第86話 共犯



 映像が消え、部屋に暗さと沈黙が戻ってくる。

 鴻上さんはただ黙って、僕の質問を待っていた。

 ドキドキと心臓が鳴っている。彼にこちらを攻撃をするつもりはないようだけれど、それでも僕が少しでもそんな素振りを見せれば、いつでも制圧する気でいる。

黙っているのは得策じゃない。元帥の言葉のおかげで増してしまった緊張感が、どちらかを爆発させてしまいそうだった。


「……質問です。市民代表とはなんですか?」


 聞いた僕に、彼はわずかに上腕の筋肉を緩めながら。


「いわゆる『密室』で行われる会議に欠員が出たときに、アンチバイラスに所属する者以外から参加者を募る制度だよ。今回は、失踪した霧島研究局長の後釜だと思う」


 頷く。


「それは、本土で行われるような選挙ですか?」


 彼は小さく首を振った。


「制度は『密室』での会議次第。だけど、通例では十六歳以上のアンチバイラスに所属していない人間が票を投じるんだ。だけど――」

 そこでいったん言葉を切った彼は、続けて。

「――大きく違うのは、その投票結果を受けた『密室』の住人達が市民代表を指名するってことだ」


 彼の言葉の意味を、少し考えて。


「……つまり、結局はあの部屋にいる人達の思い通りってことですか?」


考える。聞いたことがある気がする。どこかの軍事国家ではそんなシステムになっていると。


「もしかして、投票結果も公表されない?」


 島の人たちは、自分たちの投票が無駄になるとわかってて投票するのか?

 それに結局あの部屋で決定されるなら、元帥はなぜ僕に頼む必要がある?

 次々と頭の中にわいてくる疑問に戸惑っている僕を見て、鴻上副隊長は少し緊張をほどいた表情になった。


「最終的に公表はされるけど、大分遅い。だから、投票所の出口で『誰に投票したか』を有志の――いわゆる反元帥派の人間が聞いて回るんだ、もちろん匿名でね。そっちの結果は即座に公表されるし、今はOSPRの監視もついているからね。完全に市民の意向を無視した指名はさすがに無理だと思う。上層部への不信感を買うからさ」


 成程。確かに今は時期が悪い。『海洋性』がデッドラインに迫ったことやシレンシオを破壊したことで、きっと人間もOSPRも東側も、ウェストアンチバイラスに対する警戒度を上げているだろう。

 あとは。


「元帥とカナの父親は、仲が良くないって噂ですが」


 落選させろというのならわかりやすいが、当選させろというのは。

 聞いた僕を、彼は少し笑って。


「『あの部屋』は、元帥の友達を集める場所じゃないよ。元帥が手元に置くのは有能な人間か監視の必要がある人間だと思うね」


 頷く。


「有沢ヨウスケは、どちらだと?」

「両方かな。彼は戦闘能力こそ低いけど、港湾区と商業区を手中に収め、実質的に島外との取引のほとんどを支配してる。おそらくは有沢兄弟のなかで最も力を持っているのは彼だろう。だから、元帥にとっては危険因子なのかもしれない」


 また、頷く。聞いていた話とほぼ同じだ。


「もしも危険な人間を監視するためという理由で彼を近づかせたいのなら、元帥の魔法は本当にもう島全体を覆うほどでは無くなった、ということですか?」


 鴻上さんの顔から笑みが消える。


「……そうだね。そうかもしれない。もしも彼が入閣すれば、OSPRや東側も元帥の力を疑うだろうね。……うん、そうだ。しかも有沢ヨウスケが無視できないほどの存在になるのを、元帥は阻止できなかったということにもなる。果たして本当にそうなのか、それとも……」


 考え始めた鴻上さんを見つめながら、僕も少し考えて、やめた。

 鴻上さんの家族の命を引き合いに出された以上は、有沢ヨウスケを当選させなければならないだろう。たとえ魔力が落ちていても、彼の力は無視できない。

 今考えるべきは、彼の命令を実行する方法だ。

 ……一番穏やかで刺激の少ない方法は、有沢ヨウスケが他の候補者よりも多く票を獲得すること。だけど問題は、どうやってそういう結果に持っていくか。


 ――確実なのは、蹴落とすこと。

 他の人間を、レースから脱落させてしまえばいい。


「……彼のほかに、有力な立候補者はいるんですか?」

 鴻上さんは、軽くうなずいて。


「ああ。まずは教育機関の長を務めるジョアンナ・ミストラル先生だね。教職を長く務めた女性で、軍にも市民にも彼女を慕う教え子は多い。それと――」


 それはほんの一瞬だけ、だけど嫌な予感が形を持つのには十分すぎる間があって。


「――つい先程、ルーガの長が立候補を表明したらしい」


 少し、驚く。そして理解する。


「……チャムが――希望が消えてしまったから……」


 もしもそうなら、それは僕のせいかもしれなくて。


「彼の胸の内はわからないけれど、正直に言ってその影響はあると思う。チャムちゃんの件で爆発しかけているルーガをなんとかまとめようとした行動なのかもしれない」


 罪悪感が、胸にこみあげる。

 それはベルトランが指摘した僕の根底にある力であって、魔法を使う度に薄れていく僕の中の『人間』の部分。

 僕は、チャムを守ってくれと言われていた。なのに長は、彼女を守れなかった僕を責めるような素振りは見せなかった。

 だけど、本当は――。

 本当の事を、僕は誰にも言えなかった。守ってやるどころか、彼女の魔力が暴走する後押しをしてしまったことを、言い出せなかった。

 多分元帥(あなた)は、知っているんだろう。だからあの時僕にカナをあてがった。僕の弱さと負い目を利用して、カナと僕を同期させた。

 そして今度は、あの人を。またしてもルーガの希望を。

 蹴り散らせというのか?


「……大丈夫かい? 確か君は、彼と知り合いだったよね?」

 少し眉を動かした鴻上さんに、僕はいつもの様に笑ってみせた。

「ええ。まあでも、しょうがないですね」

「そうか。そうだね」

 闇に隠れるように笑った彼は。

「もういいかな? なにか他に質問はあるかい?」

「いえ。とりあえず、今は、これで」

 ルーガの長を笑って見捨てようとするなんて、さすがに嫌われたかなと思いつつ。

 暗闇の中、目を合わせないまますれ違った彼の背に、僕は。


「あの、最後に。鴻上さんは元帥の手下なんですか?」


 背中で、彼が笑った気配。


「直接話したことすらないさ。だけど、ここに妻と幼い子供達がいて、あの方はどこにいるのかもわからない。そして彼は口にしたことを実行できる。だからきっと、彼の命令に従わざるを得ないのは僕だけじゃない。それを手下と呼ぶのなら、この島にいる人間はほとんどがそうなる」


 そうですか、とつぶやきかけた僕の背中に、とん、と鴻上さんの手のひらが押し当てられて。


「だけど、確かに君は違うように感じるよ。理不尽な命令を受けたはずなのに、途端にとても冷静に計算を始めた。いつも通りに笑いながらだ。君は誰か――例えば僕の家族やルーガの長が死んだときも、きっとそんな風に笑うんだろう?」


 ぞっとして振り向くと、そこにはもう彼の姿は無くて。

 開け放たれたドアの向こうから差し込む廊下の明かりが、真っ暗で空っぽな僕の部屋をぼんやりと照らし出していた。

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