第82話 アンナ・モアランド
「ベルトラン! 貴様一体どういうつもりだ!」
エレベーターの扉が開いた途端、顔を真っ赤にした研究員のリーダー達が彼の元へと詰め寄っていく。
「ヘイヘイヘイ、そう熱くなるなって。どーもこーも、俺は自分の仕事をしたまでさ。あんたらも有用なデータが手に入ったろ?」
両手をあげてへらへらと笑った男は、相変わらずのよれたジャンパー姿に気だるげな英語のまま、研究員たちの禿げ頭に背を向けて。
「で、どーだい? そっちのカロリーエンジェルも目的の情報が手に入ったかい?」
素敵なスマイルを浮かべながら、モニタールームの片隅でチョコレートバーをもぐもぐしていたアンナ・モアランドの机に寄り掛かった。
「ええ、そうね。シレンシオちゃんと勇敢なパイロットさんの犠牲のおかげで、LOAの粒子反応サンプルは一通りそろったんじゃないかしら」
片手のデバイスを掲げながらの彼女の返答に、ベルトランは片方の眉毛を持ち上げる。
「へえ。そいつはすげーな。ま、俺には何がすげーのかはわからないけどさ」
陽気に笑った男の前に、わなわなと肩を震わせたリーダーが顔を突き出した。
「いい加減にしろベルトラン! むざむざとシレンシオを破壊された挙句、アンチバイラスの研究員に協力をするなど――!?」
掴みかかりそうな剣幕で怒鳴る男の言葉に、アンナは丸い鼻をフン、と鳴らした。
「なんだね、モアランド君」
途端にギロリとレディーの顔を睨みつけたおじさまをちらりと見やったアンチバイラス所属の研究員は、チョコレートバーを咥えたままで。
「ああら、ごめんあそばせ。私はただ、あなたの協力なんて一切受けた覚えは無いってのを確認したかっただけ」
くいっと眼鏡を押し上げたついでに、ぐにぃとチョコバーを噛み切った彼女は。
「私は、こちらのノーラン・ベルトランと職務上の取引をしたの。この魅力的な私が彼の要求に答える代りに、あなたが泊まってるスウィートルームに案内してくれないかしらっていう、ね」
「……なんだと? 本部の許可は――」
食って掛かるおじさまの肩を、ベルトランがそっと横へと押し流しながら。
「あーあーうるせーな。そんなに上が気になるんなら、さっさと本社に報告するなりなんなりしろって」
「貴様、私を誰だと――」
「あはは。つれないわねぇノーランは。良いじゃない、ケチケチしないで教えてあげれば。アンナ・モアランドの研究は、イーストアンチバイラスだけじゃなく、OSPRも支援してるんだって」
電力を節約した灯りの下で、アンナはペロリと下唇のチョコをなめとりながら。
「お金の儲かる発明に夢中なあなた達と違って、私は割と医者寄りなのよ。つまり、私が主導している研究は、魔法を引き起こす粒子の分析とそれを使った魔法使いの個人特定。わかるかしら? つまりつまりもしかしたら、悪い事をした魔法使いを刑務所に送るための『精神のDNA』の検出や判別方法が見つかっちゃうかもってことなのよ」
モアランドが繰り出したウインクに、シレンシオの研究員は眉をひそめた。
「……つまり君は、その魔法の痕跡から、有沢元帥を見つけられると言うのかね?」
「あはは。さすがね。誰か頭のいい人が私の研究成果を利用すれば、そういうことも可能になるんじゃないかしら。でも、あくまでそれは私の研究の副産物。誰かさんが、隠れんぼしてるお爺さんをどうしようと私の知ったこっちゃないわ」
言葉通り悪びれる様子も無い乙女を見て、四十代くらいだろう船上の研究員はぎゅっと拳を握りしめた。
「馬鹿を言わないでくれ。まさか君達は、本社が死にぞこないの老人を見つけるためだけに、LOAの前に私のシレンシオとパイロットを差し出すことを許可したとでも言うのか」
愛情と人生と予算を注いだ我が子が怪物の前に跪く姿を見届けさせられた彼は、怒りと屈辱で舌までも震わせながら。
「奴らやファージと闘う為の満足な装備も与えられないまま、あんな壊れたパイロットで……何も出来ずに破壊されるなど――」
「あはは、研究員ってどうしてこう卑屈になるのかしら。あなたのシレンシオはじゅ~ぶん役に立ったわよ。手足の生えた優秀なセンサーとして、ね」
「貴様っ――!」
カラカラと笑う女に掴みかかろうとしたリーダーの肩を優しく絡め取ったベルトランが、そっと彼の耳元に囁いた。
「やめとけ。OSPRが作ろうとしてんのは、ファージと闘う機械なんかじゃなくて、もっとでかいシステムなんだよ。今ある国やら政府やらに成り代わる新しい世界の仕組みなんだ。その目的のためなら、あんたは勿論、俺もそいつもシレンシオも、魔法使いだって道具にすぎないのさ」
目を丸くしたリーダーの肩を叩いたベルトランは、信じられないと言いたげに目を泳がせている彼に向かって恭しく一礼をすると。
「なんで、どーぞどこへでも連絡をして報告すればいい。きっとあんたは消されたりはしねーよ。あんたのシレンシオちゃんは、しょーらい第零ラインクラスが『新しいシステム』に反抗した時に役に立つかもしれないしな」
若い二人の顔を見比べてぐっと感情を飲み込んだおじさまが、つかつかとエレベーターへと歩き出す。
「あは~ん、偉い人がやり込められてシュンとしちゃう瞬間って、ほぉんとたまらないわあ」
彼の姿が見えなくなったかどうかの内にむはーっと鼻息を荒くするアンナ。それを見て苦笑いのベルトランは。
「んじゃ、そろそろレディーもお帰りの時間だな」
「あら、ディナーもダンスも無しなの? つれないのね」
笑いながらも素直に立ち上がったアンナを帰りのエレベーターまでエスコートした色男は。
「悪いな、船乗りにとって一番の恋人は船なのさ。またこの島に降りることがあったら、バカンスを楽しもうぜ」
「うふふ、熱いランバダを楽しみにしてるわ」
エレベーターの中からんちゅっと投げキスを飛ばす研究員に、OSPRの職員は色気のあるスマイルを返しながら。
「それより、あんたも気を付けろよ? あんた、本当は魔海に穴をあけた犯人を告発するつもりなんだろ? そいつは人間側の1番デカいタブーだぜ?」
「あはは。買いかぶらないで、私はあくまで医者寄りの科学者ってだけ。ただこの世界がこんな風になった原因を知りたいだけなのよ。私にあるのは純粋な好奇心と探求心。正義感とか使命感って、三次元には存在しない感情でしょ? 愛と同じで」
ベルトランはヒューっと小さく口笛を吹き、エレベーターから身体を離した。
アンナはピピっと昇降パネルを操作しながら。
「うふふ。それと、あなたのその何でも分かってるぜ的な態度、私みたいな知性派気取りの女子には効果的じゃないわ。とってもいじめたくなっちゃうから」
にやっと笑ったアンナは、おどけた顔のラテン系男に向かって。
「例えば、LOAは私がここにいることにも気付いていたわよ。彼が常に意識してたのは私なの。あなたでもシレンシオでもなくってね」
たっぷりと外連味を持たせた指先で扉を閉じるボタンに触れ。
「部屋の中の思念粒子反応を見ればいいわ、LOAはシレンシオを支配する事よりもガラスの向こうにいる人間への接触に力を割いていたってわかるから。ふふふふ、ひょっとして、私と彼はもう次のステップに進んでいるのかもしれないわね。元帥と孫娘みたいな関係に」
音も無く閉まっていく扉の隙間でぴくりと歪んだベルトランの頬に向かって、彼女は感情を失くした様な表情をつくり。
「それこそ、『手足の生えたセンサー』かしら? あははははははは」
動き出した箱の中で、実に楽しげな笑い声を響かせていた。
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