議室を満たすのは通り道に異物を置かれたアリ達のような混乱だった。

 見れば、そこにいたのはみんな彼と仲の良い人たちで、誰かの陰口でも言っていたのだろう雰囲気の残骸もあちこちに感じられた。

「……昨日の会議では、反対意見はなかったはずですけど」

 ボードを背にした長の席に腰を下ろしながら、誰にともなく問いかける。

「ん? はは、嫌だなあ。勘違いしないでくれよ。少なくとも俺は、君が委員長に就任することに賛成してるよ」

 当然の様に口を開いたデレクさんが、にこやかなスマイルで。

「みんなもそうだろう? ――うん、ほら。全会一致さ」

 芝居がかった彼の態度に、僕もまた頷いて。

「僕らの――この三校はエリートが集まる場所だって聞きました。だから、合同のイベントごとで長を務めることは、この島で暮らす上では色々と有利になるらしいですね」

 窓辺に座る彼は笑った。とても魅力的で、柔らかな笑顔だと思う。

「はは、そうだねえ。確かに今まで長を務めた先輩たちの経歴からしても、この三校合同祭の長が大変名誉な役職だっていうのが全島民の認識だろうね」

 頷く。

「デレクさんは一年生の時から実行委員と準備委員を務めていて、今回、その実利ある役職につくのがあなただというのは既定路線だったという話も」

 こげ茶の髪にとび色の瞳の先輩は少し肩をすくめて見せて。

「否定はしない。だけど、君が立候補するなら話は別さ。わかるだろ? 小田島クンは、ただの本土出の転校生じゃない。アンチバイラス――それも特殊大隊・第三小隊に所属していて、年配の方の中には君を『元帥の再来』だと見ている人も多い」

 真っすぐに見つめてくる彼の背から差し込む夕日が異様にまぶしくて、僕の目が細くなる。

「だから俺は、君にその席を譲ったんだ。君と揉めることに一切の得が無いからな」

 そうですね、と僕は笑って。

「でも、不満はある。ですよね?」

 言いながら、彼と彼の仲間を観察する。少し考えれば、結論はそうなる。本土よりも遥かに強く現在と未来が結びつくこの島では、相手が誰であろうと僕に席を差し出すはず。だから僕は立候補した。当然そうなると確信して。

 でも、意外なことに一日経っても少なくない不満が彼らには残っている、それが態度にも出るし、言葉の端々からも感じられる。僕だからじゃない。多分、誰にでもそう感じられるはず。だからこそ、仲間内で陰口が始まるんだろうし。

 デレクさんは少し奇妙な顔をした。

「……そりゃね。口では何といっても、突然やってきた余所者に横取りされたわけだからな」

「デレク!?」

 本性をあらわにしたかのように笑った彼に、お友達が控えめな注意をした。リーダーは、分かっているというような目で笑いながら。

「いいんだ。元帥ジュニアに取り繕ってもしょうがない。確かに俺には、君の下につく気はない。小田島伍長殿の狙いが何かは知らないけどね、それならそれでことあるごとに小田島セイの隣にいることをアピールさせて頂いて、うまく利用させてもらうつもりさ」

「どうぞ、ご自由に」

 頷く。この人はそうだろう。頭がよく、理性的で感情をコントロールできている。それでいて、いざとなれば実力行使も辞さない精神。いかにもエリートの群れらしい、優秀なリーダーだ。

「……『どうぞ』、ね」

「あなたはどうですか? 直接奪われたはずのボスがこう言っているのに、まだ他の人よりも強い不満を持っているようですが、それはなぜですか?」

 突然指をさされた黒髪の男が、眉間にしわを寄せた。

「……ん? あ、いや、俺は別に……」

「……別に? そんなわけないでしょう? ああ、でもそうですね、わかりました。あなたはただ、いまだにこの状況で自分がとるべき行動がわからないだけだ。それを考えられる理性や精神の類をもっていないから」

 言うべきじゃない。こんなことを言えば、不快に感じるのは彼だけじゃなくて、この部屋にいる魔法使いの群れ全体だ。

 でも、なぜ。

 どうしてそうなる。

 辛いですねひどいですね理不尽ですねって、愚痴を漏らしあうのが仲間の証か?

 陰口を言い合って連帯感が高まるのか?

 それに何の意味がある。

 とるべき行動を計算することの、何がおかしい?

 僕の何が、違ったっていうんだ?

 失敗したら殺されるのはあなたの家族だ。はったりの脅しなんかじゃない。元帥や僕なら間違いなくできるんだ。どう考えたって、僕はそれを防ごうとして考えていたように見えたはずだろう。なのにどうしてその僕を非難するようなことを?

「いい加減にしてくれないか、小田島クン」

 わかっているのに止められずに暴力的な気分のままを口にした僕の傍で、デレクさんの冷たい声が持ち上がった。

「いつまでも自分の立場があると思わないでほしいな」

 その声に呼応するように彼のお友達の周囲から僕の鼻の先まで、部屋の空気が一気に緊張していく。

「君は、その内つぶされる。元帥のお気に入りであるがゆえに、きっとね。次の元帥の座を狙っている彼の息子達や上層幹部の誰かにだ。だってほら、君はc型の癖に逃げも隠れもせず、護衛もなしで島中を歩いているみたいだし、僕が彼らなら間違いなくそうするよ。今のうちに、ね」

 じりっと、好戦的なお仲間の爪先が半足分前に出る。

 それと同時。

「そ、そこまでであります!」

 ガラリと会議室のドアを開けて、おさげ髪に女子中等部の制服を着た飯島久遠クラス代表が必死の形相で僕らの間に飛び込んできた。

「そ、そそそ、その喧嘩はっ! この飯島が預からせていただきますでありますっ!」

 へっぴり腰で涙ながらに宣言した彼女の登場で、デレクさんたちの気勢が一気に削がれる。僕は、それを当然だと思った。僕と久遠じゃ、どうあっても彼らに勝ち目はない。

 そんな当たり前の光景――自分の思い通りの反応に少し安心した僕は、いつもの笑顔を取り戻して。

「じゃあ、会議を始めましょうか」

 そう。それでいい。どう考えてもこれが普通だって。

 なのに、なんなんだ。一晩経っても、なんでこんなに気になるんだろうって。

 鴻上さんの、あの掌の感触が。

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