第67話 離れていても

 活性期が開けて、学校に行き始めて二日目の放課後。


 どうやら数か月後に迫っているらしい男・女・共の三校合同で行う体育祭&文化祭の打ち合わせらしきものに参加した藤崎マドカと僕の特隊生コンビは、あれやこれやと盛り上がるクラスメイトの中でちょっと居場所を失っていた。

 何しろほぼ二週間振りの登校だったから、その間の決定事項も知らなければ経緯も知らない。文化祭のだしものが『チャンバラ(ガチ)』と黒板に書かれているのもあらゆる意味で良く分からなかったし、今目の前で決められていく体育祭の参加競技のうち、聞いたことの無いいくつかの種目についての詳細も。そこに僕等が本当に参加出来るのかどうかも。


「参加? 文化祭とかに? そんなのしたことないわよ。だって打ち合わせも準備もろくに出てないもん。本番だけいくのもなんか悪いし、体育祭も……だるいし」


「だるいって……」


 苦笑の前を素通りし、鞄を握った藤崎が放課後の廊下をてくてくと歩き出す。

 僕はその隣で、本土にいた頃の僕も文化祭は出席取って帰ったし、体育祭も補欠登録で済ませたしなあなんて考えながら。


 強い日差しが差し込む廊下のあちこちで交わされるその話題、笑顔と懸命さと無尽蔵の希望と、それらから目を逸らして俯き気味に歩く者。全部が全部、本土では『青春』と言う名の一枚絵に収まる映像を眺めながら歩いていた。

 きっとみんな楽しみにしているんだなと考えて、藤崎もああいう輪に入れればいいのにな、と少し思った。


 そのまま藤崎少尉の鬼の指導を受けつつ飛行訓練を兼ねて巣に戻り、個人プログラムをこなそうと防護服でトレーニングルームに向かって歩いていた僕は、エントランスの辺りでキャッキャと浮かれる子供の集団を発見した。

 全部で十五人位、その内半分くらいの知った顔の中でくるりと振り向いた村山A型飛行訓練隊隊長が『うわー!』と叫びながら、巨大なリュックを揺らして突進してきた。


「小田島たいちょー! たいちょーは海上訓練行かないのかよ!?」


 切りたての短い髪に、子供特有のデカい声。学園祭の準備をする高校生を遥かに上回るお泊り学校直前の小学生達の高ぶり。


「うん。僕は一応アンチバイラスのメンバーだからさ。仕事があるんだよ」

「へー、すっげえな! いいな! 防護服いいな! 格好いいな!」


 口と目が連動しているみたいに顔の全てを縦に伸ばして興奮する村山少年に、僕はちょっと得意気に胸を張った。


「そう? ありがとう」

 すると、彼の向こうから。

「たいちょ、かっこいい」


 と言う聞きなれた声。見れば、少し斜めの所から恋する乙女の顔でぱちくりと瞬きをしている褐色の少女。麻っぽい素材のワンピースに、背負える分だけの荷物。落ち着いた色の小さな麦わら帽子がとても良く似合っていた。


「やあ、チャム。久しぶり」

「お久しぶりね、あなた。でも私ダイジョブよ。たいちょ、忙しいの知ってるから。寂しくなかったね」


 えへっと破顔したおませな少女に歩み寄り、その正面で膝を曲げる。


「訓練、今日からだったんだね」


「そうです。今日ここ泊まって、検査と訓練して、明日のお昼から船に乗ります」


 帽子のひさしの上に手を添えて敬礼の真似事をしてみせたチャムが、はっと気が付いた顔になり。


「たいちょ、こっち来て」


 と言って僕の袖を掴むと、みんなが集まっていた小さなホールから廊下の方へと走り出して。


「チャム、たいちょ探してた。ほんとはすぐ探すつもりだったよ。ぜんぜん忘れてないね。たいちょに、チャムをよろしくしてもらうの」


 自分の言葉にこくこくと頷きながら、彼女はしゃがんでしゃがんでと僕に向かって手で合図。言われるままに膝を曲げて、視線の高さを合わせる。するとチャムはひょいと前髪と帽子を手で持ち上げて、こつん、と。

 おでことおでこを合わせたまま、ちょっとの間目を閉じる。


 やがて、彼女の茶色い瞳がパチリと開いて。


「はい。出来たよ。チャムに何かあったら、よろしくお願いします」

「うん、わかったよ。」


 にこりと笑った家族ぐるみの友人に、僕は確かに頷いた。


「何かあったら、すぐに呼んでくれ。一生懸命飛んで助けに行くよ」

「ふふ、心配ね。たいちょ、飛ぶの遅いから」


 くすくす笑った彼女は、『チャムはたいちょーといちゃいちゃしてまーす』という男子の声と囃し立てる様な笑い声にぷいっと知らんぷりを決めると、『またね』と笑って手を振った。


「ああ、また」


 頷き、走り去るチャムの背中を見送って。

 共に厳しい訓練を乗り切った仲間達が少し年上のグループに混じってきちんと隊列を組む姿を見て、僕はかすかな感動を覚えていた。


 そして、次の日。彼女達が海上訓練に出発した日の夜。トレーニングを終えて休んでいた僕の頭がゆわんと揺れた。

 視界とは別の映像が頭の中に重なってくる様な、いつか藤崎に怒られた日の様なその感覚に僕は慌てて飛び起きる。

 どこだ、ここは? 薄暗い、狭い場所に一人きり。きょろきょろと辺りを見回しているその視界。見上げた天井が妙に高くて、慣れ親しんだ自分の身体感覚が狂わされる様な。


 ――――チャム?


「…………たいちょ………」


 思った瞬間、遠くに、かすかに、それでもしっかりとその声は聞こえた。頭の中に直接囁くような彼女の声が。


「チャム?」


 口に出した声に、彼女の視界が頷くのが分かる。


「チャム、楽しい。ちょっとだけ、女の子、喋ってる。ありがと。定時連絡」


 僕からも何かを言おうとした途端、楽しげなチャムの声はふっと途絶えた。

 あっと思ったときにはもう僕の視界には月明かりに照らされた殺風景な部屋しか映らなくなり、なんだかとても寂しくなった。活性期あけの、とても静かで、どことなく浮かれたフロンティアの夜。時計は十九時過ぎをさしていた。



 二日目。十九時少し過ぎ、また同じようにそっと感覚が揺れ出すと、僕は待ってましたとばかりにベッドの上に身体を起こした。

 すると、ゆっくりと頭の中にもう一つの視界がやってきて、そこには褐色のおかっぱ少女がにこにこと。

 成程、鏡か、と感心した。。


「……たいちょ」


 安いホテルの様なプラスチックっぽい壁と、簡素な洗面台に囲まれたチャムが鏡の中の自分に向かって嬉しそうに手を振っている。


「チャムに、会いたかった顔してる」


 鏡の中の映像は、口を動かしていない。それでも確かに遠く離れた僕の頭には、その声が聞こえていて。


 ――ありがとう。会えてよかった。安心した。


 と僕が思った瞬間、彼女はもう嬉しそうに頷いていて。次の瞬間には、鏡に向かってちょっとおませなポーズを決めたり、可愛い顔を作ってきたりと、楽しげに。


 そして照れくさそうに笑った彼女は、思いついたようにポケットから何かを取出す。小さなリップの様なそれを握ったチャムは、少し背伸びをする様に身を乗り出して、鏡に文字を書き出した。


 なんだろう。とても嬉しそうで、楽しそうで、無邪気で、甘い――メロンソーダにそっとアイスを乗っけようとしているみたいな幸せが、僕の頭の中に流れ込んでくる。


 『E』、『m』――僕ら二人の頭の中の繋がりに対して、まどろっこしい位に遅い、言葉による感情表現。


 口紅かな? おいおい、小学生がそんなものを――なんて考えていると、チャムは照れくさそうに『サキにもらった』と囁いて。


 やがてようやく――Em yêu ――ピンクの文字がそこまで並んだ時に、またふっと。僕らの間にあった繋がりは滑り落ちる様に消えて行き、僕はまた真っ暗な部屋に一人ぼっちになった。


 そして、彼女達が海に出て三日目の夜。十八時半頃。


 少し幸せな気分でそわそわと定時連絡を待っていた僕の頭に、突然。生きると言う強い意志と、湧き上がる恐怖、それからありったけの勇気を、チャムが叩きこんできた。

 何もかもがひっくり返った暗い部屋の中で、必死に。皆でそこから逃げ出そうと。飛び上がり、浮き上がり、手を伸ばし、悲鳴と涙と血を流している仲間達の姿と共に。


「たいちょ! 助けて! 船、何か当たった!」


 悪夢のようなその光景が彼女のモノだと理解した瞬間、僕は。意味不明な絶叫を上げながら青白く光る巣の廊下を走り、飛び、月明かりに染まる女子寮の廊下で叫んでいた。


「チャムがっ! 子供達が大変なんだっ! 船が……っ!! 誰でも良い! 早く!! たくさん来てください!!」


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