第71話 呪い
舞台に繋がる扉のスイッチを押す。
扉の間からゆっくりと広がっていく夕闇の世界。真っ白な人工の大地の上に数人が集まっていた。
僕を振り返る見慣れた顔。舞台の中央で半円系に並んだ上田隊の数名、藤崎マドカ、有沢カナ。見当たらないのは、笘篠さん達第二小隊の姿。それから、見慣れない顔がいくつかあって。
防護服を着た魔法使い達が形成する半円形の向こう側、戦場では見慣れない金髪の司令官が隣の男達に向かって僕を顎でしゃくってみせた。
「来たか。あいつがセイ。小田島セイだ」
空軍みたいなジャケットを着た三人の男達だった。その中心にいた中背の男が頷いて。
「ああ。あんたがセイか。動画で見るより背が高いんだな」
真っ黒な長髪に、ラテン系の男臭い顔立ち。ドーガと間延びしたアクセントで言ったその男が、僕に向かって右手を差し出した。
「OSPRのノーラン・ベルトランだ。よろしくな」
『OSPR』。
その音を聞いた途端、トン、と心臓が脈を打った気がした。
僕は、差し出された右手からゆっくりと彼の顔へと視線を移しながら。
「……あなたは、どれ位の事を知っているんですか?」
じっと、強烈な二重の瞳を見つめた僕の問いにOSPRの男は笑って。
「どういう意味だ? 俺が知ってんのは、いつだって上から与えられた情報だけだぜ」
映画にでも出て来そうな彼の笑み。答える代り、僕は真っ直ぐにその背後の男の一人を指差した。
「彼は、ルーガの男を雇った人間だ。彼等は無事ですか? 僕が頭の中を見た、あのヘルメットの人達は」
指をさされた男が驚いた顔をする。見覚えのある顔、短い間共有した『襲撃者の記憶』にあった依頼人の鼻が、深い嫌悪と恐れに歪んでいく。
彼が何かを言う前に、ベルトランがははっと笑い。
「こいつはすげえや。他人の記憶を見たってのかい。はは。俺が聞いてたよりもずっとクレイジーなんだな、あんた」
苛立つ。彼の全てに。その軽薄な笑いに、はぐらかすような会話に。もう、何もかもが面倒くさい。
「……同じことを、あなたにやってやろうかと言ってるんです。あなたが何を知っているのか、僕は知りたい。今、この島で何が起きているのか。何が起きて、僕の友達が傷ついたのか。僕は、それを知りたい」
怒り、後悔、自責、自嘲。胸の底のあらゆる感情が煮詰まって一塊になったみたいな重たい声が、僕の喉から転がり出た。
僕が守るべきモノを傷つけたのが何なのか。誰にこの怒りをぶつけるべきなのか。守れなかった自分以上に、もっともっと、罰を受けるべき奴は誰なのか。誰を責めれば、この僕は許されるのか。
それでも、ベルトランは相変わらずの色っぽい笑みで。
「ドーゾ・ドーゾ。俺の任務は、与えられた情報をあんた達に伝えて速やかに『海洋性』のファージを駆除する事だ。それであんたの気が済んで、さっさと説明を始めさせてもらえるんなら、殴るなり頭をいじるなりお好きにドーゾだぜ、ボーイ?」
始まり出した夜の中で挑発的な笑みを浮かべるOSPRの職員に、僕は、ぎゅっと拳を握りしめ――
「セイ。後にしろ。お前がキーマンなんだ。余計な事に魔力を使うな」
冷たい声と共に今宮隊長が僕の肩を掴んで、強引に一歩引きはがされる。
――なんだよ。じゃまするなよ。
振り向きざまに睨みつけた僕をじっと見つめ返したまま、隊長はもう一人の司令官に声をかけた。
「……ユイ、始めてくれ」
「――昨夜、我々の演習船を沈めた『海洋性』は、体長10メートル弱と推測され、現在笘篠小隊による断続的な妨害を受けながら、単独で島の北西を徐々に西進しています」
彼女の声に、ベルトランが『うんうん』と頷いた。ピリピリした緊張感が、僕と彼の間に走る。
「ですが、水深100メートル以上の場所を時速三十キロ程度で泳ぐ事が可能なため、上空からの攻撃はほとんど効果を得られていない様です。また、OSPRからは時速五十キロ以上を計測したと言うデータも届いており、近海及び上空には民間航行停止措置がとられています」
「念のためだ。『海洋性』が上空への攻撃手段を持っていないとは限らない」
さしはさまれたベルトランの声に、ちらりとメンバーが僕達を振り返った。
「笘篠隊は、すでに二時間以上飛行と進路妨害を続けています。疲労の色が濃く、『海洋性』が条約による
「……デッドライン?」
ユイさんの解説が続く間、僕は隣のラテン顔を見た。
すると、映画俳優みたいなおじさんは少し驚いたような目で僕を見て。
「条約で締結されたラインだよ。
星の光で陰影が濃くなった男の笑みに、僕は黙って頷いた。
「……件の飛行機事故以降、デッドラインに近づくファージに関して人間側の政治及び報道機関は非常に敏感になっています。ユーロ圏を中心に、我々フロンティア機構への援助を凍結するようにと主張する団体の声は過去最高に大きくなっているようです」
くつくつと、喉の奥で笑うベルトランの声が小さく響く。
「奴等は、太平洋のいざこざに金や兵士を出す気はないらしい。おまけにフロンティアを解散して、『みんなの軍隊』を作ってやっつけましょうってさ。わかってねえんだよな、ユーロの奴らは。現状、てめえらの国で起きてる事件のどれだけに頭のイカレタ魔法使い予備軍が絡んでるのかってのも、
馴れ馴れしく肩を叩かれて、舌打ちを右の前歯で噛み殺す。
「……向こうが気にしてるのは、あなた達の作ってるロボットでしょう? きっと魔法使いよりも
言葉をぶつけるようにした僕の口調。それでもベルトランは、肩まである髪を揺するように笑って。
「かもな。なにしろ俺は専門家じゃないんでね、実際のとこは知りゃしないのよ。上に任されたお喋り仕事をハイそうですかってこなすだけさ」
やる気無さそうに溜息を吐いた彼の横顔を目の端で見ながら、僕は。
「自分が何に加担しているのかも知らずに、ですか」
「? そういうもんだろ、組織ってのは?」
呆れたように肩を竦めた彼は笑って。
「考えるのが得意な奴が考えて、動くのが得意な奴が動く。んで、俺みてえな能無しはへこへこお喋り。人間ってのは、そういうもんじゃねえのかい?」
そこで言葉を止め、ちらりと僕を見下ろした彼は詰まらなそうに夜へと視線を放り投げて。
「……まあ、あんたらはそれを歪めちまうからな。誰もあんたらを認めなくても、暴力と魔法で人間の上に行ける。俺は、そいつはおかしいんじゃねえかと思うけどな」
ところどころに独特の間延びした様なアクセントを挟みながら、しかめっ面で首を鳴らした彼は、淡々と続いていたユイさんの現状説明を遮るように声を張り上げた。
「二十一時だ。二十一時には、OSPRがデッドライン上で準備を整える。もしあんたらが駄目だってんなら、『海洋性』をそこへ追い込んでくれ。そうすりゃ、ウチラが魚雷なり打ちこんでなんとかするってさ」
飄々とした男の声に振り返った隊員たちの中で、今宮隊長の目が一際鋭く僕達を捉えた。
「心配すんな。人間様の手なんざ借りはしねえから、そこで遠慮なく金でも数えてな」
肩をすくめて隊長の怒りを受け流したラテン系は、再び僕を流し見て。
「はは、こえーこえー。ところで、なあ、あんたさ。そう、小田島さんだ。キョーミがあるんだが、あんたにゃ俺達ってのはどんな風に見えてんだ?」
唐突であけすけな問いかけに、僕は唇の端を歪めながら。
「……別に、どうもこうもありませんよ。ただ、今は吐き気がするほど嫌いですね」
吐き捨てた僕の横、『成程ね』と小馬鹿にするように笑った横顔を睨み上げながら。
「もう一度だけ聞きます。どうして、シレンシオはあの船を撃ったんですか?」
答えないのなら本当に――と言いかけた僕が次の息を吸う間に。
「コンセンした」
という、ただの音の連続みたいな声が、彼の口からあっけらかんとこぼれ出た。
「…………混線?」
放り出された言葉の意味を頭の中で作り上げると、彼は『ああ』と頷いて。
「専門家じゃないんでね。詳しい事は分からんが、噂じゃそういう事らしい」
何かを聞こうとして、結局喉に上がってきた『どういうことですか』という馬鹿みたいな言葉を飲み込んだ僕の前、彼は溜息を吐きながらこちらを見て。
「あんた、どれ位知ってるんだ? シレンシオについて」
僕は頭を振った。何も知りません、という意味で。すると彼は小さく頷いて。
「そうか。まあ、簡単に言うとあれにゃ意志に近いモンがあるんだ。その意志が、シレンシオ自身の性能に鍵をかけてた。特定の魔力波形を持った人間以外にゃ、性能の十パーセントも引き出せないようになってたのさ。んで、そのカギを外すのにあっちこっちが夢中になった。OSPRの成功は数年前だ。魔力のパターンをある程度こっちで変えられるようになったんだ。それでもって、ウチラはシレンシオを騙してきた。こっそり実験も重ねて、いよいよ本番は近いってとこまで来てたんだ」
本番? いや、それよりも。
「……特定の、波形?」
「ああ。とあるおぼっちゃんの波形だよ」
彼は淡々と、独特の頭高のアクセントで告げ。
「それが夕べの実験で、いきなりボーソーした。出撃した三体の内の一つが何がしかの魔力を検知したらしい。仲間にそれを報せる通信が入って、その途端にドン、だ。3体全てのありとあらゆる機能がロックされて、信じられない位に出力が上がったんだと。身体中の血が飛び出るんじゃねえかってくらいに搾り取られたらしい。で、最初の一機が破綻した」
彼は、ごついブーツの爪先でぐりぐりと戦場を削りながら。
「奴は仲間と例の船を撃った。んでフリーズ状態から回復した二機が応戦して、停止させた。そういう事らしい。少なくとも、かろうじて無事だった奴はそう証言してる。だけどあれはOSPRにとっちゃ大事な売り物だしな。今はまだ戦争を始める段階でもねえし。で、上の方で話がついた。俺の知ってる事実は以上」
トットット……と僕の心臓が音を立て始める。
いつの間にか、独特の節で歌う彼の言葉の底で静かに牙を剥き始めた敵意が、僕の喉元にそっと押し当てられていた。
それでも僕は、冷たい氷が頭の後ろを引っ掻くような予感を拒む様に。
「……欠陥品だった。って事ですか?」
絞り出した言葉に、彼は薄く笑って。
「サーナ。俺は専門家じゃないんでね。そもそもアレが本来なんのために造られたのかも知らないしな。目的がわかんねえもんを勝手に使って、欠陥品だってのは造った奴に悪いだろ? 違うか?」
今そこにいるファージに対する質問や予想される状況への対処を話し合う隊員たちの輪から少し離れた場所で、二人。
「それとも何か聞いてるか? あんたの親父が、本当はなんのためにアレを作ったのかって?」
僕は沈黙。それから小さく首を振った。彼は笑って。
「ま、知ってても言わねえか。どっちにしろ、もう聞けない。さすがのボーイにも死んだ人間の頭の中は見えないんだろ? ったく、そんなもんをよく量産する気になったもんだ」
冗談でも言ってるみたいな彼の声が僕の頭に響く度、心臓の音は早くなって。
「……その、狂ったパイロットの人は、他に……何か?」
ベルトランは、静かに笑った。
「最初の異変は、『ちょっと待ってくれ、なにかおかしい! 攻撃? とにかく警報が鳴りやまないんだ! エラーコードは――shizuka?』だそうだ。そう叫んで、意味のある言葉は消えたらしい」
バクッ、バクッと、痛いほどに悲鳴を上げ始めた心臓を押さえる。彼は、相変わらず疲れた様な横顔で。
「なあ、もしかしてあんた、夕べ、あの船にいたか?」
夜が、ぐにゃりと歪んでいく。僕は、いない。あの船に、僕はいなかったけれど。僕と、同じになれる少女が、一人。その瞬間、僕と、お話をしようとしていた子が。僕と。僕が。
ベルトランはちらりと僕の様子を窺い、小さく頷いて。
「便利だな、魔法使いってのは。俺は羨ましいよ、あんたが。そうやって黙ってたって無理矢理だもんな。俺にゃわかんねえことだらけの世の中だってのに」
濡れた様な黒髪をくしゃくしゃと掻いた彼は、そんな風に笑って。
「んで、どうだい? お望み通り、こっちはこっちの知ってる事を話したつもりだ。嘘だって言うんなら、ドーゾ、好きなだけ俺の頭ン中を見て、いつでも勝手に答え合わせをすればいい。そんでお気に召さなきゃ、
息が苦しい。言葉が出ない。廃人? 誰が? 全てを叩き壊そうと振り上げた怒りのハンマーごと、細く鋭い剣で心臓までを正確に貫かれ、身体と思考がゆっくりと止まっていく。
「俺達は、明日の午後にはこの島を離れる。ひょっとしてボーイなら何かわかるかもな。会ってみるか? 精神を壊された人間ってのに」
駄目だ。呑まれるな。否定しろ。そうだ。嘘だ。きっと彼は、嘘を吐いて。僕を。そうだ。そうに決まってる。また、僕のせいで? そんなの嘘だ。確かめなくちゃ。今すぐに確かめて、もしも本当なら、こいつを。それを。誰にも。知られない様に。
肩を竦めた彼の横顔を凍り付いたように見つめたまま。僕は。
「……いえ、結構です」
と呟くのが精いっぱいだった。
すると、OSPRの職員は小さな笑みを浮かべて。
「そうかい。んじゃ、ボーイはきっとこれっぽっちも悪くないままさ」
と優しいウインクで笑いかけてきた。僕は、その嘲笑う視線から逃げ出すようにフラフラと隊員たちの輪の方へと歩き出し。
「きっと全部、あいつのせいだ。だから殺せばいいのさ、深くもぐって、あの化物を。はは。期待してるぜ、L・O・A」
どこまでも呑気で乾いた笑い声が、遮断した心の向こう側から聞こえてきた。
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