第54話 ルーガ

 飛べるようになった事がよっぽど嬉しかったのだろう。夢中になって飛行訓練をした結果ぐっすりと眠り込んでしまった女児を背負い、僕は訓練場から外に出た。

 空はすっかり赤とオレンジと白の黄金色で、耳に掛かる寝息がくすぐったい。


「誰か、チャムの家を知ってる人いる?」


 まだまだ元気一杯に遊び回る子供達に向かって聞いてみると、戦闘ごっこに興じていた彼らは一瞬顔を見合わせて。「ルーガじゃね?」「うん、ルーガ」などと頷き合う。


「ルーガ? どの辺?」


 この島について本当に無知な僕は、代表してくれそうな村山隊長に問いかけた。すると彼は、

「しょーぎょーくの向こうの方」

 と言いながら、きっとルーガとやらがある方向を指差してくれた。それにうんと頷いて。


「えっと、じゃあ悪いんだけど、誰かそこまで案内してくれる? 隊長として、チャムを送らなくちゃいけないからさ」


 本当はその先の戦場へと送ろうとしているくせに、良い人ぶって微笑んだ僕は


「……え?」「……えぇ」

 と言う彼らの反応に一瞬戸惑い。

「でも、ルーガには行っちゃいけないって」

 と聞こえたサキちゃんの呟きに、思いっきり困惑した。


 行っちゃいけない? 何か、そんな場所があるのだろうか? でも、そこにチャムは住んでいるわけで――。


「私が行こう、小田島」

 眠り姫を背負ったまま立ち尽くした僕の肩に、依白教官の手が触れた。振り向けば、快活な彼女の笑みがあって。

「じゃあ、お前達。気を付けて帰るんだぞ。帰ったらきちんと風呂入って歯を磨いて、海上訓練の許可も忘れずに貰ってくる事! いいな!」

 彼女の声に大きな返事とピシッとした敬礼を返した子供達が、ワラワラと夕暮れの家路を急ぎだす。彼らが向かうだろう居住区が『ルーガ』という場所とは違う方向だという事に、僕は今更ながら気が付いた。


「……ルーガと言うのは、まあ……小田島には、スラムの様な物だと言えば分かりやすいだろうか」


 言葉を選ぶような依白さんの声で僕は『ああ』と理解して、その推測を呑み込んだ。僕の背中で眠る、日本語があまり上手でない褐色少女の境遇について。


「今でこそ英語は必修となっているが、このフロンティアが出来た当初、この島には日本語がままならない者と日本語以外喋れない者がいた。そして、圧倒的に後者が多かったんだ。結果、今でもこの島の第一言語は日本語になっている。あの舞台の上で背中を合わせて敵と戦う以上、コミュニケーションの採れない者達は次第に表舞台から消えていき、やがて彼等は彼ら同士で暮らすようになったと言う訳さ」


 成程、と僕は頷いた。

 命を懸けた彼らの日々に、差別だとか良くない事だなんて言葉は、余りにも白々しいと。それでもやっぱり、住み慣れた街からフロンティアへと送還され、そこでもまた数の暴力に敗れた人達への気持ちを胸の底に埋める様に。成程と、深く。


 ――と。

「チャム」

 響いたのは、しわがれた声。

 顔を上げると、僕等の少し先に褐色の肌をしたアジア系の人達が数人じっとこちらを見つめて立っているのが見えた。


 杖を握った老人を真ん中に、若い人が一人とおじさんが一人。ゆっくりと、彼女を背負ったままの僕に向かって警戒する様に歩み寄り。全員が僕の目を強く見つめたまま、その子を返せとおじさんが両手を伸ばして。


 その腕へと背中の少女を渡した瞬間、


「……ありがとう。オダジマ」

 老人が発した短い言葉。その一言に、僕とその老人以外が大きく動揺するのがわかった。


 老人は真顔のままじっと僕を見つめ、それから何でもなかったかのようにくるりと踵を返すと、英語でも日本語でもない語感の言葉を動揺する仲間達に語り掛けながら、堂々と夕焼けの街並みに溶けて行く。


 一言でも喋ったら怒鳴られそうなラーメン屋みたいな圧迫感から解放された僕は、溜息と共に頭を掻き掻き。


「……どうして、彼らは今日に限って迎えに来たんでしょうか?」

 スマホも無いこの島で、どうしてチャムがあの状態になった事を知れたのかと。

 すると、ちらりと見やった隣の依白さんは、『ん? ああ』と驚きの延長から抜け出して。


「きっと、チャムが呼んだんだろう。あの子はC型だからな」


 僕はまた頷いた。ユイさんみたいな通信魔法――そこまで考えて、首を振って否定する。そんな訳は無い。殲滅力ではB型に及ばず、個体能力ではA型に劣るC型の魔法使いを、わざわざ敵の近くに置く意味が無い。

 ならば、彼女は。その気になれば敵の戦闘能力を直接奪ってしまえるような。つまり――。

 改めて頷き直した僕の姿に、依白さんも頷いて。


「資料によれば、彼女はお前や元帥と同じ攻撃的タイプディストラクティブらしい」

 やっぱりお仲間か、と僕は笑う。道理で何となく目を合わせるのに抵抗があったわけだと。

 まるで、土足で心を漁られているような気がして。


「そうなんですか。じゃあ、あの子には気を付けないと」

 おどける僕を見た教官は、『そうだな』と言いながら、苦笑と共に首を振り。


「しかし。まあ、なんだ。さっきの老人はルーガのいわゆる族長なんだが……」

 言葉の候補を中空で吟味する様に腕組みをして。

「……驚いたぞ、まさかあの人が日本語を使うとは」

「そうなんですか?」


 そういえば、確かに『ありがとう小田島』と言われたけれど。


「ああ、まあ、もちろん今ではそんな事は無いんだが。でもあの位の御歳の方――まあ、特にあの人が仲間の前で……な」


「そうですか」

 僕はにこりと微笑んだ。

「きっと、チャムが僕の事を良く伝えてくれたんでしょう。自分が飛ぶ事が出来たのは『たいちょ』のおかげだって」


 無邪気に嬉しそうに笑う僕を見て、教官は苦笑いで肩を竦めると。


「まあ、そうなんだがな。これでチャムを海上飛行訓練に連れて行かなくてはならなくなった。万が一チャムに何かあったら、ルーガは怒るぞ。ええ、どうしてくれるんだ、小田島? 私の責任が重くなるじゃないか!」


 ふざけた口調のお姉さんに首を抱かれ、ぐりぐりとこめかみに梅干しを喰らいつつ『万が一は僕の責任じゃありませんよ』と顔で笑いながら。

 彼女達が消えた方角をじっとみつめて。


 背中に当たる明らかに女児とは異なる感触に、『言う程無くは無いじゃないですか』と心の中で無駄に明るく突っ込んでみた。


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