第69話 真実は現実の底に

 子供達を含む海上訓練の参加者のほぼ全員が、命に別状は無かった。見た目上、最も危険かと思われた頭に包帯を巻いた女の子も、明け方には何とか会話が出来る位に回復した。

 指を数本失わざるを得なかった子もいたけれど、彼を含めたほとんど全ての子供達が、精神的な問題を除けば軍に復帰できるらしい。

 全ては、優秀な医療チームと早期に発見と対応をした救助チームのおかげだと言う。


 僕を褒めてくれる人もいた。君のおかげでうちの子は助かったのだと、涙を流しながら。

 僕はただ首を振る事で、それらの賛辞と感謝を拒絶した。


 事故が起きたという報せが届く前に動く事が出来たのも、藤崎マドカよりも早く救助チームが辿り着けたのも、全部、チャムの力なのだと。

 助けられた時にはすでにオーバーヒートした状態で、今ベッドの中で生きるか死ぬかの瀬戸際にいる少女が、命懸けで僕を呼び続けてくれたおかげなのだと。

 だから、どうか今はまだ笑わないでほしいと。無理なお願いなのは分かっているけれど。あなたにとって我が子が大切な様に、僕には。どうしようもなく、チャムの命の方が重いのだからと。


 それから僕は、会う人すべてに、誰か船に乗っていた人の中に僕等に向けて居場所を知らせてくれた人がいませんでしたか、と聞いてみた。

 得られた答えは全てNO。依白さん曰く、そんな余裕は誰にも無かったはずだと。

 じゃあ、あれは誰だったんだろう。夜空を撃ち抜いたあれだけの力と元気があって、どうしてチャムを助けてくれなかったんだろう。

『そうですか』と言いながら僕は二度頷いて、それ以上そのことを考えないようにした。今は、ただひたすらに願うべきだと思った。


 今あの子が生きているのは、医療チームが乱高下する魔力を命と精神を繋ぐ紐が焼き切れない様に留めてくれているからだと言う。


 いつかの活性期では、僕もあの状態で運ばれたらしい。


 そして、彼女の精神が生きる意志を手放すレベルにまで下がらないために処方される薬は、通常の魔法使いは勿論、ましてや気を失っている小さな女の子が耐えられるものでは無いクラスだと言う。それだけ、それくらいに、彼女は高い魔力を持っていて、それに相応しい可能性があり、輝ける未来があった。


 つまり、チャムの関係者は二つの選択肢を迫られた。

 投薬をやめて全てが上手く行く様な奇跡を待つか、彼女の魔力中枢を壊してでも無理矢理に魔力を向上させてショック死状態を抜け出す道を選ぶか。


 生き残った所で彼女はまともなコミュニケーションが取れない人間に成る可能性もあると、最も優秀な魔導医は言った。チャムの精神には、有り得ない程の負荷が掛かっていると。直接神経を攻撃された様だと。

 先日、今宮隊長と喫煙室にいた女性だった。

 普通の生活が送れるようになっても、彼女は一つの未来を失う事になるとも。魔力中枢の壊れた人間は、アンチバイラスの隊員にはなれないというルール。例外は、小田島セイとかいう元帥のお気に入りだけなのだと。


 僕は、彼女が喋っている時間がもったいなかった。殴りつけてやろうかと思った。いいから早くその薬を使ってくれ、と。さっさとチャムを助けろと。


 そう言う気持ちで隣を見ると、ルーガの長老はじっと黙っていて。永遠に思える程長い逡巡をして。

 無理矢理頷かせてやろうかと僕が切れかけた時、ようやく『お願いする』と頭を下げてくれた。


 静かな廊下に不釣り合いな位明るい足音でやってきた笘篠さんが『お姉ちゃんに任せとけ』なんて僕に向かってウインクを決めながら、医者に連れられてチャムの治療室へと入っていった。


 それから一晩中、僕は考えていた。もしも、僕が。もっと僕が急いでいれば。もっと早くチャムに大丈夫だと伝えられる距離に行っていれば。シュガーでも何でもこの身体にぶち込んで、もっと必死に方法を考えていれば、何かが違っていたかもしれないと。


 昼頃になってさすがに疲れ切った顔の笘篠さんが顔を出し、僕に良く分からない笑顔と『大丈夫。君のせいじゃ無いよ』と言ってくれた時、僕は「チャムは?」という以外の言葉が出てこなかった。彼女の言葉に少し救われた気がして、そういう自分がまた許せずに固まってしまった僕の頬に、笘篠さんの指がそっと触れた。冷たい指。そして彼女は、温度と感情の無い声で『ごめんね』と笑って弟の頭を優しく撫でた。


 そしてチャムは命をとりとめ、ルーガの希望では無くなった。


 その報せを医務局の局長室で聞き、『チャムを助けてくれてありがとう』と深々と頭を下げたルーガの人達が、心の底の落胆と激しい怒りを隠して出て行ったあと、僕は医務局長から『あの部屋』に行くように告げられた。


 静かで暗い部屋に偉い人達が集まると、情報局長が手短に用件を言い下した。


「昨夜、海上訓練隊の乗る船が襲撃を受けました。出現は前節の四日目、雨の中小田島隊員が出撃したタイミングだと思われます。その際に落下したファージの魔力に紛れて魔海から直接零れ落ちた内の一匹が活動を始めたモノであると、OSPR及び東西フロンティア当局は結論付け、全世界に向けて発表しました」


 まるで全てが誰かのせいであるかのように、空っぽの言葉で嘘を吐き。


「……海洋性……ファージ?」


 なんだ、それは? あれは、OSPRの、秘密兵器シレンシオの――


「――誤射だ」


 僕の喉から漏れた声に部屋の空気は一瞬だけ強張った。それでも、海を泳ぐ敵の姿を映し出した画面に目をやった情報長官は、微かに乱れた感情をかき消すように言葉を続け。


「……これが目標のデータです。驚くべき事に、このファージは地球の海の環境でも生存している。これは今までの研究データには無い事です。OSPRは、人間側に被害が出る前に一刻も早く処理することを要請しています」


 まるであらかじめ決められた台本通りと言った具合で次に口を開いたのは、いかにも偉そうな有沢家の優秀な魔法使いだった。


「しかし、敵が水中となるとデータが役にたたんね。B型の――例えば藤崎マドカには、水中の敵を捕らえる事は難しく、長時間の潜行は不可能だろう。特化B形では防御膜が薄く、海中飛行の際に掛かる圧にはとても耐えきれない。とはいえ、A型の人間でも海中でこのファージに追いつき且つ駆除出来る者となると――」


 彼の言葉が終わる前に、元帥の枯れた声が部屋に響いた。


『もういいよ。わかっただろう、小田島セイ。すぐそこにファージがいて、金と力と数を揃えた人間がいる。これがこの島が生きている現実だよ。そして、有沢カナならどこだろうと何だろうと追いつける。これが僕が君に命ずる最初の任務だ、小田島隊長。彼女と組んで、処分してくれ』


 ただそれだけ。その冷たい声の温度で、あらかじめ決められた台詞のキャッチボールを繰り返していた連中はピタリと押し黙り。


 僕はじっと、昨夜自分の感覚が間違いなく捉えたあの空飛ぶ機械生物の感触を思い出しながら。


「……了解しました」

 と、初めて出現したはずの化物のデータが完璧なほどに映し出された画面を隅から隅までぼんやりと眺めて。


 そこからゆっくりと意識と姿勢を正し、無感情に呟いた。


「僕が、やります」


 あのスケープゴートも、OSPRも、シレンシオも、お前達も、僕も。必ず。


「僕が殺します」


 そのまま、まだ何かを言おうとする部屋の連中に背を向けて鏡張りの移動小部屋の扉を閉める。


 早く、チャムに会いたかった。チャムならきっと、僕を許してくれるから。また、あの笑顔で、僕を。


 許してほしい。君をひどい目に合わせた奴等を今すぐに殴れない僕を。君を傷つけた真犯人の隠蔽に関わって、それでものうのうと生きていくだろうこの僕を、どうか許してほしいと自分勝手に願いながら。


 ゆっくりと静かに巣の中を動く小部屋の中で、鏡に映ったくそ野郎の顔面を思いっきり殴りつけた。

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