第61話 心臓に触れる様な優しさで

 遠くの波の音、月と星と規律違反店の薄明かり。たったそれだけ。ほとんど真っ黒に近い暗闇の裏路地にさっきまで僕と戦闘状態にあったと見られる男が一人倒れ伏していて、それを踏み付けているのは『呼ばれて飛んで来た』らしい猫ちゃんパジャマの魔法使いの赤い軍靴。

 その状況を前にして、僕は苦笑いを浮かべながら立ち上がり。


「……ええと……ひょっとして、僕を助けに来てくれた?」


 これから良い所だったんだけどなという気分と猛烈な頭痛を誤魔化すために髪を掻き掻き、ご機嫌鋭角な有沢カナの顔色をそっと窺う。すると彼女は苛立ちの表情で、手にしていた二丁の愛銃をくるくるっと腰のホルスターにしまいながら。


「ひょっとしなくても、そうなんですけど。……ていうかぁ、先輩、こんな時間にこんなとこ勝手に出歩かないでもらえますぅ? カナちゃん真面目だから寝るの早いんですよぉ。起こされるの超迷惑なんでぇ」


 言い終りに、ガスッと。足下で気を失っている男を道路脇へと蹴り転がしたカナは、気怠い目元を引き攣らせたまま僕の方へと歩み寄って来た。


「はは、ごめんごめん。でもありがとう。おかげで助かったよ」

 僕はちょっと申し訳なさそうな笑みを浮かべながら、助けてくれた恩人にお礼を言って。

「『呼ばれた』って言うのは、君のお爺さんに?」


 するとカナは深々と溜息。


「他にいます? ほぉんと、何だかんだ言っても先輩ってお爺様が大好きなんですよねぇ」

 歪な笑みを切れ長の目元に浮かべ、耳たぶの下辺りの髪の毛をいじりながら。

「……っ!」

 突然に清楚な美貌を歪めたかと思ったら、そのままキッと真横の建物の方を睨み付け、次の瞬間トンっと地面を強く蹴り、あっという間に赤い風と化し。


 ずきずきと痛む僕の頭が、ようやく『おお』と感心して彼女の行く先を追った視線と交差する様に、シュンっと一筋の赤が戻ってきて。


 振り向くと、グシャッと言う音が僕の目の前。


 長く細い左手に、気を失った三番目の男の襟をぶら下げたまま、ガキッ、グキッ、グシャッ、グシャッ、と。何度も何度も、執拗に。固く強い赤と黒の軍靴の底で、とっくに壊れた機械の破片を踏みつける、真面目で清楚で大人びた有沢カナちゃんの姿があった。


 しばらく、彼女に憑りついた激情が落ち着くのを待ってから、僕は。


「それも、有沢元帥に言われたの?」


 粉々になった機械を見下ろし、ふん、と腕組みした彼女が振り向く。


「そうですよ。そうじゃなかったら、頭おかしい人みたいじゃないですか。カナちゃん、先輩達とは違うんでぇ」


 ぽいっと左手の男をヘルメットの上に投げ捨てて、カナはふふん、と挑発的に笑って見せた。

 怒りとか、悲しみとか、嫌悪とか、色んな気持ちを蠱毒の様に煮込んだ彼女の笑顔は、ただひたすらに暗く。痛々しい。

 爽やかな笑みで挑発を受け流し、へらへらと次の言葉を待っている僕に彼女は舌打ちをして。


「これを、壊せって言われたんです。寝てたら、『起きろ』って言われて。先輩がピンチだから、ここへ行けって言われて……で、今、これを壊せって」


 頷く。


「成程ね。多分、データを取られるのが嫌なんだと思うよ、お爺さんは。ほら、そのヘルメット、ちょっと他の人とは違ってやりづらい感じがしたから。多分、本当のターゲットは僕じゃ無くて、元帥なんじゃないかな」


「……へー」


 カナは興味無さそうに辺りを見回し、さっさと帰ろうと思ったみたいだ。


「ねえ、カナ」

「……何ですか?」


 苛立ちの目で睨みつける後輩に、僕は薄く笑いながら。


「もしかして君には、元帥の声が聞こえるのかい?」


 カナの目に、侮蔑の色が濃くなって。


「そうですよ。当たり前じゃないですか。じゃなかったら、先輩なんかの周りをウロウロしませんもん」


 僕は頷きながら、思い出す。チャムの持っている力――マーキングを。

 それから真っ直ぐに彼女を見て。


「いつか君は僕の部屋に来た。確か僕が初めてロビ霧島から禁止薬物を貰った日だ」


 ――そして、君はあの日、脱衣所で僕のシュガーを見ながらこう言った。『先輩こそ、良いもの持ってるじゃないですか』と。じっと、視線で問いかけて。


「……そうですよ。『確認しろ』って、言われました」


 何だろう。他人を傷つけるという事が、少しずつ。目の前でカナの苛立ちが募る程、彼女が隠そうとしている傷から血が滲む程、自分の内側も抉れて行く様な気がして。それが、異様に快感で。


「はは。そうだったのか、残念だな、僕にもモテ期が来たのかなって思ってたよ」


 カナは首を傾げて唇を歪める。


「……うっざ。わかってるくせに」

「いやいや、そうじゃないかなって思ってただけだよ。で、おじいさんはどうやって君にそれを伝えるんだい? 通信機械とか持ってるの? それとも、手紙とか?」


 カナが、じりっと一歩前に。それから首を振って、溜息を吐き、自分のこめかみに指を当てながら。


「言うんですよ。直接。急に、いつでも、自分の都合がいい時に。カナちゃんに。ああしろこうしろって、ずっと。囁くみたいに。ずっと」

「君からは、何も言えないの?」


 カナはにっこり。月明かりの下、ピキッと言う音が聞こえそうなくらい、割れる様に笑って。


「言う方法があったら、教えてもらえますかぁ?」


 僕は笑う。あはは、と。頭の中に居座り続ける高揚感と胸の奥に溜まっていく吐き気を、堪え切れずに。


「あははは。ごめんごめん。ちょっとね、ほら、言っただろ。僕は元帥と違うから、同じ攻撃的C型でも、いろいろあるみたいだし。僕には出来ないんだ、囁く奴」


 やっぱり、それはチャムが持っていると言う力に似てる。そして、上田さんが言うには、彼は僕と同じ種類の魔法も使える。つまり、彼は完全なる上位互換。僕だけじゃ無い。有沢源十郎と言う魔法使いは、全てのディストラクティブCの頂点にいると思って間違いはないだろう。


 暗い暗い路地裏で、僕は両手を広げておどけながら。


「そうだ。見せてあげるよ、カナ。僕に出来るのは――」

『こういう事くらいなのだっ!』


 突然背後で立ち上がった男が発した奇声に、カナがびくりと振り向いた。

 その表情。恐れた様な顔。途端に込み上げた罪悪感を、僕の中の何かが呑み込む。


「あはははっ! カナ、今度話せる機会があったらおじいさんに言っておいてくれるかな? あなた、まだまだ生きていられますよって。あのヘルメット位じゃ、僕でも全く問題になりませんでしからって」


 言いながら、僕は頭の中で質問をする。もう一つの身体で思い出す。他人の脳に、思い出させる。『俺って、誰だっけ? 誰に雇われたんだっけ? どうやって、この島に来たんだっけ?』


「……OSPR」


 瞬間的に現れた検索結果に、首を捻る。どこかで聞いた事がある音。見たことがある紋章。


「……カナ、OSPRってなんだっけ?」


 カナは、ぎゅっと唇を噛んでじっと僕を睨みながら。強がりの腕組みをした裏側で、泣きたくなるような恐怖を堪えるために両腕を強く強く握りしめ。


「……人間ですよ。人間側の防衛機構で、フロンティアとの交渉機関です」


 ああ、と頷く。思い出す。藤崎が言ってた。シレンシオとかいう機械を作っている所。


「成程ね。はは。そうか。ありがとう」


 お礼を言った僕を、カナはぎりぎりと睨みつけたまま。


「……やっぱり、できるじゃないですか。先輩も、そうやって。人の頭の中、勝手に見てるんじゃないですか」


 目の前の少女から溢れる嫌悪、嫌悪、嫌悪。吐き気をもよおすほどの嫌悪感。そして、それすら飲み込まざるを得ない圧倒的恐怖。

 僕にぶつけられる真っ当な感情とタガが外れたみたいに笑っている自分に気が付いても、僕は僕を止める事ができずに。


「うん、その気になれば出来るみたいだ。でも、本当に普段は見えないよ。言った通り、感情のイメージだけ。でもまあ、こういう感じにしちゃえば頭の中までわかるみたいだから、結果的にあれは嘘だと思われても仕方ないかな」


 相変わらず饒舌に動く自分の口を笑いながら、『こういう感じ』を具体的に見せようと思ってヘルメットさんの身体でラジオ体操をして見せた。

 それは思わず緊張がゆるむ程にコミカルな絵面だったけど、カナは少しも見てくれずにじっとじっと僕を見つめたまま。相変わらずお花畑の中で真っ黒なペンキを握りしめて。


 だから僕は諦めたように溜息を吐いて、それからできるだけ優しく微笑んで。

 この間は言えなかった、心から彼女を思いやった言葉をかけてあげようと思いついた。


「カナ、そんなに怖がらなくていいよ。僕は君を操ったりはしないと思う。君を使って、誰かを傷つけたりは、きっとね」


 言葉が相手の頭に意味を運んだ瞬間。彼女の心配や不安を的確に払拭したはずの僕のありったけの優しさで、決壊寸前だった少女の防波堤がゆっくりと崩れていくのが見えた。


「……それ、信じられると思います?」


 ほんの一瞬冷たい微笑みの残像を見せた有沢カナは、次の瞬間。

 音も、気配も無く、まるでそういう風景の一部になったみたいに、右手の銃を僕に向けて立っていた。

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