第60話 路地裏の王様
路地に肩をぶつけた途端、ドン! と街が悲鳴を上げる。敵が飛ぶと同時に転がっていた僕の足の向こう側で、ぐしゃぐしゃに潰れた露店からもうもうと巻き上がる埃煙の中から、ゆっくりと立ち上がるバカでかい男の影。片手に短剣、その頭にはフルフェイスのヘルメット――二人目の襲撃者。
じっと、それを観察する。
なんだ、あれ。あのヘルメット。つるつるしていて妙にとっかかりの無い意識。戦闘中だと言うのに、敵意を含めたあらゆる感情が抑制されているような。
ちらりともう一人の僕の顔を見る。他人の頭で思い出す。成程ね、そういう妨害兵器のテストも兼ねて、か。
――来る!
かすかな予感に従って右へ逃げた途端、爆発的な加速を見せた敵の短剣が星灯りに煌めいて。
「っ!!」
ヌゴッと鈍い音。二人の間に割って入ったもう一人の僕の身体から血が噴き出す。
痛みのフィードバックは無い。代わりに、頭の奥に重たい衝撃が走る。切れそうになる意識を奥歯を噛んで踏みとどめる。
お返しだとばかりに無茶苦茶な体勢のまま『僕』に振るわせた金属棒が意表を突かれた襲撃者の肩にそれなりの打撃を与え、互いの警戒がわずかな距離と時間を生んだ。
――ああ、くそ。難しいな。自分とこいつ、二人同時ってのは。どうも頭の処理が追いつかない。
張りつめた緊張感と消耗で荒くなった呼吸を整える。
バックステップで闇に溶け込んだ敵の姿を目で追う。あの距離では、今の僕に手立てはない。でも、深追いはしない。どこまでが僕の魔力の圏内なのか分からないし、路地の裏にもう一人が隠れている以上、優先順位は僕本体を守る事だ。そう考えて、僕は『僕』を呼び寄せた。
しかも、こいつ――この『僕』の身体。小田島セイよりは遥かに強く、軽やか且つ忠実に僕が思い描いた戦闘のイメージを実行してくれるものの、明らかにあっちの巨体とはスペックが違う。
なんでだ、と考えて、答えがすぐに思い当たる。もう一人の僕が記憶を差し出す。
こっちはルーガからはぐれたチンピラ気取りで、向こうはスーツ姿の依頼人が連れて来た『プロ』なのだと。
その他、芋づる式に引き出した記憶と言う名の情報が一気に僕の頭に流れ込み。
――やられたな、と苦笑する。
『僕』が持っている情報から客観的に推察するに、こいつは最初から小田島セイに食わせるための毒だったと言うわけだ。
ちらりと、『僕』の耳の裏を見る。気だるげなスーツ姿の依頼人に『あんたはこれをつけろ』と渡された装置だ。2号さんのヘルメットと同じ様に僕の魔法をジャミングするとか言ってたみたいだけど、現状からするに、それは嘘だ。恐らくあれで、僕の――ディストラクティブCのデータを取っているんだろう。
という事は、隠れているもう一人が持っている機械にデータを飛ばしているのだろうか。
どうしようかな。外させようか。
「……はっ」
笑った。真面目に考えているのに、笑っていた。
なんだよ。だったら最初からあの強いのが銃でも持ってくりゃ、とっくに僕はやられてただろうにと。
それか、もっと遠くから狙撃でもしていれば――。
依頼人さんには本気で僕を殺すつもりは無いのかな、とか。それともこう言う状況じゃ銃は使えないのかな、とか。あくまで小田島セイは、有沢源十郎の下位互換の実験体かよと考えながら。
「あはは」
笑っていた。
思考の間から染み出して来る興奮。それとある種の快楽に似た暴力衝動が漏れだすように。地面に向けて。
舐めるなよ、と。
あんなヘルメットで止められるつもりなのかよ、と。
感覚的にはわかってるんだけどな、と。その気になればあんなもの役には立たないという事が。
でも、じゃあどうしようか?
本体である自分を含めて、三人同時ってのは、さすがにこっちの脳味噌が処理落ちしそうだ。
だけど多分、『僕B』へのリンクを捨てれば、向こうに乗り換えられる。
多分じゃ無い。確実に出来る。僕なら、間違いなく。
だから問題は、身体の乗り換えにどれ位の時間が掛かるのか。
一対一の殴り合いで勝てる相手じゃない。
あとは、Bの怪我は相当深刻みたいだから大丈夫だろうけど、意識を切り離した途端に裏切られるっていうリスクはある。
そもそもさっき、こいつが真っ直ぐ突っ込んできたのを捕まえるのがタイミング的にギリギリだった。二号のスピードで向かって来られたらどうだろう。とか。
頭では出来ると思っていても、持ち前の慎重さが警報を鳴らす。判断と決断を遅らせる。
静かな路地裏に響く鼓動が、自分でも分かるくらいに、速く、うるさい。
「はは」
笑う。駄目だな、僕は。感覚を後ろ盾する経験が圧倒的に不足している。自信が無いから、魔法が鈍る。こんなお遊びじゃ無かったら、あるいはファージ相手だったなら、きっともうやられてるだろう。
ドクン、ドクン、と。全身に魔力を巡らせる左胸のポンプが、輪唱の様に叫び始める。
暗闇の中、野郎の敵意がすぅっと尖って行く気配。ドクン。さあ、ドックン、来るぞ。
さあ!
――――戦え!
スピードを最大限に活用し真っ直ぐに突っ込んできた敵が最後の一歩を踏み込む寸前、横から『僕B』が突進してなんとかバランスを崩させる。
勢い、ナイフで肩口を抉られるのにもお構いなしで無理矢理に敵を掴み、脇腹に突き立てようとした棒がBごと弾き飛ばされるのを見届けると、僕はすぐさま振り向いて一番細い路地に向かって走り出した。強者を前に、逃げる以外に選択肢が無い獲物のような印象を敵の心にばら撒きつつ。
当然、ヘルメットが僕の動きに反応する。ほんの一瞬、狩る者の優越を心の奥に煌めかせて。
『罠だ! やめろ! 戻って来い!』
背後から血まみれの『僕』に叫ばせてみると、ヘルメットの下で己の有利を確信した2号が真っ直ぐに僕を追って走り出した。
なんだよ、せっかく仲間が忠告してくれたのに。ちょっと位、躊躇するか助けに行けよ。薄情な奴め。
「ははは」
笑う。
それとも、もしかして勘違いしているのかな? 自分の感情の出所を。戦況の把握とそれに対する感覚的判断の順番を。気付いてないのかな? 自分の頭が、猛毒をくらってしまった事に。
その微かな優越感も、勝利の感触も、弱者を蹂躙する悦びも。自分のモノだと思ったかい?
道具を使って、機械みたいに感情を抑制していれば、掴まえられないとでも?
「あはは」
笑える。そんな事で守れるのなら、とっくにこの島の人はやってるってば。
全速力で到達した狭い路地の途中、僕は唐突にくるりと振り返り。
「あははは」
笑っていた。余りにもおかしくて、楽しくて、興奮して、最悪で。
僕に勝てると思ったのかな? データをとれば? そのクソダサいヘルメットをみんなで被って? 個人の意志を弱め、感情を調節し、目標達成をプログラミング?
はは。バカだな。だって、そんなの。それじゃあ。
「――蟲と同じだよ」
両手を広げ、不快な気分を吐き捨てると同時、路地の入口で倒れたままの『僕B』を切り捨てる。
さあ、これで条件は整った。この形なら、上手く行く。
一瞬の戸惑いを打ち消して、冷静に突っ込んでくるヘルメット野郎。動けば動くほど、無数に張り巡らせた僕の糸に絡め取られて行く彼の姿を、僕は冷やかに笑いながら。
今の僕が、シラフの状態でどれ位出来るのか。A型の仲間がどれ位使える物なのか。僕が、本当に元帥の域に達することが出来るのか。お互いに、この戦闘ごっこの中でじっくりデータを取りましょうかと。
瞬間、ふっと目の前から消えたヘルメットが、斜め上の壁を蹴る気配。
「は」
笑った。
馬鹿だな。視界から外れればなんとかなると? 僕の糸は、とっくに君を捉えているのに。
わかる。僕にはもう、分かっている。歩き方や言葉や物の食べ方を、誰に教わるでも無く幼い子供が知る様に。
自分自身の闘い方を。身の守り方と、狩りのやり方を。こうやって捕まえてしまえば、僕にはもう、スピードもパワーも意味が無いってことを。
暗闇に浮かんだ無数の透明な黒い糸が、一斉にピンと張りつめる。
頭の上から落ちて来た肉の塊に、一瞬にして僕の意志が通う。途端、自分の輪郭が曖昧にぼやけ、彼の存在が肥大化した僕の中に呑み込まれ、すぐに支配が完了する。
――へえ。
感心する。これが本物のA型かと。同時にちょっと眩暈。自分とは全然違うその魔力の感覚に。全身の運動を補助する意志の力の強烈さに。
――こうか、な?
高速落下状態のまま空中で振り抜いた短剣を、路地に向かって颯爽とヘッドスライディングした僕の頭上ギリギリを通過させる。まるで打ち合わせ通りのチャンバラを演じているみたいでとても楽しい。
そして『よし、次は』と思った瞬間。
ドゴッ!
と、側頭部の斜め上。せっかく手に入れた身体に強烈な打撃の打ち下ろし。
何だ? と思うと同時にブラックアウトした戦利品から強制切断を喰らった僕は。
「……いってぇ……」
と猛烈な頭痛を堪えながらゆっくりと立ち上がり、吹っ飛ばされた『もう一人の僕』の方を見て見れば。
「……ホント、マジで、呼ばれて飛び出てくる方ってぇ、ジャジャンと迷惑なんですよねぇ」
猫がいっぱい描かれた可愛いパジャマに、膝までを覆う無骨で派手な赤の軍靴、両手には種類の違う二丁拳銃というアンバランスな格好で、黒服ヘルメットの巨躯をぐしゃりと踏み付けながら、小さな頭をくしゃくしゃと掻いている有沢カナの、冷たい感情が落ちていた。
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