第79話 同期


『オオオオオオッッアアアアアア!!』


 広い部屋に響く絶叫、あるいは悲鳴。

 ファージの体組成を応用した光沢のあるボディを震わせるように、機械仕掛けの化物が全てに絶望したかのような産声を撒き散らす。


『この数値……やはりパイロットはです! ですが――しかしこれは……?』

『馬鹿な! 彼はもう自力で乗れる状態では――ベルトラン、貴様、何をやっているのかわかっているのか?』


 その咆哮に被せてスピーカーから響く怒鳴り声にも、長髪のOSPR職員は気だるげな所作を崩さないままで。


「なにって、決まってるだろ? この船にLOAが侵入を試みた。奴の目的が訓練生の復讐なら、狙いは当然船を撃ったシレンシオとそれに乗っていたパイロットだ」


 まるで自分には何も関係が無いかのように。彼にだけは、目の前で始まった殺し合いが見えていないかのように――


「オダジマ・セイが本気になりゃあ、どんな厳戒態勢だろーと関係無い。だから本人を1番安全な場所――1番強い乗り物の中に避難させた。そーいうことだよな、ボーイ?」


 もしくは最初から世界の全てがそんな風に見えているかのように、彼は他人事のように肩をすくめて。


「先輩っ!」

「……え? ああ、ごめ――」


 呆然としていた僕のすぐ近くで、重機がぶつかり合うようなガオン! という音がする。見れば、ほとんど目の前にあったシレンシオの大きな掌を、制服姿の女の子が高く掲げた赤いブーツで受け止めていて。


「らっ!!」


 奴がもう片方の手で目の前の少女を握り潰そうとした時にはすでにその顔面――瞳の様に見える部分に思いっきり蹴りを浴びせていた。


『ッ』


 硬質な重機の音を上げてのけ反ったシレンシオの顔面に張り付くように、ミニスカートの足を振り抜いた勢いのまま空中を蹴ったカナが、ダメージを負わせた箇所に向かって両手の銃から無数の銃弾を撃ちおろす。


 ――予感。


「カナッ!」

「はいっ!」


 警告を発するのとほとんど同時に離脱したカナがいた空間を、機械人形の瞳から放たれた魔力光が撃ち抜いていく。


「ふっふっふ~ん。カナちゃんいぇいっ、片目やったりましたよぉ」


 天井を簡単に抉る程の照射線をギリギリのタイミングで躱したカナは、一本きりしか魔力を撃てなかった化物を見上げながら、ちょっと唇を尖らせて。


「あれ? もしかしてぇ、もう一個もやらないと褒めてもらえない感じですかぁ?」


 こちらはこちらで相変わらずな彼女の問いに、首を振る。


「そんなことはないけど、あれは目じゃ無い。まだ普通に見えてるよ」


 眼下で反応し合う小さな人間二人も、その後ろで口をポカンと開けているポニーテールの女の子も。壁際で称賛の口笛を吹くベルトランも、その頭の上の窓の中まで、あの生き物ははっきりと知覚してる。


「……? え? 見えてる――って、もしかして?」

「うん。もう捕まえてはいるんだ。でも――」


 何かが、違う。

 僕に反応して目を覚ましたはずなのに。

 その瞬間。僕の願い通りに、くだらない映像を映す壁を燃やしてくれたはずなのに。


『オアアアアアイイイアアアアアッッ』


 鈍い光を発する機械の化物が、再び猛烈な怒りに塗れた僕の名を叫んでビキビキと細動する。


「っ……久遠」

「は、ははははい! イエッサーであります!」

「~っ……だから、敬礼じゃなくて飯島さんが前に出ろって言ってんの!」

「ひっ、い、いいいいいいイエスですマム! はいっ!」


 カナに怒られた飯島久遠が慌てて僕らの周囲にシールドを展開した直後、拳を振り上げたシレンシオはそこからさらに全身のバネを高くへと伸ばして。


「ぁえ……? ご、伍長っ! が――」

「目を逸らすなっ!」


 振り向こうとしたポニーテールがびくりと大きく揺れる間に、彼女の三倍近くある機械生物が身体中の力を乗せた両腕を叩きつける。


「!? っ!!」


 バジンッという衝撃が頭上の半球にぶつかった瞬間、飯島久遠は甲羅型の丸みを活かして敵の拳と力を船の床へと投げ捨てた。そして即座に足元の衝撃から逃れるために大きく飛び退いて。


「……あ、え? 今、私……?」


 自分の掌と、隣の防護服の男と、それから少し向こうでギリギリと動き出したシレンシオを見比べているつぶらな瞳に、首肯する。


「今、僕を中継にしてカナのイメージを君に共有した。久遠に足りない経験を、百戦錬磨の魔法使いな有沢カナちゃんが補ってくれるようにね」


 いぇいとピースを決めるカナちゃんとその手前でぱちくりと目を瞬かせる久遠に向かって、LOAだかなんだかは見慣れた笑顔を作りながら。


「言っただろ、飯島久遠。君なら出来るって。君は、君が望むものを守り切れる」

「……は、はあ……」


 そう、出来る。僕なら。他人と視界や思考を共有するチャムの魔法に似た芸当が。僕はそれを何度も体験したのだから。絶対に、出来る。

 体内と大気を満たす思念粒子を反応させるために必要なのは、意識するまでもなくそれが出来ると思う気持ち。あとはそれをやろうとする強い意志だ。

 だから、自分のやったことが信じられないと言いたげに瞬きしている小柄で内気な少女に、もう一度頷いてみせて。


「久遠。僕が君を本当に優れていると思うのは、君が誰かを守れるからじゃ無い。君が、道を切り開いてくれるからだ。君なら、どんな不利な状況でも、僕を敵の所へ連れて行けるからなんだ。だからあとは君が僕を信じてくれれば、僕達は勝てる。何にでもね」

「…………うぅ……い、飯島、了解です」「カナちゃんもオッケーですよぅ」


 見上げる、シレンシオを。久遠と、カナと、僕。思考を共有した三人で一匹の魔法使いが、三人分の情報と思考の処理を任されたもう一人の僕を見上げている。

 内側に組み込まれた怒りが幾重にも爆発をし続けて、破壊兵器に代えられた人造のファージ。

 一瞬、ちらりと、黒い防護服を着た僕の目をベルトランと合わせた。


 動きを止めていたシレンシオが、湧きあがる怒りと恨みと恐怖で震えだす。

 また、あれだ。

 さっきも経験した生物としての違和感――生き物の内側にもう一つの意志があって、それが肉体を取り戻そうとするような。

 一足飛びに僕らの元へ飛ぼうとした機械の足を膝から崩す。

 ぐしゃっと地面に跪いたまま、奴は吠える。

 何かを振り払う様なその叫び声で、外側を――シレンシオ自体を支配していたはずの僕の意識が弾きだされた。


『どーにも止まらないな』

「っ!?」


 声か、言葉か、ベルトランが発した意思が意味に変わるのと同時に、僕自身の記憶が刺激される。あれは、あの振りほどき方は、いつだったか確実に経験した。

 ほんのわずかにぶれた集中を取り戻した僕の目に、自由を奪い返した甲虫色の機体の背中で、四枚の透明な羽が開くのが見えた。


「……久遠、頼む」

「ああああはいいいいいいっ!」


 奴の羽が虹色に煌めくと同時、叫び声をあげていた口の前に三重の輪が出来て――


 ――ああ、そうか。


「飯島さんっ!!」

「っ!? にいいいいいぃぃぃっ!!!」


 魔力と魔力がぶつかった衝撃がズドンという音に変わる程の重たさ。


 ――思い出した。


「こっ、こなくそおおおおおおっ!」

「先輩っ!」


 さすがに耐えきれないというイメージが頭に浮かんだときには、カナが僕と久遠の間にいて。


『そいつは、もー止まらないんだ』

「大丈夫だよ」


 僕は少し、笑っていた。

 あれは、グエンのやり方だ。トイレで会ったアンチバイラスをクビになりかけているルーガの戦士。初めて僕が他人の身体を操った相手。

 彼も確か、この機械と同じように、僕を弾いた。

 多分それは偶然じゃ無くて。

 反元帥派のルーガの魔法使いが一時的に精神の外側を覆う事で僕達の魔法に対抗して見せたのと、疑似的な精神を持つ生物の内側に本体パイロットを搭載しているこの兵器は、良く似た構造になっている。

 僕はきっと最初から、一番厄介な敵を教えられたんだ。

 『彼』に。

 なら、どうする。分かる。簡単だ。構造さえ分かっていれば、外側から内側まで両方侵食してしまえばいいだけのこと。


 ――できる。その気になれば今すぐにでも。だけど、今はカナがいて、久遠がいて、まだ余裕がある。なら。


「いいいいいいいなあああああぁぁぁらあああああああっ!!!」


 衝突する魔力の接点に向かって次から次に魔力の球体を発生させて被膜の強度を上げ続けた久遠が、やがて。


「しゃああああああらああああっっぷ!! どうだこのやろおおおおおおっ!!」


 バシンッと最後の照射を防ぎきってみせ、生きる喜びにあふれたガッツポーズを繰り出した。


「飯島、伍長を守り切りましたああああっ!!」

「うん。凄いな。さすがだよ久遠。驚いた。ありがとう。君に着いて来てもらって本当によかった」

「え、えへへへへ。もったいないお言葉でありますっ!!」

「……いいなぁ……馬鹿で」


 何か言いたげな目でこちらを見つめるカナに苦笑した僕は、大きく首を振りながら。


「……だめだな。多分、海洋性と同じで外骨格が邪魔してる。出来れば穴をあけて、中に乗ってる人間を直接捕まえたいんだけど」


 今は、穴がなければ捕まえられない振りをしようと思った。この機械が、僕達に対抗できると思ってもらおうと。いつかきっと訪れるだろう、最高に利用できるタイミングまで。


「はぁ~い」「ハイっ! 任せて下さい!」


 呑気なカナのお返事と、俄然自信とやる気にあふれた久遠の華麗な敬礼を少し嬉しく思いながら


「――頼んだよ」


 視線を敵に向けた瞬間、有沢カナの号砲が鳴り響き、赤い残像が敵を襲った。

 尋常では無い速度と破壊力を持ったA型の魔法使いに襲われたOSPRの巨大な兵器は丸腰ではとても太刀打ちできず、頭上を飛び回る彼女を払おうと腕や身体を動かしながら少しずつ後退を余儀なくされる。

 それと同時、防御態勢が弱まった足元へとシールドに包まれた二人が走り寄ってきて。


『アアアアアアアアッ!』


 怒りと恐れの混じった鳴き声を上げたシレンシオの顔が、飛び回るカナから足元で笑う少年へと向けられた。


「だからぁ、よそ見は禁止だぞっと」


 瞬間、ニコニコ笑顔で目の前に滑り込んだ有沢カナの全身全霊を込めた魔力の弾丸が、奴の瞳の様な部分を――


『アアアアアアッ!!!!!』


 バギン、という破砕音。真正面から後頭部までを貫いたカナの渾身の一撃でシレンシオが崩れ落ちる。


「今です、伍長!」


 その機械の身体を幾つもの球体が囲い込み、それを結んだ線がすぐに面を形成し。バギッと潰し、切り裂いて。


『オアアアイイアアアアアア――

『乗り手が意識を失っても、シレンシオは止まらないぜ。魔力(えいよう)が底を尽きるまで、搾り取るのさ。シュガーをやってイカレた時のボーイみたいにな』

 ――アアアアアアアアアアッ!』


 跪き、シールドに縛り上げられた身体を震わせ咆哮をあげる人間の意志を搭載した機械。その頭部に空いた大きな穴の前まで、黒の防護服のポケットに手を突っ込んだままゆっくりと浮かんで来た少年は。


『オアアアアイイアアアアアア!!!』


 無反応のまま、凶器そのものと化した乗り物に栄養を吸い上げられる精神に触れ、化け物が化け物の言葉で呼び続ける自分の名前に返事をするように。


「――いるよ、ここに」


 優しく微笑んで、それから軽く目を閉じて。


『止めてやろーぜ、セイ』


 その瞬間まで、心のどこかにあったわずかな迷いを。


『気づいたかい? 今、エレベーターに子供達が乗った。隊長さんがやらなきゃ、と―ちゃくしちまうぜ』 


 ――――プツン、と。


 反動の眩暈を誤魔化す様に、強く奥歯を噛んで。

 目の前の敵に向かって伸ばした手が空を掴み、最初はゆっくりと。それから重力に負けて加速度的に崩れ落ちた滑らかな機械を、しばらくぼんやりと見下ろしていた。


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