第57話 武器
「ルーガに? セイが? ……一人で?」
通学バスの一番後ろの指定席。朝から降り出した雨がなぞる窓枠に頬杖をついたまま、藤崎マドカがきょとんと灰色の目を丸くした。
「うん。だから、ごめん。今日の放課後は駄目なんだ」
「……ふぅん。ま、こっちは別に絶対って訳じゃないし。気にしないで行ってらっしゃい」
「明日はどう? 明日の夜なら」
僕の問いに、せっかく買い物のお誘いをかけてくれた白銀の天使はむぅっと片頬を膨らませながら考えて。
「……まあ、いいけど。でも、今夜なのよ。ほら、この間のパーティーで歌ってた子――このみって言うんだけど。あの子が今日ソロライブをやるんだって。せっかくだから、買い物ついでにセイもどうかなって思ったの」
「……そうなんだ……ごめん」
ここは平謝り。精一杯に眉尻を下げて。
正直僕だって藤崎とライブに行って、ついでにその前に家具を買ったりしたら楽しそうだとは思うけれど。
「……ふ~~ん……昨日巣に来てたって人?」
窓の方を向いたままの後頭部に聞かれて、僕はあははと苦笑い。
「まあ、そうなんだけど。ひょっとして、カナに聞いた?」
「……………違うけど」
一瞬眉毛を寄せた藤崎は、それっきり無言で雨の街をじっと見つめ続ける。華奢な肩から感じるのは、寂しさと悲しさにほんの少しの怒りを添えたシェフの気まぐれ乙女心。
カナじゃないとなると、今宮隊長か。うん、あの人なら色々言いそうだ。
「ええと。誤解があるようだけど、その子――チャムはまだ小三だから。ほら、飛行訓練。あれでC型同士仲良くなっただけなんだ」
青空も雨の鈍色も似合う銀色の後頭部に、巨大な『・・・』が湧き上がる。
「……ていうか、別にそういうんじゃないし。この際はっきり言っとくけど、私はセイの事振ったんだからね。君は特別な女の子だーとかって、そっちが言って来たんだから。……覚えてるの?」
じろりと見つめる瞳の色に僕はにこりと微笑んで。
「もちろん。覚えてるとも。思い出すまでも無く、僕はずっと変わらないよ」
すると藤崎は、唇の動かし方を忘れたみたいにグニグニさせて。
「……きも」
と言って窓枠に頬杖を付き、一瞬ちらりと僕の方を盗み見て、ピースサインでおどけた僕から全力で目を逸らす。
分かりやすく動揺している銀髪の向こうで雨に打たれる高級住宅の風景が、ゆっくりと停止した。
と、いう事は。
「……なぁんかぁ、朝からバカップルとか吐き気がするんでやめて貰えますぅ?」
案の定呆れかえった表情の有沢カナが、スラリと高い位置にある腰に片手を当てて清楚なお顔を引き攣らせていた。
慌ててそちらを振り向いた藤崎は、バスの中に無数に立った聞き耳に気付くと『なっ……』と呻いてゴスリと前の座席に額を押し付けて落ち込み出した。
僕は軽く笑った。最近は皆、藤崎マドカがいることにも慣れて来たのか、普通に僕等の周りにも座ってくれるようになったし、彼女に対して警戒や緊張を示すことも無くなっていたけれど、そこは思春期まん真ん中の男子女子。彼等のカルトヒーロー『第零ライン』のゴシップには興味津々なご様子だった。
矢印の様に突き刺さる単純な好奇心と振られ男への憐れみに苦笑しつつお嬢様のための席を開ける。じろりと一瞬僕を睨んだカナは、スカートを翻してストンと軽やかに腰を下ろし。
「っていうかマドカさん知ってます? 小田島先輩って、昨日可愛い女の子を巣に連れ込んでたんですよぉ」
嬉々として相棒である藤崎に話しかける彼女の声には、嗜虐の悦び。
なるほどね、と僕は少し感心した。
昨日藤崎と二人の時に言うよりも、一端僕と話をさせておいてからの暴露の方が、効果的に関係性にヒビを入れられる。『それを隠していた』という事実はうしろめたさと取られやすいからだ。さすがカナちゃん。感心感心。
――が。
「知ってるわよ。別にいいんじゃ無い? 飛行訓練受けてるなら強化指定児なんでしょ? その内実習とかで巣にも来るんだし。見学くらいなら問題無いと思うけど」
窓の外を向いたまま答えた銀髪の後頭部で、カナがむむっと僕を睨む。
舐めるなよ。本土で十数年過ごせば誰にでもわかる。ゴシップに対する言い訳と弁明は神速を貴ぶのだ。メディアに記事が出る前の対応が勝負なのだよ、と僕は微笑み。
「ですよね。でもでも、先輩はその子の頭をなでなでしたりぃ、ぎゅーって抱きしめたりしてたんですよぅ」
「それは普通に犯罪。いくら変態りっしんべんでもさすがにしないわよ。セイは意外と紳士だもん」
「……えっ?」
驚愕の目で僕を振り返るカナちゃん。
「…………洗脳?」
「何を馬鹿な。僕は異性に対しては紳士だよ」
笘篠さんをじろじろ見たり、カナに裸体を見せつけたりはしたけれど。それはあくまで流れの上の出来事で、藤崎に対しては寝ている時にちょっと髪の毛に触れた程度。そんな僕が女児の身体に触れるだなんて、まさかそんな。
しかしカナはめげじとマドカさんの小さな背中にすり寄る様に。
「でもでもなんかぁ、先輩、自分の事『たいちょ』とか呼ばせて鼻の穴膨らませてたんですよぉ。気持ち悪くないですかぁ」
「そう? 『お兄ちゃん』とかだったらどうかと思うけど」
「……お? お兄ちゃん……って、ええ? マドカさん……レベル……」
カナはもはや恐怖に近い表情でそっと藤崎から身体を離した。
僕はニヤリと悪魔の笑み。カナちゃん残念。藤崎も本土で幼少期を過ごした女だ。世界屈指の変態国家での日々が、常識のレベルを歪めているのだよ。
「……ふ~ん……そっかあ、先輩ってちっちゃい子なら誰でもいいんですねぇ」
「私はそこまでちっちゃくないっつうの。百五十ちょいあるし……ってか、そもそも私は別に全然全く関係無いけど」
「え~……なにこれカナちゃんつまんなぁい」
藤崎の信頼を勝ち取りカナからは一層の侮蔑の眼差しを浴びながら、僕らはバスに揺られて学校へ。チャムは今頃どうしてるのかな、と天井を見ながら考えた。
そして、放課後。
「じゃ、行ってくるよ」
と反対周りのバスに乗り込む僕に、藤崎は少し言いにくそうにしながら。
「うん、気を付けて。……えっと、その。チャムちゃんを悪く言うつもりはないんだけど。……やっぱりルーガには、私達……特に上層部の事を良く思わない人も多いし。あっちの方は、普通に治安も悪いし。一応、あんたは最近、有名だし。その……」
「自覚しろって言うんだろ? 大丈夫。ちゃんと気を付けるよ。ありがとう、心配してくれて」
藤崎は溜息。
「まあね。一応、だけど。あ、じゃあ、またね」
「うん。藤崎も、このみさんのコンサート楽しんで来て」
出発の気配に気が付いた藤崎が、笑いながらひらひらと手を振っていた。
窓際の席に座り、ズボンのポケットに入れたシュガーケースを確かめながら。
僕だってチャムを疑う訳じゃないけれど、他人を信じ切れるほど純粋でも、強くも無いよと。
でも、だからこそ。僕は出来るだけ多くの選択肢を。いざと言う時に取捨選択が出来る程の、『ナカマ』と言う名の武器を持たなければいけないんだと。
窓の外、小さくなっていく藤崎に手を振り続けた。
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