第62話 何一つ、君の為では無いけれど

「本当に、絶対、嘘じゃ無いって、言えますか? 私が、何をしても、それは全部お前が自分でやったことだって。僕は何もしてないよって、そう言うんですか?」


 切れ長の目が、激情でビキビキと見開かれ。


「勝手に人の頭の中ぐちゃぐちゃにして、好き放題やらせておいて、僕は知らないって、どうせ。言うんじゃないですか!?」


 僕は苦笑いで首を振った。

「それ、僕に言ってる? 僕は君のお爺さんとは別人なんだけど」


「同じです! 同じじゃないですか! ……先輩は、お爺様の家来ですから、きっとやります。……っ……ねぇ、知ってます? 分かってます? 貴方達に命令される側の人の気持ちが。やれって言われたら、抗えないんですよ。ずっとずっと、頭の中に声が聞こえるんです。今日だって、カナ、ほんと、マジで、先輩なんか、死んじゃってもいいのに。助けに来ちゃいました。だってうるさくって眠れないんですもん。枕被っても、お布団に入っても、ずっとなんですもん」


 少し笑う。

「それはすぐに助けに来てよ」


 軽薄な僕の視界の中で、カナの親指が少し動いた。カシュン、と銃の安全装置を外した音。


「……本当ですよ。ホントに、私は先輩の事、嫌いなんです。怖いんです。いつか、私を。私を使って――」

「藤崎を?」


 カナの顔から一気に怒りが引いて、無感情に青ざめた。

 僕はすかさず両手を耳の横に持ち上げて。


「成程ね。いつか、君は、君の大切な友達を傷つけるんじゃないかって、そう思ってるわけだ」


 じっと彼女の目を見て微笑みながら。


「疑問なのは、そんな君が、お爺さんの事が嫌いな君が、どうしてアンチバイラスに入ったかって事だけど――もしかしてそれも?」


 カナは、低く薄い笑みを口端に揺蕩たゆたえながら。


「違います、って言いたいですけど、もしかしてそうなのかもしれませんね。小さい頃から、そうしようと思ってたんで。だから、自分でも、もう、わかりません」


 くすくすと。大嫌いな絵にぶちまけるはずだったペンキを、とうとう自分で頭からかぶった少女が笑う。


「でも、分かりますよね? そうじゃなくても、カナちゃん、マドカさんの相棒としては相性が悪いんですよ。カナ、マドカさんの盾には向いてませんから。でもね、有沢カナは、マドカさんの相棒なんです。私の父と、祖父がとても関係が悪いっていうのは、噂になっていますから」


 計算高く口の達者なカナにしては、ちょっと支離滅裂な話し方。

 まるで何も考えていない様だ。きっと考えれば考える程、悪い方へと泳ぐ自分を知っているからなんだろう。


「有沢源十郎は、みんな怖いですから。独裁者なんで。仲が悪い父の会社の方に協力するのは、ちょっと怖いですから。だから、カナちゃん、最前線で、マドカさんの隣で、『私の娘は、有沢源十郎のために命を懸けてるキャンペーン』に使われてるんです。うふふ。貢物なんですよね、私って。お父様から、お爺様への、島民の皆さんに向けての、人質みたいな? だからきっとミラクル天才魔法使いのカナちゃんは、子供の頃からお爺様にアンチバイラスに入る様に言われてましたし、父にもそう言う風に一生懸命教育されました」


「大変だね」

 神妙に頷くと、ミラクルカナちゃんは危険な笑顔を浮かべて


「はい。大変なんですよぉ、私。精一杯なんですよ。だから、先輩は、いらないんです。これ以上は、もう、無理。無理なんです。毎日毎日先輩の顔見てるの、無理なんです」


 僕は小さく首を振った。幼い子供をなだめる様に。


「大丈夫だよ。僕は君も藤崎も、おかしな風には使わない。僕は藤崎をとても特別に想ってるから、彼女の意に反する事はさせないよ」


「……でも、先輩は。できるんですよね? マドカさんを、少しずつ、洗脳しちゃうみたいなことが。先輩みたいな虫けらを、好きにさせちゃうみたいなことが。貴方達みたいな人のために、例えば、OSPRとかと戦わせることが。今、私がやったみたいに。先輩は、第零小隊、でしたっけ。それに、マドカさんを入れようとしてるんじゃないですか?」


 引き攣った笑みに震える声。今までずっとたくさん考えてたくさん思い描いて来た悪い予感を。自分の中に溜まった毒を吐き出すように。


「藤崎は、人間とは戦わない。そう言ってるよ」

 カヒュン、と銃身にカナの力が通う。

「だから! だからそれをやらせんだろうって言ってるんです!!」


 溜息。これは駄目だ。もう、僕が何を言ったって平行線。僕は元帥の事は良く知らないし、こっちの言葉は『嘘でしょう』で否定される。これじゃあコミュニケーションが成り立たない。


 完全に冷静さを失った少女に、僕はもう笑う事はやめて。


「カナ。正直に言うよ。僕は藤崎にそれはさせない。彼女が、本土の人間に嫌われる様な事は、絶対に。僕は、藤崎マドカを、何の心配も無く、胸を張ってこの島から家族の元に帰すんだ。だから、僕は君に君が嫌がる様なこともしない。君が泣けば、きっと藤崎が悲しむから。あいつはきっと、やっぱり私がいなくちゃって思うから。だけど、もしも僕の邪魔をしようって言うのなら。君だろうと、元帥だろうと――どいてもらうよ」


 真面目に告げた僕の代わりに、カナが声に出して笑いながら。


「あはは。すごいですね。かっこいい。でもそれ、証明できます? カナに、それ、見せてくれます? そっちがやるみたいに、してくれますか? 絶対に気持ちが変わらないって、嘘にならないって、言えます? 先輩は、僕だけは絶対に、お爺様に操られないって、言えるんですか? 大好きなマドカさんを傷つけないって。じゃなきゃ、カナには誰も信じられません。ああ、ホント。せっかくお爺様が死にかけで弱ってくれたのに、先輩みたいなのがウロウロしてたら、私、どうしたらいいんですかね?」


 真っ直ぐに、カナは僕の目を見た。震える指を、引金に掛けて。

 ――いらないんです、先輩なんか

 ぽそりと。すごく早口に。まるで唇から涙をこぼすみたいに呟いた。


 僕も、多分、同じように。溜息を吐くみたいに。自分に向けられた真っ赤な銃をちらりと見下ろして、その持ち主に語り掛ける。


「無駄だよ、カナ。僕を撃つなら、もっと遠くから撃たなくちゃ駄目だ」


 そこは僕の巣の中だから。今の僕なら、君の意志が指先に届くよりもずっと早く支配できる。だからもう、暴力は僕の前では役に立たないのだと。


 カナが、ぎりっと唇を噛む。


「もしも本当に君が引金を引こうとしたら、その瞬間に僕がそれを止めさせる。僕は、まだ死ぬわけにはいかないから」


 不思議だ。銃を向けている方が怖くて震えているなんて。


「……ホントに、撃ちますよ」


「いいよ。本当に思った瞬間、出来なくなるけど」


 嫌悪、恐怖、諦め、絶望、不信。彼女の中に次から次へと湧いてくる負の感情が、他の悪感情を倍加させるみたいに膨らんで。


「……やればいいじゃないですか。本当にできるんなら、さっさとそうしたらいいじゃないですか。撃ちますよ。ホントに、マジで撃ちますから。出来ないんでしょ? ホントはそんなの、全然出来ないくせに、そうやって、はったりで――全部っ!」


 カヒュン。という音と共に、もう一丁の銃が僕に突きつけられて。カナの中で、何かが静かに弾け飛んだ。


「……5……4……3……」


 清楚な癖に色っぽい少女の唇がぼそぼそと動く度、膨らんでいく銃の魔力。

 足下からこめかみの先まで。皮膚に纏わりつくようにパリパリと舞い始めた赤い光が、短くて綺麗な黒髪を、ぴょこんと横に飛び出た耳の周りで逆立てる。

 すぅっと筋の通った鼻が息を吸い込むと、猫ちゃんパジャマの胸の膨らみが一瞬ふわっと大きくなった。


 十五歳か、と思った。こないだまで中学生だった女子にしては、ちょっとばかり大きすぎる。胸も、その奥に広がる闇も。背負わされたモノも、抱えたモノも、両手を塞ぐごつい銃も。清楚で優しいお嬢様には、何もかもが不釣り合いに大きすぎて。


 ――撃つ。


 この子は、もう耐えきれない。

 だから、頭の中の恐怖が弾けるみたいに。心が壊れた人間みたいに滅茶苦茶に。自分だけに見えている悪魔に向かって突進して行く勇者の様に。僕の向こうの、お爺様を。


 頷く。カナ、もう、君は。そうだね。だったら、いっそ――。


「……2・1――ッ!!」


 ――撃ち抜け。


 ドゴン! と音がして、僕の頭がさっきまであった壁に大きな穴が開き、呆然とそれを見つめるカナの髪を海風が暫く揺らしていた。

 やがて、カナの目が、ゆっくりと、地面に転がっていた僕を捉えて。


「……………出来ないんじゃないですか、やっぱり」


 薄汚い路地に倒れたまま、汚れまみれの僕は笑った。


「そうかもね」

「……カナの、勝ちです」

「そうだね、それでいいよ」

「…………先輩、死んじゃいました」

「ああ。死んでたね、間違いなく」

「………………すみません」

「いいよ。なんとか避けたし。生きてるし」

「……………………どうして、ですか?」


 ぼそりと呟いた彼女の声に、僕は立ち上がりながら。


「え?」

「…………………………どうして、撃たせたんですか? 私を……操っちゃえば、良かったのに」


 笑った。心から。何度も言ってるじゃないかって。


「好きなんだよ。君と一緒にいる時の、楽しそうな藤崎が」


 カナは、力無く笑った。


「……当たってくれれば、カナちゃんも楽しさ全開になれたんですけどぉ」


 僕はにっこり。


「いいよ。いつでも。カナの好きな時に。何回でも避けるから」


 女の子はひくひくと呆れたような乾いた笑い声。それから、自分の手の平をじっと見つめて、何度か小さく頷いて。


「……すみません」

 と、泣きそうな顔で俯きながら、そっと僕に背を向けた。


「いいよ。明日のバスで、藤崎の隣の席を譲ってくれれば」

 おどけた様に僕が言うと、しょんぼりした猫の絵を見せたまま、カナは――有沢カナは小さく頷いて。


 トンッと。


 フロンティアの真っ暗な夜をあっという間に駆け上がり、光が瞬く星の海へと消えて行った。


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