第65話 強食
あっという間に囲い込み、無作為に叩き潰し、無尽蔵に燃やし尽くし、飽きる程に切り裂いて。圧倒的な殲滅力を見せつける笘篠隊が形成した『面』が、視界を覆い尽くす程の下等なファージの群れをどんどんと押し込んでいく。
そこからかろうじて逃げ出した数匹を、にこやか笑顔の笘篠隊長の指先が『バンッ』と撃ち抜く。途端、無邪気な彼女に全ての魔力を借りられた甲虫達が、木の葉の様にハラハラと荒くれた波に呑まれて消えて行く。
「こ、こんな感じで良いでしょうか?」
狩りの風景を眺めていた僕の目の前、青いラインの入った白の防護服の背中で一筋の黒髪を揺らしていた
両手を前に突き出して、灰色の雨の中に青白い光を無数に点灯させながら。
「うん。いいね。そのままゆっくり前に進んで」
「……へ? し、ししししかし。こ、このままではさすがに最前線を追い越してしまいますっ!」
驚く彼女の言う通り、巨大な群れを縦横無尽に狩り取っている笘篠小隊の背中は、無数の青白い光球を結ぶ線が形成する甲羅型『久遠シールド』のすぐそこまで迫っていた。
「構わない。ただ、全面にこれを展開してくれ。このまま群れを突き抜けて、後ろの連中を狩りに行く」
久遠は、真面目そうな太黒眉毛を困った様に歪めながら。
「し、しかし。その……二人だけで、D級の上位種三体、というのは。そ、そもそも私は防御以外にはそれほど役に立ちませんから……戦うのは小田島さん一人ということに……あっ、い、いえ、決してその、小田島伍長をおディスりしているわけではっ!」
どうでもいいよ、そんな事。
おたおたするばかりの少女にちくりと湧いた苛立ちを隠しつつ、僕は優しく微笑んで。
「それでいいよ。君の役目は、僕を無事に奴らの前に連れて行く事だからね。敵は勿論、仲間の攻撃にも巻き込まれずに。出来るかい?」
久遠はきょどきょどとあちこちを見回して、それからやっと。
「で、でで、でき……ます」
「じゃあ行こう」
頷くと同時ゆっくりと前進を始めた僕の前に慌てて飛んできたロングポニーテールが、『てやっ!』という気合の声を上げると、二人の周囲は透明な光のシールドで覆われた。
そしてそのドームに包まれたまま、僕らは上空と左右に幅広く展開した笘篠隊の間をゆっくりと通り抜けて行き。
にこにこ笑うだけの笘篠隊長と、それから僕の頭上でぐっと親指を立てて来た依白さんに頷いて。
「い、いきます!!」
ぎゅっと覚悟を決めた様な声と共に少し速度を上げた彼女に続いて、チャカチャカキィキィと音を立てる蟲共の雲の中へ突入した。
瞬間、窓に貼りつくように久遠のシールドに群がる虫・虫・虫の牙、にょろりと伸びるザラついた器官、無数の鉤爪、無機質な目。
まるで水族館だな、と僕は思った。いつかの修学旅行で行った、水槽の中を歩く通路みたいだなって。
あの時僕は、少しだけ怖かったのを思い出す。楽しそうに笑い合うクラスメイトの後ろで一人、このガラスが割れたらどうなるんだろうと考えて。
不思議だった。もっと、怖いのかと思ってたから。
不思議で仕方がなかった。いつかの飛行機の風景と同じ、ガラス一面の蟲を前にした僕の心が――笑えるくらいに、笑っていたから。
それは多分、絶対に割れないガラスの中にいるからでは無く――。
――――来いよ。
睥睨した瞬間、ゾワッと、虫という虫がひるむのが分かる。怖気づくのが分かる。恐怖なんて感情を知らないはずの蟲共が、絶対的な強者の存在に痺れるのが。
直後に追いついてきた笘篠隊の殲滅ラインに触れた刹那、それらがあっという間に燃え上がり、切り裂かれ、グシャリと空間ごと圧縮されていく中をのんびりと通り抜けた僕は。
「凄いね、久遠。本当に全部防ぎ切った」
「ぎ、ぎりぎりです。み、味方の方が……きつくて……消耗が、凄い……です」
青い顔で振り向いた彼女に、こくりと頷き。
「十分だよ。ご苦労様。じゃあ、次は僕の番だ」
バサリとシールドを覆うようにやって来た、毛だらけの貝の中身に巨大な蛾の羽が生えた様な吐き気がするほどおぞましいドでかい虫を。
キン、と頭の中で音がする。
敵の精神と同期する。瞬間的に下等な虫の感覚が僕の意識下に落ちてきて。
さあ――
僕は、それを。その本能でしかない小さな小さな生きる意志を。まるで子供がいたずらに踏みつける様に。弄ぶかのように。簡単に。
――死ね。
ぷちっと。奥歯で噛み切る様に、断ち切った。
シールドの上でくたりと倒れ、雨と共に海へと落ちていく蛾。
その上空を、仲間がやられた事すら知らないままカンテラの魔力につられて飛んでくる二匹の蛾。
馬鹿だな、と笑う。ここはもう、僕の
シールドに貼りついて尻の先に付いていた口をぎちゅぎちゅと広げて食欲を丸出しにしする一匹の蛾に、もう一匹がピタリと止まった。
――くしゃり。
次の瞬間、そいつは仲間の頭を筒状の口で飲み込んで、噛み切って。あとは、そのまま、自ら真っ直ぐに海の方へと突っ込ませる。
――この辺、か。
対象から距離が離れるにつれて二次関数みたいに増える負担を見切った僕は、そいつの意志のスイッチをプチンとオフにした。
頭の奥に湧き上がった小さな虚無をグラブの上から手の甲を噛んで耐え、奥の方へと揺れかけた自分の意識を保つ。
弱いな、と思った。D級の虫は、個体としての生きる意志が人間よりも遥かに弱い。
ほとんど抵抗なく、ぷちっとイケた。むしろ心地よい位の手ごたえで。これがC級の獣だったら、もっと抵抗があるだろう。その反動に、どれくらい耐えられるか。
やってみないと。
「……い、いいいいいい今のは、な、ななな、なんなのですか? と、突然。ファージが……?」
真っ青な顔で振り向いた実習生に、僕はいつもの笑顔を作って。
「うん。そうだよ。僕がそうさせたんだ」
シールドのおかげで雨が当たっていないと言うのに、久遠はかなり濡れた目で頬を引き攣らせながら。
「さ、させた……って、と、ととと共喰い……も、ですか?」
僕は首肯。彼女の目の奥の恐怖を拭おうと、出来るだけ爽やかかつ申し訳なさそうな顔で。
「ああ。両方いっぺんに殺すより、もともとある食欲を利用した方が簡単そうだったから」
「そ……そうでありますか……は、はい……いえ……はい……そう……ですよね」
視線を逸らした久遠の背で、まだ実習生の彼女にはちょっと刺激が強かったかなと反省しつつ。
「ありがとう、久遠。今日は僕だったけど、これが出来るなら、君の魔法はきっと藤崎の役にも立てるよ」
「ほ、ほんとうですか?」
途端、さっきまでの泣き顔が嘘みたいに輝いた瞳を見て、人気あるなあと苦笑する。
「うん、間違いない。君ならきっと藤崎の盾としても通用する」
「そ、そうでしょうか……ああいえ、で、でもやっぱり遅いですし……わ、私なんて……」
もごもご言いながらそれでも嬉しそうな彼女に、『さあ帰ろうか』と言いかけた僕は。
いきなり、むぎゅっと。
「へっへっへー、やったね少年格好いい! お姉ちゃん惚れ直しちゃったよ♪ チューしてあげちゃう♡ はい、ちゅ~ぅ♡」
「いや、唇はだめですって」
と、元気いっぱいに抱き着いて来た笘篠さんの顔を押しのけながら。
「……な……そ、そんな……」
空気の読めない自由な隊長さんに、自慢のシールドとせっかく手に入れた自信を一瞬で掻き消されてしまった実習生にかける言葉を考えた。
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