第68話 救出

 何も考えず、ただ夢中で。めちゃくちゃに叫んで叩きまわった女子寮の扉から顔を出してくれたのは、ホンの四人。それでも現れてくれた救いの女神達に、僕は必死で懇願した。


「チャムがっ! あの、子供達の海上演習の船がっ! 多分……沈んでるんだと思います! とにかく、飛べる人は早く船の所に! お願いしますっ!」


「? ちょっと、どういうこと?」


 戸惑い気味な目で覗き込まれた僕は、苛立ちに任せて怒鳴る様に。


「とにかく早く! 着いて来てください!」


 こうしている間にも、何度も何度もチャムから彼女の感覚が送り込まれて来る。斜めになったドアをぶち破り、狭い船の廊下をあっちへこっちへと飛び回り、頭を打ってぐったりした仲間を探し、抱えながら。その合間には自分達の危機を報せようと必死でたいちょ!たいちょ!と、僕の頭のドアを叩きまくる彼女の声。


「早く!」


 怒鳴りながら、窓を開けて外に飛び出した時だった。

 パッと。廊下が一斉に緑色に発光し、同時、ビーッと言う緊急警報が巣の中に鳴り響いた。


「え、なに? 活性期は終わったばっかりなのに」

「いいから、早く! チャムが! 子供達が!」


 振り向きながら叫ぶ僕と、警告を発する廊下の先。一瞬それを見比べた彼女達の中の一人が、


「……これ、それなんじゃない? 小田島クンが言ってる……」


 一斉に顔を見合わせた女性たちは、小さく頷き合って。


「リナは小隊の部屋に! 私達は彼に着いて行くわ!」


 指示に従って走り出した一人を除いて、女性たちが次々と窓の外へと飛び出してくる。


 白い舞台に差し掛かった辺りで、大分先に飛び始めたはずの僕はあっという間に彼女達に追いつかれた。気が狂いそうな速度差に腹が立った。


 なのに。


「どこ!? どこにいるの!?」


 、頭の後ろに響いた声で、僕はぴたりとその空間に立ち尽くした。


「…………どこ?」


 目の前には、星空と同じ大きさで広がる海。見渡す限り全てが、星と、夜と、夜の底。

 真っ暗な夜が、ぐるぐると僕の周りを回るように。


 チャムが、この海のどこかにいる。どこかで、死にそうな目に合っている。

 でも。どこだ?


「……っ!」


 唇を噛む。


 くそ。もっと、僕が。僕がもっと――――馬鹿か。祈るな。考えろ。考えろ考えろ。頭が焼ける位に、全身で。感じろ。あの子がどこにいるのか。ほんの少しの手がかりでも。考えろ。


 きっと他国の領海には行っていないだろう。かといってあまり魔海の方に近寄ることもしないはず。そんなに遠くには行かないんじゃないかとか。行先。大体どのあたりにいる? 海の上で、そんなにはっきり分かるのか? レーダーとか。救難信号とかあるんじゃ?


 ――ああ。そんなものがあるのなら、きっとそれは今頃巣の中に送られているに違いない。慌てて飛び出て、バカみたいだ。


 奥歯を噛んで、堪える。否定する。弱気な自分を。出来る。絶対に。見つけられる。僕なら、どんな手を使ってでも、助けて見せる。


 その時。


「っ! あれ!」


 悲鳴のような女の人の声が頭の先で。そして、その声が示す先には、星空と海の間の夜の中を真っ直ぐ縦に昇る一筋の光。それが断続的に二度、三度。


「!!」


 その場の誰もが息を飲んだ。


 誰かが。そう、誰かが合図をしているんだ。船の乗組員か、あるいはチャム達自身が。ここにいる、と。助けてくれ、と。そう思って、それだけを信じて。一秒でも早く駆けつけなくはいけないと言う気持ちだけで。急速転回した僕達は、さっきの光が示した魔海方面を目指して夜の闇を切り裂いていく。


「先に行ってください!」


 本当に馬鹿みたいに遅い僕。だから置いて行ってくれと叫びながら。


 それぞれの飛行姿勢で飛んで行く彼女達の姿が闇の中に溶け込むのを見送ると、熱病のような思いが冷め、頭のどこかが冷静に思考を始めてしまうのに気が付いた。


 もしもあれが、違ったら。誰かの救助信号では無く、何がしかの自然現象だったなら。

 首を振る。構わない。それなら、きっと他の人達が他の場所へ助けに行くだけだ。先行部隊の僕らに出来る事は、一秒でも早く駆けつける事。一秒早ければ助かる命を、助ける事だ、と。



 方向を見失わぬ様、星の色と形を頼りに一人で夜の中を飛びながら、背後を振り返る。緊急事態を体現するかのように、全開で灯された照明が真っ白な舞台と蜘蛛の巣を照らし上げていた。


 そろそろ誰か来ていないだろうか。船の場所が分かっているのなら、チャム達がいる方角に向けて砲撃を撃つくらいしてくれていいんじゃ。



 淡い期待が叶わずに前を向いたところで、チャムが再び僕の頭をノックした。

 途端に僕の頭の一部に不安と恐怖が湧き上がり、身体もぐたりと重くなる。油と機械の匂いだ。どこかで何かが焦げている匂い。煙。


 気付いて、少し驚く。感情面だけでなく五感にも影響が出る位になっている。本人に近づいた事で彼女の影響力が上がったのか、それとも命の危機に瀕したチャム自身が急速に成長しているのか。


 そんな僕の考えをよそに、肉体的にも疲れ果てた少年少女の集団は縦と横がひっくり返って機械の迷路みたいになった狭い船内をひよひよと飛んでいく。

 先頭を行くメンバーの頭の上に、一枚の扉。力の残っているみんなで押してみてもびくともしない。足場が無いのは、きつい。押すだけで無駄に魔力を消費する。

 唇をぎゅっと噛む。どうする? たいちょ――大丈夫。

 ざっと仲間の顔を見回す。このメンバーで、誰なら壊せる? どうしたらここを突破できる? A型の村山隊長の姿は見えない。もう一人のA型の女の子は年長組に支えられて息も絶え絶え。自力で飛ぶ事すらままならない。


 だけど――いや。それなら、ここは。


「……別の道、探す」


 ふいに口を開いたチャムを、涙と油でドロドロになったみんなが驚いた様に振り向いた。『でも』だとか言いかけた仲間達の声に、彼女ははっきりと首を振り。


「このままここに浮いてる、ちゅかれるだけ」


 強い声。凛とした声。その場にいる仲間達を見回す彼女の視線に、誰もが跪くように従っていく。

 もう、可愛らしい発音を笑うものなんて、誰もいない。


 頷く。その通りだ。さすがチャム。何もせずただ奇跡を待っている人間に訪れるのは、緩やかな絶望だけだから。


「……大丈夫。わたしに、ちゅいてくる――――っ!? っ!!!」


 かなり体力が落ちているのか、肩で息を吐く度に途切れかける通信の合間、絞り出すように声を出していたチャムが突然に上方を振り返る。


 子供の悲鳴と、瓦解音。崩落する壁。激しく揺れる世界。


「チャムッ!?」


「だいじょぶ。たいちょ。だいじょぶね」


 荒い息の音と泣き声を抑える子供達の中、じっと。崩れ始めた元来た道と、先を塞ぐ頑強な扉を睨みつける少女の視界。


「……チャム」「たいちょ」


 一瞬だけ、チャムが一人の女の子を見た。頭から血を流し、仲間に抱きかかえられて半分以上気を失って見える女の子。A型の、自己強化型の、才能に恵まれた女の子。彼女なら。


「……チャム」


 出来る。僕なら。必ず。絶対に。


「たいちょ」


 でも。


「やって」


 重なった視界。共有した五感。幼い少女の、強い決意。言葉など置き去りにした理解。決断に奥歯を噛んだのは、僕だったかどうか。


 次の瞬間、僕は、意識を、細く。細く裂いた。無数の糸を編む様に、友達の精神を慎重に慎重に切り裂いて、尖らせて――。


 色を失った視界の中、ふらりと起き上がる少女。僕は、それを他人の様に見つめながら。操り人形の糸を引くような感覚で。扉の前に浮かび、深く息を吸った彼女に急激に集まっていく魔力の粒子。いつかパンチパーマの倉教官がしていた様に、それを限界以上に集中させた右手が放つ真っ白な光。


 僕は、その瞬間に希望を見た。彼女の姿を見つめる子供達が心に灯した光の様な、美しくて、力強い、意志の力を。バラバラにしてしまったチャムの心を通して感じていた。


 右手を振ると同時に響く轟音。プラスチックの下敷きみたいにひしゃげ、曲がった扉の隙間から一気に流れ込んでくる空気。


『!? 誰かいるのか!?』


 避難経路を塞いでいた障害物の隙間から、依白教官の鋭い声が微かに聞こえた。

 ほとんど同時にギリギリベキッと引きはがされ、露わになる空間。冷たい風と綺麗な酸素が、汗と油と涙に塗れた頬を心地よく冷やしていく。


 次々と姿を現した教官たちに身体を掴まれた途端、一気に力が抜ける子供達。元気な子も、そうでない子も。沈みゆく船の廊下を満たす安心感。


 ああ、早く。僕は、チャムの視界に無かったモノを切望する。早く、チャムの顔が見たい。無事に帰ってきて、あの笑顔を、また。


 そう思った瞬間、チャムからの映像がふっと途絶えた。


 彼女の周りにあった光と、希望と、安心が消え、海の上に一人になった自分に気付く。


「!? チャム!? チャム!?」


 混乱する。何も無い真っ暗な場所に、一人きり。あるのは不安と、むしばむ様な焦燥感と喪失感。


 首を振った。何度も。否定した。前を向く事で、希望に縋る事で目を逸らしたモノを。


 焦る気持ちと裏腹に、相変わらずの低速飛行を続ける自分にどうしようもなく腹が立つ。こんな時にも、一向に成長してくれない僕の力。それがまるで『お前があの子を想う気持ちはその程度なんだ』と言われている様で。その声に抗えない自分を掻きむしるようにして奇声を上げた。


 と、頭の後ろから、一気に近づいてくる誰かの気配。


「セイ! 大丈夫!? チャムちゃんは!?」


 叫び声と共に、大きな荷物を背負った藤崎マドカが僕の横で急停止。頭に装着した工事現場みたいな大きなライトが、一瞬で僕の目をくらました。


「……多分、向こう。さっき光が上がったんだ」

 腕で彼女の眩しさを防ぎながら、僕は記憶を頼りに曖昧な方向を指差した。


「……うん、わかった! ありがと!」

 頷いた声が耳に届くのよりずっと早く、銀色の弾丸と化した彼女は夜の向こうへとすっとんでいく。


 彼女が消えて暫くすると、背中の上を幾筋かのサーチライトが飛んで行った。

 やがて再び夜に馴染み始めた僕の瞳に、海上に打ちあげられる見慣れたいくつかの小さな花火が目に入る。

 藤崎だ。流石だな。僕なんかより、ずっとずっとずっと有能だ。


 もう、これで大丈夫。藤崎も、依白さんもいる。これで助かる子は助かるし、助からなかった子は最初っから無理だったんだ。だからこれ以上、僕に出来る事は何も無い。助けられた子供達と、助けた人達の笑顔を見て。万が一助けられなかった事に悩む人がいたら、それを上手く慰めて――。


 それで。


 その時だった。焼き切れそうになっていた僕の頭が、限界以上に広げていた僕の意識の巣が、『奴等』を捉えたのは。


 沈んでいく船を中心にして左側。視界からずっと遠く、低く、海のすれすれを隠れる様に飛んで行くいくつかの異物。明らかにおかしな感触。ファージとも、魔法使いとも、人間とも違う、ごつごつした金属的で冷たい意志。なのにどこか懐かしく、既視感さえ覚える様な、あまりにも柔らかい感触が。


 ――三つ。死に掛けているのか、今にも消えてしまいそうな一つを他の二つが恐怖と困惑の混じった思いやりで、寄り添うように支えながら。


 夜にまぎれたが必死で逃げて行くのを、頭と体がばらばらになる様な強烈な気持ち悪さと、脳味噌が溶け出す様な共鳴を覚えながら、じっと。ただじっと。


 色とりどりに輝く星と暗い海の間に一人立ち尽くした僕は、奴らの気配が消えていった真っ白な島の方向をぼんやりと眺めていた。

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