第83話 遥かなるフロンティア
「……し、宗教……と言いますと、本土で言う神様の様な……?」
強い倦怠感と、瞬きするたびに頭の中に聞こえるノイズ。
重たくなった耳の中に久遠の声が聞こえて首を振る。
「多分それは、君の言葉のイメージによるよ。僕にとって、藤崎は、特別だってこと」
確かなのは、本土の教室や、この島で感じた誰かの『好き』と言うモノとは少し違って。
「……例えば……」
そう、藤崎や多くの人達が言う、手札の中から一枚を選ぶようなモノでは無くて。
あるいは有沢カナのような、自分の隙間を満たしたいという欲求の代名詞でも無くて。
それは、多分、もう少し、深く、静かに。
例えば未来、彼女の人生に僕が存在していなくてもそれでいいと思える様な。
心霊写真みたいに、彼女の物語の中に映りこむぼやけたピースサインで構わないと思える様な。
気付かれなくても、離れていても、傷つける事も、見返りも求めること無く、ただそこに在る様な――。
……月……みたいな
ぼやけた頭の中に湧いたイメージが、流れ落ちる水の様に口をつく。だんだんと、自分が自分の足で歩いているのかどうかすら怪しくなってきた。
「……は、はあ。月……ですか」
……僕は、あの子に、幸せに暮らしてほしい。家族や、友達と、みんなで。
あの人の、ベルトランの言った通り。僕は、それで、きっと。一番強いあの子を、ずっと憧れていたあの子の夢を、叶えて。魔法使いだろうと、人間だろうと。証明する。楽しい事とか、嬉しい事とか、もしも嫌な事があっても誰かと愚痴を言ったりして笑っていられるような……そういう生活に
最前線じゃなくても、暴力に頼らなくても、自分の価値や力や喜びを、周りの人達の中で感じられる人生に
僕が憧れていた、幸せの中に
それが、僕の生きる指針。越えてはいけない一本の線。僕にとって、彼女自身が描いた未来の中で笑っている事が、小田島セイを人間と化物に分ける境界線――
「ご、伍長!? だいじょっ!? そ、その……血……が……」
……え?
言われて、久遠が見上げてる辺りの違和感を手の甲で拭う。鼻血だ、と思った。身体が強制的に魔力を排出しようとしているのか、あるいは中身より先に入れ物の方が壊れ始めたか。
「……あ、あの……伍長、やはり……
言いかけた久遠の言葉に、首を振った。
きちんと訓練を積んで生きてきた魔法使いや近代兵器を構える兵士達、それから未知の化物だとか、もしかしたら僕と同類の人間も。僕は彼らを確実に先に捉える必要があって、そこにほんのわずかでも不安や迷いがあってはいけないから。
敵と向かい合った時に、絶対にそれが可能だと言う確信と、彼らの身体や心がどんな事になろうとも構わないという覚悟と残酷さだけをもたなければ駄目だから。
はは。怖いだろ、久遠?
ベルトランが言う通りのイカれた奴が。他人の意識を乗っ取る様な化物が。なら、それでいい。僕はそれで、有利になる。その恐怖や躊躇や疑いが、強者の心に糸を通す隙になる。
「し、しかし!」
久遠の声は、悲鳴のようだった。
「そ、それで一体!? 藤崎少尉はそんな人ではありません! 例えファージが消えたとしても、それで小田島伍長が犠牲になる様なことがあれば――」
そうだね。僕も、そう思うよ。あの子は、甘くて優しい人だから、
「な、ならばっ!」
大丈夫。忘れるから。
「そ、そんなわけ――っ!?」
忘れるんだ。その時が来たら。僕の事なんて。全部。忘れるから。藤崎だけじゃなくて、君も、カナも、チャムも、みんな。最初から、僕達なんかいなかったみたいに。
その瞬間のために、僕は、ここで、生きて行こうと思う。
何もせずに膝を抱えている事が出来ないなら、何が出来るか分からなくても、出来る限りを。コインの裏表みたいに生と死が貼りついたこの島の中で、ずっと表が出続けていると彼女に錯覚させたまま。幸せに。
あの日、ファージに向かって両手を広げ、子供を守ろうとした何でもない男の様に。僕は、誰かが投げつけてきたコインを握りつぶして。
そのために、あの人達が笑って生きていけたはずの未来のために、僕やファージみたいな化物なんかがいなかった世界のために、生きてみようと、決めたから。
「し、しかし、その……
……久遠。少しだけ、眠るよ。
「え? はい? ちょっ? 伍長!? だ、大丈夫ですか? っ! し、白目が真っ赤でありますが!?」
だから もし良ければ 守ってくれると ありがたい
「ああああ、そ、それはもう、そうさせて頂きますが……それよりも医務局に――」
大丈夫。医者なら、頼んであるから。それと、出来れば、誰にも内緒にしてほしい。きっと、藤崎が心配するし。
「い、いや、しかし、それは飯島も同じで――」
迷惑かけるね 飯島久遠――
「め、迷惑などでは……でも……いえ、どうして、そんなに……?」
うじうじしてるのかって?
「はい? あ、いえ、今のハイはYesではNoでありまして……」
さあね。君のがうつったんじゃないかな。
誰にも答えられない疑問を軽口で遮って、笑いながら閉じた瞼の裏。
路傍の木に寄り掛かりずるずると倒れて行く男を困惑一杯で見下ろすポニーテールの向こうに、出航して行く巨大な船と、狭い海岸道をスルスルと走って来るバスの姿がぼんやりと見えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます