第78話 ノーラン・ベルトラン

 ホテルの様な内装と適温に保たれた広い通路を歩き、いくつかのセキュリティゲートを越えた先のエレベーターで、僕らは船の深部に辿り着いた。

 眩暈がするほど広い空間だった。柱と剥き出しパイプ、床や壁を這い回る様ないくつものコード。

 その部屋の真ん中に、一体だけ。

 靴音と久遠が唾を飲み込む音が響くホールの中央に、巨大な銀色のロボットが跪くようにして僕達を待っていた。

 天井から肩口を吊るす同系色のワイヤーと、身体中につながる色とりどりのコード。


「シレンシオだ」


 名前を放り投げる様な彼の紹介で、久遠の心臓が飛び跳ねた。そのまま気絶してしまうんじゃないかと思ったけれど、何とか踏ん張ってくれている。


「大きいんですね」


 同じくぞんざいな感想を呟いた僕の声に、別の心臓が反応したのが分かる。それは多分、正確には心臓らしきもの。あるいはその生物の頭脳に近いものだろうと思った。

 その感覚を裏づけする様に壁際に置かれた机の上のモニターがを確認したベルトランが、ホールの上部に張り出していた部屋の窓を見上げながら。


「まあな。この時代に、有人でなきゃ動かないようだからさ」

「……本当に、僕に反応するんですね」


 視線。人間で言うのならそれに当たる物が、目の前の巨大な機械から僕へと向けられているのが分かる。まるで何本もの糸が彼から僕に向かって伸びて来るような感覚。それも、僕を貫くのではなくて子犬が飼い主の肌に舌を這わせるように、ペタペタと。存在の輪郭を確かめるみたいに。


 少し不快な感じの接触を試みる機械から視線をずらし、ベルトランが見上げた部屋を見上げる。


 張り出し窓の両脇から壁沿いを巡る様にしてぐるりとホールを取り囲む空中回廊に、四つの意識を感じた。触れた瞬間に味方では無いと分かる位には攻撃的な意志を隠すわけでも無く、冷徹に事態に備えている呼吸。

 やっちゃいましょうかぁとでも言いたげなカナを視線で制し、眉間から頭頂部へと駆け抜けた頭痛を顔に出さない様に奥歯で堪えた。


 すると、ラテン系の渋い髭面がゆっくりとこちらに向き直って。


「まあな。こいつは『シレンシオ』だからな。同じなんだよ、ボーイと」

「……魔力の、波形って奴ですか?」


 質問を返しながら――というよりもきっともっと早く、多分その姿を視界に捉えた瞬間、僕は直感していた。

 多分、本当にこの乗り物は――。

 そういう僕の表情を盗み見たベルトランが、少し笑って。


「そーさ、つまりこいつはきっとボーイのための乗り物だ」

「……僕に、乗れと?」


 そのために僕をここへ招き入れたのだろうか。眉間に皺を寄せた僕に、ベルトランは笑いながら首を振り。


「いーや、それは無い。立場上、そーいうわけにはいかないのさ」


 肩を竦めたベルトランは、計測器やらモニターが置いてあるデスクに半分もたれかかるようにしながら僕とシレンシオ、それから頭の上のガラス窓を順番に見て。


「考えてみたんだ。こないだの、そっちの船が正体不明の海洋性に襲われた件についてさ」


 夕闇に溶けてしまいそうなチャムの横顔が浮かんだ瞬間、心臓がドクンと脈を打った。

 駄目だ、と思う。冷静になれ、と。ただでさえ増強加速剤シュガーと戦闘行為で高まった魔力が、自我を奪いかけている。


 鼓動と共に全身を巡る痛みと悪意を堪えようと強く目を閉じると、頭の中でジュッとなにかが焼けるような音がして――


「だいじょぶです」


 囁くような声と同時、そっと背中に触れたカナの手で我に返った。


「……大丈夫ですよ、先輩」


 手の平を背中に付けたままじっと覗き込んでくる彼女の声と瞳から、僕は逃げる様に視線を切った。それに気づいてかすかに笑ったベルトランを見て、喉の奥をぎゅっと締める。


「はは、成程ね。生存者罪悪感って奴だな、ボーイ」

「……なにが、ですか?」


 まるで心臓を逆さまに撫でられたかのようにぞくりと身体が震えるのを感じながら、僕は両手を広げておどけた彼を睨み上げた。


「いや、なに。あんたの事さ。どーにもね、俺みたいな真っ当な人間にゃボーイは理解できない事が多くてさ。心の優しい青少年かと思いきや、冷酷で、残忍で、イカレた部分も持ち合わせてる。今日だってまさか堂々と殴り込んで来るとはね。一体何が優しいボーイをそうさせてるのかと思ってたら、よーやくわかったね」


 肩をすくめて唇を歪めた彼は、笑いながら。


「つまりさ、あの時自分には何かできたんじゃないかとか、もっとこうしていればとか、その感情がボーイを動かしてる。よーするに、お前はずっと例の飛行機の中にいるんだ。違うか?」


 デスクに寄り掛かったまま小首を傾げる様にして問いかけた彼は、僕が何かを言うより早く


「――いや、違うな」


 と否定して、瞳の焦点をより深くへと合わせる様に。


「ボーイは何も出来なかった。それの否定だ。あんたは、覚醒した自分の力を感じる事で過去の自分を否定しようとしてる。ここに来たのもそーいう事か。船が襲われ、子供達が傷つけられても、また何も出来なかった自分を打ち消すために、『僕がいれば違った』って『あの時の僕とは違うんだって』事を証明しに来たんだ」


 無精ひげに包まれた口元が、怪しく歪んだ。


「気にするな、割とよくある症状だよ。あの時皆と死んでいればと思うような過去の経験から来る恐怖や屈辱、無力感から逃れるために――自分は何かが出来る人間なんだと思う為に、過度な暴力や破壊衝動に飲み込まれる。だからボーイは冷酷で、残忍で、好戦的で、危険な場所に自分を置きたがる。誰かのためじゃ無い。自分に力があると思いたいから。敵を殺して、他人とボーイ自身を傷つけることで自分を罰して、罪悪感を薄めて、そーやって安心してるんだ」


 ――やめろ。


 視界の中で、彼の唇が動く。言葉になる。僕はそれが音になる前に理解していて。

 彼の口かカナや久遠の耳を塞いでしまいたかった。


 ――やめてくれ。僕は。僕はそうじゃ――僕は、藤崎やチャムを――


 なのに僕の声は形にならず、串刺しにされた魚の様にのたうち回るばかりで。


「しかもあんたは、人一倍他人の感情に敏感な生き物だ。それでいて幼児期に虐待を受けた経験から他人の愛情を理解できず、称賛や敬意を浴びる事よりも恐怖や屈辱を他人に与える事が強さだと思ってる。それこそがあの飛行機の中からずっとボーイが味わい続けてる物だからな。だから今日もここに押し入ってきた。OSPRを捻じ伏せてシレンシオへの道を開けさせることで、無力な自分を否定し、他人の恐れを感じたい。それで満足して、興奮して、精神の平穏を保てる。そーだろ?」


 恥だ、と思った。僕の弱さ、僕の嘘。それを独特なリズムの彼の言葉が暴いていく度に、僕の心臓は魔力と血を吐き出して。


 ベルトランは、笑った。


「よーするにボーイは立派な魔法使いで、とっくに人格に問題が生じてるんだ。自覚はあるだろ? 他人と暮らしていきたいのなら、精神的な治療とサポートをお勧めするぜ」


 呼吸、呼吸、呼吸。カナの手が、ぎゅっと僕の二の腕を握る。うるさいな、わかってる、大丈夫だ。相手の狙いは分かっている。だから、大丈夫。目の前の男と目を合わせたまま、僕はゆっくりと表情を消していって。


「……的確ですね。とても動揺します。でも、そうやって僕の感情を暴走させてシレンシオの反応を見たいなら、無駄ですけれど」


 頭が少しボーっとする。のぼせた様な感じだ。多分、シュガーの効力時間が終わろうとしてる。器に収まりきらない位に高まりすぎた魔力の弊害が、薬で麻痺していた身体の痛みや精神の軋みが、神経を通してきちんと脳味噌に伝わり始めた。


 ベルトランはカラカラと笑った。


「あーそーだった。あんたはあの夜の事を聴かなきゃ駄目になっちまうんだよな。んじゃまあ、簡単に言うとこいつの凄い所はパイロットの精神とリンクするだけじゃなく、ある程度近くにいる仲間の精神とも結びつくところなんだ。パイロットに能力と素質があれば、二機、三機って具合に視界や思考情報を共有できる」


 つまり。それは。


「その通り。どうやらリーダー機が他の機体を制御・操作することも可能なんじゃねーかって感じだ。わかるよな? セイ。『シレンシオ』ってのは――」


 ふいに言葉を切ったベルトランが、そっと唇の前に指を立てた。

 その瞬間、だだっぴろいホールの中に静寂が広がって。

 音の無い世界で、ベルトランは静かに笑いながら両手を広げる。


「これだ、この音の無いしんみりした感じの名前。これが『シレンシオ』さ。よーするに、日本語で言うとこの『シズカ』なんだよ、セイ。こいつはきっと大切な息子の代わりに『役目』を果たす代用品なのさ」


「……僕の、代わり……?」


「そーさ。個人的な見解だが、データと事実から推測する限り、あの夜チャムとあんたのリンクが切れたのを感じ取ったシレンシオが、それをリーダー機の消失と判断した。その瞬間、近くの機体へと命令が伝達し全ての機体がロックされた。そして魔力の強制放射が始まった。イマミヤ理論によれば、この波形の魔力を短期間に一定以上浴びせる事であの穴は消える。こいつはそのために作られた。OSPRも、東側も、手の平の上で踊らされてたってわけさ」


 ベルトランは、穏やかに笑って。


「最初、ボーイの波形にしか反応しないのは保険だと思われてた。今宮ユウトが、自分と息子を守るためにIM認証をプログラムしたんだと。で、奴の上を行ったと思いこみたい技術者はこぞってそのプログラムに挑み、勝利して、コピー機とパイロットを製造し、不要になったお前達を葬った。……罠とも知らずにな」


 ベルトランがパソコンのキーボードを指で押すと、かすかに聞こえていた駆動音が停止して、ホールには完全な静寂が訪れた。


「はっ、こいつは確かに『魔法使いの棺桶』だったってわけさ。OSPRにも、東側にも、魔海の消失を望んでいる人間は少ないからな。それでも最前線で使うか、使えるように出来るのか、どーするかはこれから本部が決めるさ」


 まるで一仕事終えたとでも言うようにリラックスし、首をぽきりと鳴らした彼は頭の上の窓に向かって。


『どーだい科学者さん達よ、信じてもらえるようなデータは出てるか? あんた達のとっておきの機械にゃあ、特定の魔法使い――それもとびっきりにイカれたボーイがハッキングできるように裏口が用意されてるんだよ』


 英語では無い彼の問いかけに返って来たのは、僅かな沈黙。それからさらに少しの間があって。 


『認められない。確かにその少年に対して奇異な反応を示しているが、それが何を意味するかはまだ分かっていない。つまり相関関係はあるものの、あの夜の暴走とその少年の因果関係は不明だ。すでにシレンシオの量産には莫大な予算がつぎ込まれ、プロジェクトは現在も進行している。君の個人的な推察だけで、それをストップするわけには――』


 あくまで落ち着いた窓の中の反論に対して、大いに頷いたベルトランは。


「そーだな。あんたらの言う事は良く分かるよ。んじゃ、これでどーだい?」


 言って、とても楽し気に笑った彼は。

 トンっと。

 ほんのわずかに指先を動かして、机の上の機械に触れた。


 瞬間、部屋の壁にとある映像が映し出されて。


 ――とくん、と。僕の中の何かが揺れた。


 空の映像。

 青い空の中を、一機の飛行機が飛んでいる。しかも、その飛行機に異常が起きていることは明らかな状態で。


 ――嘘だ。まさか。


 穴が開き、煙と炎を上げた機体。


 ――やめろ。なんだ。この映像は。


 そこから湧き出すたくさんの蟲、蟲、蟲。黄色の縞の入った、人間の半分ほどもある巨大な羽虫。


 ――嘘だ。どうして。誰が。撮っていた?


 爆発し、落下する機体の中から生まれた、巨大な蟲の塊。


 ――やめろ。これ以上。あれは。それは。やめてくれ。これ以上映すんじゃない。やめろ。やめろやめろやめろ――


 未曽有の蟲害をたった一人だけ逃げ延びた男の顔は、悪魔のように――


「やめろおおおっ!」


 自分の声じゃないような叫び声が喉を震わせたのと同時に、ガゴンっと駆動音が部屋中に響き渡り。


「先輩っ!」


 危険を感じて僕の前に割り込んたカナの遥か頭上、壁と天井を抉った、一閃の光。


『オオオオア゛アアアアアァァァァッ』


 まるで人間のモノとは違ううめき声。それで確かに僕の名を叫んだ機械の化け物が、真っ赤な光を灯した両目の間から強烈な魔力を照射しながらゆっくりと起き上がった。


『馬鹿な! 誰が……っ!? ベルトランまさか貴様、を乗せたのか!? 止めろ! 強制停止だ!』


「ははは。さーて、んじゃまあそいつを止めて証明してくれよ、ボーイ。人類を救う対抗機シレンシオの利権を焦った馬鹿共は、代わりに攻撃的C型あんたっていう悪魔を産み出しちまったんだってさ」


 狂乱に包まれた部屋の中で、壁に背中を預けたベルトランだけがカラカラと笑っていた。

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