第53話 キミノタメニ
「おはよー、たいちょー!」
元気な声が訓練場の入り口に響き渡った晴れの午後。振り向けば、村山A型飛行訓練隊隊長(9)が、小学生らしくしゅびっと右手を上げて笑っていた。
「ああ、おはよう村山隊長。……チャムも、おはよう」
その背に隠れる様にしていた褐色のおかっぱ女児に、膝を曲げて微笑みかける。すると褐色の肌色を下少女・チャムは『はわわっ』としどろもどろになりながら。
「……お、おはよぅごづぁいます」
「うん、おはよう」
僕は出来るだけ優しく笑って立ち上がる。それでもやっぱりチャムは足下と僕とをちらちらしながら、目が合うとまた泣きそうな顔で小さくなってしまった。
……困った、と思う。
彼女が僕を避けるのは、人見知りなんだと思っていた。あるいは単に、同年代の中に一人混じった年上のお兄さんが怖いのだろうと。それが今日は――
「小田島たいちょー、顔どうしたんだ? ケンカか?」
「はは。ちょっとぶつけちゃってさ」
笑いながら言ってみると、はっきりした恐怖でびくりと身を竦める女児の姿。
やはり、昨日の事が原因なのだろう。滅茶苦茶に壁にぶつかり回る男の光景が。その男自身が、相当怖かったのだ。せっかく彼女に役立つ情報を持ってきたと言うのに。
「ぬはは、たいちょーはC型だからケンカ弱えんだ! 嫌な奴いたら俺に言えよな! 俺は最強だからな! 藤崎少尉だってぶん殴ってやらあ!」
「はは、ありがとう。もしも藤崎にいじめられたら、村山隊長にお願いするよ」
生意気に向かってくる子供を容赦なく吹っ飛ばし、『はっ。十年早いのよ、十年』と眉を持ち上げる藤崎を想像して、ニヤニヤ笑う。
「おう! 俺は最強! 俺は最強! 誰より強い! うおおおぉ!」
自分に言い聞かせる様に叫ぶ子供の声を聞きながら、視線を感じて振り向いた。すると。
「……っ!?」
ぽーっと僕を見ていたチャムが、慌ててぎゅっと目を閉じるのが見えた。
そして。
「リューセイ、速い! ラインが乱れてるぞ! 自分の事だけに集中してちゃだめだ! 飛びながらでも周りを見ろ! 敵の位置と、仲間の場所、それからスピードを常に考えるんだ! 仲間を撃ったら洒落にならないからな! サキ! 高度が落ちて来てるぞ!? 限界なら離脱しろ! 無理をするな!」
ヤシの木が映える青空を二班に分かれてひよひよと飛び回る子供達の方から、依白教官の大声がグラウンドに響き渡った。
その姿を見上げながら土の上に立っていた僕は、隣で寂し悔しと仲間を見守っていた少女の様子をちらりと窺う。
「……っ……」
視線に気づいた途端、はわわと首を竦める少女チャム。
そんなにこの無害な顔が怖いかと、僕は頭を掻きながら。
「チャムも、飛びたい?」
彼女と喋る時、僕の口調は妙に柔らかくなる。子供を舐めているつもりは無いけれど、彼女はまだ日本語があまり上手くない様だから。
僕の問いかけに、褐色のはわわっ娘は助けを求める様にどこかと僕との間に激しく視線を彷徨わせ、それから観念したようにこくりと頷いた。
「そっか」
僕は微笑む。村山A型隊長の無邪気さとは違うけど、これはこれで子供らしくてかわいいなあと。
「チャムは、みんなとあまり喋らないんだね」
思えば僕も、そんな感じだった気がする。もう十年も昔、ましてや子供の頃の話だからほとんどおぼえてはいないけれど。
それでもあの頃、僕はいつも他人におびえていた。もちろんそれは、『身体が弱い』事とそれが原因で『周りの雰囲気を悪くしている』という自覚があったから。ふいにめまいを起こしたり吐き気をもよおす僕を見る大人の視線や、周りの子達にひやかされるのがとても怖かったから。
なぜか少し嬉しくなった僕は、仲間だねと言う顔で隣の少女を見た。するとチャムはちょっと悔し気に下唇に息を溜めこんだあと、それを吐き出すようにくりくりした可愛らしい目を細めて。
「……私、日本語、あまりうまくない。ちゅ、上手く言えない。おちゅりの算数、みんな笑ってるね」
彼女のいう事を理解する間に、僕は軽く瞬きをして。
「……『つ』?」
チャムはこくり。
「ん。おちゅり。おちゅかれさま。ちゅかれたって、男子、いちゅも馬鹿にする……」
「そうなんだ。可愛いのに」
心の中で少し笑って、その顔を隠すように空を見る。青と、薄い雲の白がとても爽やかで明るく見えた。
チャムは一瞬ムッとした様に僕を見上げて、それからむむぅと唇を柔らかくくねらせた後、恥ずかしそうにもじもじと。
「……それ、セクハラね。たいちょ、スケベよ」
笑った。心外だな、と思いながら。
「でも、多分、みんなそうだよ。みんな本当はチャムと喋りたいんだよ。わかるだろ?」
村山隊長なんて僕がチャムと喋っているとやたらと駆け寄って来るし、と言う言葉を飲み込んで、代わりに男の子ってそういうもんさなんて先輩ぶった事を言おうとして。
「……でも、みんな悪口言う。みんな、チャムの事……嫌いじゃ無い、かも。でも笑われる、イヤ。だから、チャム、喋らない」
「ああ。そうなんだ」
目の前の寡黙な女の子が負っているダメージの深刻さに小さく頷く。端から見れば幼い好意の表現とは言え、実際にからかわてる方はそりゃあ嫌な気分だよなって。
「でも僕は、本当に可愛いと思ってるよ」
ちょっとつたない日本語も、それでも一生懸命頑張っている君の姿も。とても。
にこやかにほほ笑みながら見つめてくるお兄ちゃんの純度百パーセントの言葉をくらった少女は、何とも言えない困った様な恥ずかしいような瞳になって。
「……セクハラね」
と呟きながら俯いて、足をもじもじさせるチャムをくすりと笑う。可愛い。かなり心を開いてくれた気がする。
よし、と大きく頷いて、僕は呼吸を整えた。ここからは、尊敬できる隊長のお時間だ。
「ところで、チャムは、飛ぶときにどんな感じで飛ぼうとしてる?」
チャムはぱちくり。それからへむぅと口を閉じて考えて。
「……っと、んって……」
両手を横に伸ばして『ぴゅーん』のポーズをしたチャムが、不安そうに僕を見上げた。
頷く。大丈夫、お兄ちゃんは怖くないんだよという思いを込めて。
それから僕は、言葉を選びながら。
「あのね、チャム。僕とチャムはC型だから、他の人達みたいには飛べないんだ」
するとチャムは『ぬぬ?』と難しい顔になり。
「……飛べない? ですか? 私?」
不安に絶望が混じり始めた顔の少女の横、首を振ってしゃがみ込みながら。
「違う違う。チャムも飛べる。でも、飛ぶのにはみんなと違うイメージが必要なんだ」
言って、僕が粘土質のグラウンドに指を走らせ始めると、我が隊員もちょこんと座り込んで手元を覗き込んでくる。
「今日、飛べる人達にたくさん話を聞いたんだ」
言いながら、僕はちょっと得意なお兄ちゃん気分で絵を書きはじめる。
飛んでる人の絵の後ろに『ε三』みたいなマーク、それから足下に『☆』等を。
「で、A型の人は大体チャムが言ったみたいにピューンって飛んだり、バンッて飛んだりしてるんだって」
言語化するなら、皮膚の少し外側にまで広がる自制圏内で魔力を推進力として使ったり、あるいは地面と空を蹴って進む感じ、と言う意見が大半だった。
「それでね、B型の人達は
雑に描かれた空飛ぶ人の頭の先、進行方向の一点の砂をグルグルと指で抉っていく。
「行きたい場所に、自分を近づける感じなんだって。ここを掴むとか、ここにグイーッて引っ張られるイメージだって言う人が多かったかな。藤崎マドカも、こんな感じで飛んでたよ」
藤崎の名前が出ると、特殊部隊候補達の反応は途端に良くなるのは知っていた。やはりチャムも例外ではない様で、『はわー』と言う目で微笑む僕を見上げている。
うん、さすがウエストアンチバイラスの現役エースだ。あいつと僕は友達なんだぞ、とちょっと自慢気な鼻息を吹いて。
「それでさ――」
といよいよ本題に入ろうとした有能講師の横で、くすくすと笑い出す女児の声。ん?と思ってそちらを見ると。
「たいちょ。絵、下手ね」
膝を抱えたおかっぱ少女が、僕が書いたフライングヒューマノイドを指差してくすくすと笑っていた。
「はは。うん、そうなんだよね」
照れた様に笑いながら、いや、俺本気じゃねーし。と心の中で微かに傷つく。本土の中学時代、僕の美術は十段階で2か8だったんだぞ、と。ちなみに絵が2で、デザイン系が8だったけど。
「ふひふ。変ね。変なの。おかしいね」
よっぽどその絵が気に入ったらしい女児が、肩を揺らしてくすくすくすくすとずっと笑い続けるのを聞きながら。
「ええっと、でね、チャム。いいかな? 僕達C型の人間に飛べる人が少ないのは、このイメージが全然違うからだと思うんだ。他の人の教えてくれる感じじゃ、僕達は飛べない。でもほら、僕は昨日飛んだだろ?」
途端、チャムは『はうっ』と言う顔でこちらを見つめ、僕をいたわる様にこくりと頷いた。
「あの……大丈夫? たいちょ。昨日、すごく、えっと……痛そうだった、です」
「あはは。大丈夫。この痣も戒めとして残しただけで、もうあんまり痛く無いんだ」
笑って頬の痣をさすった僕に、チャムは『むぅっ』と悲しい目。僕は、どういうわけかその目から逃げる様に視線を逸らして。
「でさ、チャム。僕は昨日、飛んでる人をイメージして、その人の手を握るイメージでやってみたら出来たんだ」
チャムは『ほあぁ』と目をきらめかせてこくこく頷く。手ごたえありだ。推進力でピューンとか空間に引っ張られるなんかより、僕達にはきっとこっちの方がピンとくる。
「あとね、僕の学校にC型で飛べる人がいるんだけど、その人は、自分の少しだけ前に飛んでる人をイメージして、それと自分を一緒にするって言ってた」
チャムは、はっと目を丸くして『ふわわ』と若干プルプルし始める。正直僕にはこっちはあまり理解できなかったけど、チャムにとっては相当の発見だったようだ。
「それ、私、出来る! チャム、飛べそう!」
喜びに満ちた彼女は、万歳する様に立ち上がり、『むーっ』と力一杯目をつむった。
二秒、三秒……一分位か、心の中で応援していた僕の前で、少しずつ背伸びをするかのようにおかっぱ頭が上がり始め、そのまま彼女の爪先がゆっくりと地面を離れ出した。
よし、と頷く。前にカナが言っていた通りだ。イメージさえつかんでしまえば、この島の魔法使いにとって飛ぶことは難しく無い。
顎の下まで上がってきた女児のぎゅっと閉じられた目を黙って眺めながら、アドバイスをくれた先輩後輩同輩達に胸の中で感謝する。そして、苦笑する。本土にいた頃の僕ならば、あんな風にいきなり訪ね回った所で不審者扱いだったろうと。あるいは、この島に来たばかりの頃の僕でもそうだったかもしれない。
素直に答えてくれた見ず知らずの人達の好意的な顔や、当たり前の様に敬語を使ってくる先輩の態度とか。急激な変化。思い出す程に、彼らの前にいた僕が僕じゃ無いような不思議な感覚にとらわれる。
早く、慣れないといけない。僕は、偉くなるのだから。そう言う風に、生きていくのだから。そういう存在になるのだから。僕は、早く、この『ボク』に。
「……チャム。目を開けてごらん」
にこりと微笑んだ僕の
「……っ!?」
最初はぱちくり、それから辺りを見回して、再び自分の顔の前にある高校生男子の顔を見て。
「飛んでるっ! 私、飛んでるよっ!」
チャムはこっちが驚く位の歓声を上げて、それからパチパチと拍手を贈る僕の方へとカタツムリくらいの速度で一生懸命ににじり寄って来て。ぎゅっと。ぎゅぅっと。可愛らしい女の子の力で。
「たいちょ。ありがと! とってもありがと! チャム、頑張る! 一杯頑張って、いっぱいいっぱいファージを殺すよ!」
天使のような笑顔で抱き着いて来た子供の声に、僕は一瞬返す言葉を見失い。
(そうだ)
「? たいちょ? うれしない? ? 泣いてる?」
(僕は)
不思議そうに首を傾げた純粋な瞳の中にゆっくりと微笑みを取り戻しながら。
「気のせいだよ。さあ、一緒に頑張ろう、チャム」
(君を)
腕の中の小さな小さな背中を優しく叩く。
(君の命を)
戦場へと送り出すように、そっと。
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