第55話 同族

 土曜日。眩しい位に晴れた午前十時ニ十分。蜘蛛の巣前の停留所の屋根の上で、僕はぼんやりと空を見ていた。青く澄んだ空に白い雲がもやもや湧いている。午後にはまた雨が降るのかもしれないな、などと。


 プシューと空気が抜けるような音と共に、一台のバスが滑り込んでくる。魔海の力場が乱れ始め活性期の兆候が見えて来たからか、土曜日だと言うのにバスから降りてくる人も多い。ただ、さっき見送った港回りの便に比べると圧倒的に東アジア系統の顔立ちが多くなる。頭の上に変な男がいる事にも気づかずに通り過ぎていく頭頭頭。くらくらする程、いくつも並んだ人の頭。


 その最後に、ちょこんと。タラップから慎重に慎重に足を降ろして、きょろきょろと周囲を見回す白のワンピースで決めた褐色の少女。


「!」


 唐突にパッと上がった瞳が僕を捉えると、幼い顔いっぱいに安心と喜びの花が咲いた。


「やあ、チャム。偉いね、一人で来れたんだ」


 チャムは『ふぁー』と嬉しそうに微笑んで。それからふわりと浮きあがり。


「たいちょ。危ない。飛ぶの下手っぴだから。落っこちて怪我するよ」


 屋根の上に着地してくすくす笑う彼女に、参ったなと頭を掻く。


「そうだね。その時は、チャムに助けてもらわなくちゃ」

「うん。私、助ける。チャム、たいちょの部下なのから」


 いたずらっぽい笑顔と共に、ふにゃっとした可愛い敬礼ポーズ。楽しさが全身から溢れてるなんて事は、きっと誰にでもわかる事だろう。


 僕は笑って。


「チャムは、どこに行きたい?」


 聞くと、チャムは『ほえ?』と首を傾げた。それを見て、僕はああそうかと苦笑い。

 『400メートル飛行で先に1分切った方が勝ち』という二人の勝負で、先日圧倒的勝利を手にした彼女が望んだことは、『蜘蛛の巣に連れて行ってほしい』だった。その中にどんなところがあるのかは、流石に知らないのだろう。


「じゃあ、行こうか。案内するよ」


 言って、停留所の屋根から飛び降りる。コツンという僕の超自由落下に比べて、羽の様に舞い降りる少女が描く飛行線の見事な事。この成長速度の違いはきっと若さの違いなのだと、僕は自分を慰めた。

 憧れの蜘蛛の巣を前にして笑顔が抑えられない様子のチャムは、いつもよりちょっと饒舌な瞳で何度もこちらを振り向きながら踊る様に歩いて行く。僕は、転んだら危ないぞと言いかけて、飛べる人は転ばないのかもと考え直した。


 首からぶらさげたゲスト用の認証カードを、嬉しそうにエントランス奥の入り口にかざすチャム。

「ぴっ♪」

 鳴った音の真似をしながらとてとてと内部へ駆けていき、『はやくはやく』と僕の認証をにこにこと待ってくれている。


「あっちが研究局の方。カンテラとかいろんな道具マギアを作ったりファージの分析なんかをやってるんだ、あとは医務局なんかもあっち側で、こっちが隊員の方。どっちがいい?」


 エントランスを抜けた後、三方に伸びる通路の内の右と左を指差した僕にチャムはちょこりと考えて。


「う~んと……。たいちょは? たいちょのいる方がいい」


 と可愛らしい事を言い。おまけにもじもじと恥じらうそぶりを見せながら。


「あのね、チャムね、たいちょのお部屋行きたい」

 照れくさそうな笑顔で、お兄ちゃんのハートを撃ち抜いて来た。


「あはは。うん。そうだね。じゃあ、それは後で。僕の部屋は上の方だから、最後の方に行こうか」

 するとチャムはきゅっと両肘を胸に寄せて満面の笑みで。

「うん」

 と、グレートキュートに頷いた。


 では、とりあえず案内がてらに蜘蛛の巣の絶景ポイントの一つである舞台を見せてあげようと右周りで歩き出す。至る所にある認証機器に向かって『ぴっ』をやりたがるチャムを、すれ違う人達はにこにこしたり笑ったり、中にはわざわざしゃがみ込んで僕の後ろに隠れるチャムの頭を撫でていく人までいたりして。

「この上に、僕等が住んでる部屋があるんだ。あのエレベーターで行くんだよ」

「ふんふん。飛んで行かない?」

 真っ当な疑問に、僕は笑って。

「飛べる人ばっかりじゃないからね。それに飛べる人も普段は普通に歩いてるし、エレベーターも使うんだ。チャムも使うでしょ?」

 チャムは大発見の顔で頷いた。

「うん。ちゅかう。飛ぶのちゅかれる。たいちょ、やっぱり頭良い」

「あはは、ありがとう」

 僕が作ったわけじゃないけどねと言いながらも良い気分な僕の背で、カチャリ。


「お? おお? どこのロリコンかと思ったら、セイじゃねえか、何してんだ? ロリコンか?」


 ロリコンの使い方に愛が無い奴だなあと思って振り向くと、第三小隊隊長今宮ナガセが咥え煙草で喫煙所の扉から顔を覗かせていた。


「……いいんですか、こんな所で仕事をサボって。ユイさんにバレたら怒られますよ」


 ちらり。彼の奥で格好良く足を組み煙草を咥える見知らぬ白衣の年上美女の魅惑的な太腿を見ながら言った僕に、隊長はハハハと笑いながら歩み寄り。


「いやいや、セイ。俺は今ちょっと休憩中なんだって」


 ガシッと僕の首に腕を回すと、声を潜めて。


「そういうんじゃねえから。な。お子ちゃまは黙っとけ、な?」


 と意味不明な事を言ったので、僕はふん、と鼻を鳴らした。なにがお子ちゃまだ。こっちだって今日は女連れだぞと。


 が、しかし。僕の腰裏に隠れていた美少女予備軍は。


「たいちょ。ちゅーい。今宮ちゅーいだ」


 と、ぐいぐい僕の服を引っ張りながら、階級も美男子度合も遥か上を行く男性の登場にメロメロなご様子で。


「ん? お? なんだ、もしかしてこの子がチャムちゃんか? はは、セイやるじゃねえか。可愛いな、おい」

「えへへ。チャム、可愛い?」

「ああ、可愛い。可愛いぞ、チャム。あと十年たったら俺の部隊に入るといい」

「えへへ、がんばる、私。私、飛べるよ」

「おー、そうか。すげえなチャムは。よーし、今から俺を隊長と呼んでいいぞ」

「ちょっ、今宮さ――」

 さすがにこんな幼い子相手に、最前線を務める小隊長がごっこあそびみたいなうんたらかんたら――と。


 が、しかし、頭を撫でられたチャムはあろうことかこの僕の服から手を離し両手を頬に当ててくねくねとさせながら。


「えへへ。たいちょー。いまみやたいちょーね」

 ああ、チャム! 僕のチャム! ぼくだけの『たいちょ』を、そんな奴に!

「くぅ~、可愛いな、こいつ。さすがディストラクティブCだぜ、自分の武器を的確に使ってきやがる」

「ふふふ。私、強い。小田島たいちょと同じね。チャム、ちゅかえる。しょーらいゆーぼー。よろしくなの」

 にっこり笑顔の少女の媚に、今宮さんはデレデレしながら頷いて。


「……ねえ、そろそろいいかしら? 私には貴方と違って仕事と言う概念が存在するの」

 と喫煙所の扉に寄り掛かった気だるげなお姉様に愛想笑いを返すと。


「はは。悪いな、チャム。本当は巣を案内してやりたかったんだけど、今日はセイとお出かけだ」

「うん。だいじょぶ。チャム、たいちょとお出かけ。今宮たいちょーはまた今度ね」


 にこっと笑ったチャムのつやつやな黒髪をポンポンと叩いたモテ男は、将来有望な美幼女戦士に手を振りながら、傍らの美女にもヘラヘラしつつ去って行く。


「……じゃあ、行こうか……チャムさん」


 ――もう、全部不幸になれ。

 呪い顔でとぼとぼ歩き始めた僕の隣、てくてくと並びかけたチャムはちょっと鼻をこすりながら。


「今宮ちゅーい、良い人。でも、ちょっと臭い」

「ああ、仕方ないよ。タバコ吸ってたみたいだからね」


 そう、仕方が無い。格好いいもん。どう見ても。金髪碧眼にあの笑顔。しかも中尉だ。あれで頭をポンポンされたらきっとファージの雌だってときめいちゃうに違いない。女なんてそう言うもんだ。

 と、乏しい女性知識からなる被害妄想を繰り広げていた僕の手を、チャムがくいくいと引っ張りながら。


「ルーガのたばこ、違う。チャム、コンニェのたばこ、くさいから嫌いよ」


 コンニェ? と聞こうと思って、やめた。文脈的に、ルーガの対比――つまり、ルーガの外の人達の事だろうと。あとは、なにやら必死なチャムの目の方が気になって。


 するとチャムは、僕の袖を握ったまま『う~』と悲しい顔になり。


「チャム、今日は言われてる。巣に行ったら、偉い人のお気に入りするて。そしたら、チャム、とくたいせーなれる。良い学校入って、ファージ殺して、お金稼ぐ。だから、くさいの我慢。お気に入りした。たいちょ、怒るのごめんなさい」


 泣きそうな顔でぺこりと頭を下げた少女は、きゅっと僕の手を小さな両手で握って。


「チャム、ほんとはたいちょの部下。うそじゃないよ。ずっと」

 僕は膝からその場に崩れ落ち、ぎゅっと部下を抱きしめた。

 わずかにでも彼女を疑ってしまった自分を恥じて。

「うん。ありがとう、チャム。怒ってごめんよ」

「うん。たいちょ、怒るのダメ。怒ってない?」

「ああ、全然、僕はこれっぽっちも怒ってなんかない」

「えへへ」

 なんだかとってもほっとした様な嬉しいような顔で笑ったチャムは、僕に頭を撫でられながら。きゅっと自分に言い聞かせる様に頷いて。


「たいちょ、おこるのだめ。たいちょのお気に入り、一番大事。セクハラ、ちょっとだけ、良いよ」


 と、今日のミッションらしきものを一生懸命呟き始めた。


「……はは」

 真剣かつ天然に年上キラーっぷりを発揮している少女の姿に、複雑な思いで頭を掻く。


 ――と。


 背中に、攻撃的な視線。


 不穏な感覚にゆっくりと振り向くと、ちょっと向こうの女子寮エレベーター前で軽蔑の眼差しでこちらを見ていた有沢カナが、『サイテー』と小さく唇だけを動かして、すたすたと籠の中に入っていくところだった。


「……あ、あはは」


 いやそういうんじゃないから、これはお兄ちゃんとしてのアレだから。と苦笑いの僕の視線の先、女子寮のエレベーターは案の定4階を示して停止した。


 成程成程。彼女もきっと休日にマドカさんのお気に入りをしに来たんだな、で、彼女の性格なら、なんかゲームとかして負けず嫌いの藤崎がイライラしてる最中に『あ、そういえばぁ……』みたいな感じでさらっと言うんだろうな。尾ひれも背びれもたっぷり着けて、化物みたいな魚を産み出しちゃうんだろうな。……ああ、うん。そうだろうな。


 そんな風に考えて心がシューンとしていた僕の手を


「たいちょ? どうしたの? 私、あれもピッてしたい。いい?」


 無邪気に笑う少女が、くいくいと引っ張ってきた。


「ぃよーし、今日は全部ピッてしちゃおうか!」


 半ばやけくそな笑みで歩き出した僕を、チャムは不思議そうにのぞき込んでくすくす笑い。


「……あ。たいちょ、あのね。こんどルーガにも来いって、オサが言ってた」

「あはは。よーし! じゃあ次はルーガにも行っちゃうぞ!」


 同じテンションで笑った僕に、チャムはえへへと嬉しそうに笑って。


「うん。チャム、たいちょ、好き。たいちょ、ルーガ怖くしないから」


 思わずお気に入りしちゃいたくなる表情で、幸せそうに微笑んでくれた。

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