第63話 銀色の夜

 男子寮と女子寮をつなぐ屋上の、給水塔の上。

 バラバラに壊れてしまいそうな星空を見上げながら、僕は一人でぼんやりと。

 猛烈に眠いのだけれど、それ以上に強烈に頭が痛くて眠れずに。目を閉じて、じっと。誰かの事を考えていた。カナは大変なんだろうな、とか。チャムはもう寝てるかな、とか。笘篠さんてルーガにルーツがあるのかな、とか。警ら隊はちゃんとあの人達を手当てしてくれるのかな、とか。何でも無い事だとか、カナに言った言葉を後悔したり反省したり、もっとちゃんとしたやり方も言い方もあっただろうにとか。


 ただ漫然と自分の内側に落ちて行きながら。きっと、誰かを待っていた。誰かに、今の僕を見つけて欲しいと思っていた。こんな所で、こんな風に。あの時も。今も。僕は。僕だって。僕なりに。僕、僕、僕。


 笑う。満天の星空に泥だらけの腕で蓋をして。


 結局、どうやったって、僕の話だ。誰かの事を考えているつもりでも、結局は。他人の気持ちが分かるとか、考えが見えるとか。だから何だろう。

 あの昂揚感。あの全能感。何でも出来るっていう気分。究極に調子に乗っているような、あの気分。

 違うと思う。あれは――小田島セイの魔法は、他人を『僕』にしているだけだ。他人の気持ちや考えが分かるんじゃないし、他人の身体を操っているんでもない。勝手に他人の頭に入り込み、その存在を否定して、消し去って、僕を増やしているだけなんだ。

 だから。例えば、有沢カナを操って、それで。

 カナは、それをすごく嫌がるだろう。僕の事を、嫌いになるだろう。恐れるだろう。それを、僕はどうする事も出来ない。それが嫌なら、僕はずっと彼女をコントロールし続けるのだろうか。彼女の気持ちを僕が望む方向に捻じ曲げて。あるいは、彼女の存在自体を僕に代えて。彼女に、僕を代入して。そしたらミラクル天才魔法使いのカナちゃんは、どこへ行くのだろう。この世から、消えてしまうのだろうか。

 出来てしまう。きっと、僕には。藤崎マドカに、僕を好きになって貰う事が。でも、それは、きっと偽物。彼女が遥か遠い本土に帰った時、あるいはいつか僕が死んで、悪夢の様な熱から醒めた時――。


 ……目が覚めた時、あの襲撃者達の心は、どうなっているんだろう。

 上田さん達は。僕を。どう思っているんだろう。あの時の僕は、理性もクソも無かったみたいだけれど。

 言っていた。危険だと。君の力は、危ないのだと言ってくれた。他人の意志を消してしまう事は。


 カナが言っていたその感覚・・・・。彼女から溢れ出る嫌悪感。


 戦え、戦え、と僕に囁く亡霊たち。自分の頭の中の、誰か。異物が身体に、入ってくる感覚――想像して、吐き気がした。虫の頭が喰い込んでいく人間の腹を思い出して。

 考えなきゃいけない。自分の事を。もっと。

 自分の『危険な力』について。知らなければいけない。誰かの評価や言葉だけじゃなく、きちんと理解して、自覚して。

 いつか、脳味噌がちぎれる位の戦いをする前に、その覚悟を。


 と。


 ――コホン。


 腕の中の暗闇に、かすかな咳払い。


「あ、セイだ」


 聞きなれた声に顔を上げれば、銀色の髪を風に揺らした少しお洒落な格好の魔法使い。


「何してるの? こんなとこで」


 視線をちょっと斜めに外しながら、用意した台詞を読むみたいな下手くそな喋り方。僕は笑った。無様な位に嬉しくなって、そんな自分がとても恥ずかしく思えて、笑ってしまった顔を隠そうと仰向けに倒れ込んで。


「ちょっと、考えてたんだ。色々と」

「ふ~ん。何考えてたの?」


 ふわりと頭の上に舞い降りた藤崎が、僕の顔を逆さまに覗き込む。灰色の瞳、白い顔、銀色の髪。


 客観的に見て、異様だろう。本土の街ですれ違ったら、二度見する位には。

 他の誰とも違う、美しさ。


「チャムとか、笘篠さんとか、カナの事を考えてた」


 星空よりもずっと手前で、そのどれよりも綺麗な瞳を見て言うと、藤崎は『ふ~ん』と言いながらニヤリと意地悪な顔になり。


「へ~、私の誘いを断って、他の女の事を考えてたんだ~。ふ~ん、なるほどなるほどそうなんだ~」

 僕は笑う。とても、とても楽しくて。

「楽しかった? コンサート?」

 すると藤崎は、くすくすと笑いながら。

「うん。すごく良かった。セイが来たら――あ、そういえば、セイのお医者さんも来てたわよ。アニーだっけ。あのお喋りな人」

「ああ、そうなんだ。音楽より食べ物の方が好きそうだけど」

「ふふ。うん、なんかずっと食べてた。で、MCになるとこっち向いてめっっちゃ喋るの。だから今日私、全然このみの話聞けなかった」


 想像出来過ぎて笑う。仰向けの身体を少し揺らして。

 それに気を良くした藤崎は、ちょっと作った声になり。


「『わぅたすぃのお喋りの方があぅんなのよりよっぽど面白いでしょ?』だって!」

「似てる似てる」

 本当はあんまり似てないけれど、面白いから問題じゃ無い。

「あ、でもなんかね、格好いい男の人と来てたわよ。OSPRの人なんだって」

「へー、そうなんだ。シレンシオのとこだっけ?」

 藤崎は頷く。

「うん、そう。なんかまた棺桶用のデータを取りに来てるんだって」


 彼女の短い言葉の間に、僕は少し考えた。アニーにはアニーの目的があるという事、そのためには、どんなクズでも悪い奴でも手を組まなければならないって事。彼女にとって、僕がどっちなのか。分からないし、どっちでもいいやと笑いながら。


「藤崎さ。僕の物真似って、できる?」


 僕ってどんな喋り方なのかな、とか。そんなにムカつく感じなのかな、とか。ちょっと気になって。でもそれ以上に、単純に物真似している藤崎が楽しそうで、もっと見て見たくて。そんな下らない男のリクエストに、彼女は『ふふん』と得意気に頷くと。


「出来るわよ。……んんっ、んんっ! いくわね」

 とニヤつきながら。

「『ぼ、僕は、その、藤崎のこと……ふんっふんっ……と、特別ぬぁんだなっうへうへうへぇ』」

 と、衝撃的な気持ち悪さを星の絨毯じゅうたんに向かってぶちまけて。


「……え? そんなに?」

 と瞬きする僕を振り向くことなく膝を抱えたままくすくす笑って。


「うん。こんな」

 と言いながら、白い鼻をそっと夜風に差し出した。


「……そっか」

 頭を掻きながら呟いて、身体を起こす。すると藤崎は、膝に置いた腕で鼻から下をかくしたまま、そおっと僕を窺って。

「似てた?」

「……どうかな。自分の事は、自分じゃわからないんだけど。でもまあ、言った覚えはあるからね。藤崎がそんなだったって言うなら、認めるしかないよ」

 曖昧に自分の気持ち悪さを受け入れた僕に、彼女の瞳は嬉しそうに煌めいて。

「ふ~ん……ね? そういえば、大丈夫なの? なんか顔色悪かったけど。何かあった?」

 なんて、今更小首を傾げながら。

「まあ、うん。ちょっとね。でも大丈夫。おかげで相当良くなったから」

「ふ~ん……――。」

 一瞬の躊躇、それから決意したように何かを聞こうと動き出した彼女の喉を。


「それよりさ、どうだった、コンサート? 何の曲歌ったの?」

 真っ直ぐな微笑みで封じた僕に、彼女はむぅっと考えて、頷いて。

「――えっとね……」

 と、少しずつ、静かに。自分の夢を叶えていく友人の素敵な歌について、どうしようもない僕がうとうとし始めるまで、一生懸命に話してくれた。

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