第81話 世界できっと、あなただけが
真っ白な海岸線を、青い海と暴風林を両目に見ながら歩いて行く。
「……ほんとに歩くんですかぁ?」
右手、林の側のやや後ろから追い抜いて行ったカナが不満そうな声を上げて、僕はもうすぐスコールが来ると思った。
「……後ろから撃たれたりしてぇ」
「久遠が守ってくれるよ」
背後で久遠が『えっ?』と返事をするのを聴きながら、防護服の上に羽織ったOSPRのジャケットに両手を突っ込んだ僕は、ただ海と雲と自分の爪先を眺めていた。
「じゃあいきなりバって誰かに襲われたりぃ~」
「それはカナにお任せするよ」
笑いながら足下に呟くと、制服姿のカナは詰まらなそうに鼻をツンと尖らせた。
藤崎と違って隊員らしく伸びた背中に、短いスカートの下まで届く長い腕。空を見上げたつむじから短い黒髪が真っ直ぐに白い大地に垂れる様は、彫刻みたいに綺麗だった。
「嫌ですよぉ~だ。飯島さんと違って、カナは甘くないんです」
そう言って、彼女は空を見上げたまま振り返り気味に睨んで見せた。形だけなら少し前までよく見た軽蔑のポーズだったけれど、瞳には彼女なりの気づかいが滲んでいるように思えた。
それを指摘する様におどけた顔で肩を竦めてみせると、プライドと身長の高い美少女様は大人びた美貌を精一杯に歪めて見せて。
「違いますぅ。カナちゃんは先輩を憐れんでるんですぅ。わざわざリベンジに行ってシレンシオに勝ったのにぃ、結局全然なんにもモヤモヤが晴れてないウザジマ・セイ先輩をぉ」
表面的にはいつものミラクルカナちゃんらしい軽口と、他人を舐めた様な明るさと。
「ふーんだ。あの人かっこよかったですよねぇ? どうですか? 心の中を覗かれる気分は。言われなくても分かってる事とか、他の人には知られたくないことをペラペラお喋りされて、こうしたらいいよなんてアドバイスまでされちゃう気分は?」
ツーンツーンと石ころを蹴飛ばすみたいに一歩一歩長い足を伸ばして歩くカナが、横目で僕を見ている。相変わらず視線を合わせないまま海の方を眺めていた僕の耳たぶ辺りを少しだけ苦しげに見つめて、目の前にあるそいつの腕をつかもうとして――やめて。
「……そうだね。確かにやってる時の方が楽しいかな」
僕はいっぞ清々しい位に痛々しい笑顔になった。
「そうですか、最低ですね。ちなみにカナは見てて痛快でした。やる気満々の先輩が見る見るうちにシューンってなってあわあわしちゃって、爆笑です」
「ひどいな、カナちゃんは」
身長とプライドが高くて、口と性格の悪いお嬢様。
「そうですよ。私は慰めてあげたりとかしませんし。そうやって不細工な犬みたいにしょんぼりしてたら、きっとマドカさんが心配してくれますよ。良かったですね、先輩」
呆れたように視線を斜めに飛ばしたカナが、またちらりと僕の気配を探るようにして。
「分かってますから。さっきから先輩がマドカさんの事考えてるの」
なにか大切の事を言いたげな彼女の声に、僕は何の事だか分からない振りをした。
「今日も、私、先輩が学校に来たの分かったんです。ちょっと思いつめたみたいな小田島先輩が近くに来たって。ピンって! カナの頭に来たんです。港で追いついた時も、危ない状況なんだなとか、周りにいる狙撃手を気にしてるんだなとかって、なんとなく分かりました。分かっちゃいました。今だって――」
風に揺れる亜熱帯の木々の前で、少女はなるべく無の感情を作るように。そうやって事務的に告げる事で、自分の身に起こっている事が本当なんだと確かめるみたいに。
「多分、きっと……あの海洋性を追いかけた時からです。お爺様――ううん、きっとチャムちゃんの固有魔法みたいに先輩の欠片が私の中に残ってるんだと思います。それっておかしくないですよね。だって、私にも先輩達と同じ、C型の遺伝子がありますから」
本当なんですとアピールするみたいに、本当であって欲しいと願うみたいに。
生まれた時から特別で孤独な存在だった女の子は、少し冷たくなった真面目な声で。
「……先輩も……感じてますよね?」
「さあ、どうかな」
肯定も否定もしない僕の声に、呆れと寂しさの混じった溜息がこっそりこぼれた。
真っ白だった雲が空の向こうでどんどん分厚く灰色に染まっていくのを見つめながら、僕は。
「カナ。どっちにしろ、君が望んでる答えを僕が君に返すことはもう二度と無いよ」
有沢カナは一瞬だけ形の良い顎を持ち上げて、それから何かを納得したみたいにゆっくりと頷いた。二人から少し距離を置いて聞き耳を立てていた久遠が思わず一歩後退る位、静かに膨れ上がっていたカナの感情がしぼんだのは明白だった。
だから、僕はそれをなるべく傷つけないように。強くて速い大切な仲間を、失わない様に。
「……初めて君のお爺さんに――有沢元帥と話した時に、思ったんだ。同類だって。元帥は声だけだったけど、すぐに分かったよ。他には――もういない」
チャムは、もう、いなくなった。病室にいたあの子は、もう。僕達とは違ってしまった。
それでやっと本当に、みんなと同じになれたのかもしれないけれど。
カナと話している内にいつもの表情が崩れていってしまうのを増強剤のせいにして、ごまかすようにどこか遠くの方を見る。
「多分、海洋性を追いかけたあの時に、君は君がずっと抱いていたのと似た寂しさみたいな物を僕の中で見つけたんだ。でも、それは違う。なるべく君のストレスが少なくて済むように、君が心を許すような存在を与えただけなんだ」
あのお花畑の真ん中で自分の中の何かを否定し続けているような可憐で孤独な彼女の姿と、そこから連れ出してくれる様な優しい魔法使いの王子様を。
「だから、カナ。君が今、僕に抱いてる好意に似た感情は、勘違いなんだ。君は僕を好きなんじゃ無く、君自身の欠落してる部分を誰かに穴埋めして欲しいだけなように感じるよ」
僕は、それに気が付く事が出来るから。それを上手く利用できるから。
藤崎とおしゃべりしながら、頭のどこかで彼女の気に入る答えを探して歩いたあの夜の様に。
誰かに気に入られたいとか好かれたいとかいう欲求がこの心にある限り、いつかきっと、僕はその願望に飲み込まれてしまうから。それを、叶えてしまいそうだから。君や藤崎やチャムが離れていくことを、僕を見る目が変わってしまうことを、きっと受け入れられないと思うから。
みんなが言うようにC型は最前線にはいられない。海洋性の命とチャムの未来を奪って、ベルトランと話して、身に染みてわかった。僕はもう本当の意味で君や藤崎と一緒には闘えないんだという事が。
目も合わせないままで僕が告げると、久遠はなんだか申し訳なさそうに首を竦め、当の本人はそういう僕を笑いながら、空に向かって真っすぐに鼻を伸ばし。
「先輩が言うなら、そうかも知れませんね」
なんて、海と雲を見つめたままの僕をカナはまた少しだけ笑って。
「でも、じゃあ別にそれでいいです。小田島先輩と違って、私には勘違いしかできませんから。いつかそれに気が付いて笑い話になるのかもしれませんし、一生勘違いしたままかもしれませんし」
――だから、別に先輩のせいじゃないですから。
そっと背中に触れる様な彼女の声を聴いた気がして思わず振り向いてしまった僕の前で、有沢カナは彼女に似合いの嗜虐的な笑みを浮かべると。
「ていうかぁ、『君は僕の事を好きなんだ』なんて、自分で言ってて気持悪くないんですかぁ? 客観的に見て勘違いしてるのってそっちじゃないですかぁ。だってカナちゃんマジ美少女ですもん。本土にいたら雑誌に載っちゃうレベルなんでぇ。ありえないですよ」
得意気に首筋の髪を手で払って。
「ね~、飯島さん?」
突然くるりと振り向かれた久遠は、お下げが逆立ちする位にビクッと身体を震わせると。
「あ、あああ、は、はい! そ、そうでありますっ! あ、い、いやししししかし、こっ、これは決して伍長の見た目をおディスリしているわけではなくてありましてっ!! そ、その、単純に……ええと……」
くすくす笑うカナの横で、僕はしっかりとおディスリされた顔面に仏頂面を浮かべながら。
「単純に?」
すると久遠は、心を落ち着かせるようにはーっと大きく息を吐いて。
「……奇跡は、起こり得るという事です」
必死で真剣な彼女の顔に、カナはあははと笑った口元を押さえながら。
「奇跡だって。ほぉら、世界で先輩だけですよ、そんな事言ってるの」
なんて、小首を傾げて微笑むと、次の瞬間真っ赤な特製ブーツででカツンっと地面を蹴りつけて。
「じゃ、カナちゃん真面目なんで先に学校に戻りますね。先輩をよろしく、飯島さん。それではそれでは、御機嫌よう」
おどけた笑顔で手を振って、それで『はっ』と時間を気にしだした久遠にもにっこり笑いかけて、精一杯に。
「ほんと、最低」
堪え切れない苦しさから逃げ出したようには見えない声の強さとスピードで、林の向こうへと消えていった。
「君も行っていいよ。学校には後で僕からも言っておく」
「あ、い、いえ。だ、大丈夫であります! この飯島、責任を持って最後までお守りしますので!」
慌ててシュタタと僕の横へと走って来た久遠が職務を果たそうと辺りに白い球体を飛ばし始めるのを、僕はありがたく受けいれる事にした。
そうして、身の安全を確保した久遠は「あ、あの、あの……その……」と乙女の好奇心で鼻を膨らませながら。
「お、小田島伍長は……ふ、藤崎少尉と……そ、その……お、お付き合いと言いますか……つ、つまりその……いわゆる男女の関係なのではありませんか?」
いつかの週刊誌の様に噂の真相を聞こうとワクワクしながら、それでも僕と目が合うと、途端に「しまったー!」と頭を抱え。
「あ、い、いえ! し、失礼ぶっこきました! と、当然今日の飯島は何も聞かず、何も見ませんでしたであります! 決して我らが第三小隊が描く大三角形的なアレがそうだなどとは思ってもいないでありますのでっ!」
三つ編みお下げの両端を握って目を白黒させる久遠に、僕は笑って首を振る。
「別に、誰に何を言われても大丈夫だよ」
そんな風に笑ってみせると、久遠はほっと胸をなでおろし、それから相変わらず三つ編みの端を握ったまま僕の顔をおそるおそる覗き込んで来て。
「……し、しかし、小田島伍長は、そ、その……藤崎少尉の事を、お好き、なのですか?」
真面目な顔で踏み込む彼女の瞳に、意外と根性あるなあと僕は笑って。
「どうだろうね。少なくとも……カナや藤崎――それに君とか、他の人が言うそれとは違うと思うけど」
言いながら、ぼんやりした頭を傾げて歩き出した。視界の先の消波装置に打ち付ける波の音が高くなって、激しく降り出したスコールが海の向こうを暗く染めるのが見えた。
「……違う、と言いますと――?」
「藤崎は多分、宗教に近い」
久遠の声が終わらないうちに、僕は。
「神様とか、祈りとか……僕が知っている中で一番似ている感情は、それだと思う」
意味を理解した後で引いてしまった久遠にも構わず、言葉にならない何かを頭の中で考えながら人工的な海岸線を歩き続けた。
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