第50話 もう二度と
学校近くの停留所から、2号線の定期バスで二十分ほど。港の近くに造られた体育館の一室に、笘篠隊副隊長でもある
「小田島! 集中だ、集中! 雑念と常識を振り払え! 目を閉じ、五感を捨て、お前の頭の中に染みついた現実を遮断しろ!」
魔法に大切なのは思い込み。それが出来ると言う感覚。とはいえ、空を飛べる魔法使いが当たり前なフロンティアの子供達と違って、僕には割と難しい。
五感を捨てろと言ったくせに熱く叫ぶ彼女の声に邪魔されながらも、じっと目を閉じて、集中する。
「グッドイメージ! ユーキャンイメージ!! フライイメージ!!! 大丈夫、お前ならできる!」
普段は理論派な熱血教官があーだこーだと教えてくれた通りに呼吸を鎮め、それから鼻と口で同時に軽く息を吸い、ゆっくりと吐き出しながら眉間から頭頂部に向かって力の流れを描き、同時に首の後ろから脳味噌の真ん中へも道を通す。
「飛んでる自分! 浮いてる自分! さあ、お前は飛んでいる! どんな風に!? どんな感じで動いている!? お前の体勢は!? 景色は!? 風はどうなっている!?」
始めに防護服の感触が溶け、この服特有の温さが消え、やがて音と光が止んた空間で、僕は一人イメージする。思い描く。空を飛ぶ事。飛んでいる自分。集中する。自分は、今、飛んでいるのだと思い込む。
「強く思え! 飛ぶだけじゃ無い! 飛んで、お前はどうなりたい!? どうしたい!? それが出来る! 出来るんだよ小田島ぁああっ!」
遠くに聞こえる教官の魂の叫びが、胸の底から呼び起こす。思い出す。初めて空を飛んだあの夜の事。夜の中に浮かんだ藤崎マドカが、窓の向こうでいたずらっぽく笑った事。
島に鳴り響いたサイレンの中を、猛スピードで飛んで行ったとき。
月曜の朝、学校の上を照れくさそうにグルグル回った時の、あの感触。
ついさっきまでよく見て、喋って、観察していた彼女。
そうだ、僕はあの子を。空を飛んで、あの子の傍で。
自力で飛ぼうなんて考えるな。どんな時も、僕が飛ぶときには、いつだって。あの、白くて、小さな、柔らかい手が――
「ほらほら、目の前にはファージの群れだ! 今飛ばなくては君の大切な物が奪われる! 今飛ばなくていつ飛ぶ――っ!?」
瞬間、グワッと、その手が僕に向かって伸ばされた。つるし上げる様に、殴りかかるように、いくつもの手、手、手、手。手が。一斉に僕の身体に襲い掛かって。
――戦え。と
「小田島っ!?」
声を上げる間もなく背中がグシャリと壁に叩き付けられた。
戦え。戦え。戦え。あの蟲と。逃げるな。戦って、殺して、助けてくれ。さあ、ほら、早く。さあ、さあ、さあ!
重なる声に、無数の手に引き
一人で。見捨てた。お前が。お前だけが。死ぬべきだったのに。あの蟲共を。見逃した。我々の命を踏み台に。ならばせめて。戦って。その命を。さあ!
微かに聞こえる子供達の悲鳴が記憶と重なる。周りに溢れた虫虫虫。食いつかれる腕、肩、腹、足。痛みと恐怖。僕は、必死に歯を食いしばって。
ドンッと、身体が今までと違うモノにぶつかった。固くて、柔らかな――人の肉。
「っ!?」
「大丈夫か、小田島っ!?」
目の前に合った血だらけの死体がゆっくりと消えて、依白さんのきりっとした美貌に焦点が合っていく。
二度、三度、瞬きをして。
「……あ、はい。いてて……ありがとうございます」
彼女の腕に抱き止められたまま、僕は小さく頭を下げた。途端に全身を焼き始めた打撲の痛みに顔が引きつる。でも大した事じゃ無い。大丈夫。僕は、まだ生きているのだから。大丈夫。これからも、生きて行くのだから。この魔法使いの島で。優しく甘い藤崎マドカを、夢みたいな幸せの中へ。
僕なら、出来る。僕は、やる。
だから、せめて、もう二度と。痛みや恐怖に、無様な悲鳴を上げたりはしない。そう決めたから。
「あはは。すみません、初めてだったもので」
照れ笑いを浮かべつつふらふらと立ち上がった僕を、依白さんは中々の形相でしばらく見つめ、やがて安心と呆れが混ざった息を『はあっ』と大きく吐き出した。
「まったく。コントロールがなってないぞ、小田島! それからみんなも、あんまり無茶しすぎると今の小田島隊長みたいになるから、集中力の鍛錬を怠らない様になっ!」
『は、はいっ!』という、訓練された子供達の声が室内訓練場に響くと教官はふふっと優しい顔になり、
「でもまあ、今みたいなのはめったにない。心配するな。小田島隊長は本土出身だからな。お前達みたいな地道な訓練をすっとばしたからああなるんだ」
将来有望な小学低学年の子供達の中に芽生えかけた
「よし、とりあえず今日の訓練はここまでにしよう。私はこのポンコツ隊長を医務局に運んでやらなければならないからなっ!」
冗談めかして笑った彼女に、子供達にも笑顔が戻る。中には『え~、マジかよたいちょー。つまんね~の』などと不満気に言い出す奴もいて。
「ほらほら帰った帰った! 一番出るのが遅かった奴は、明日マラソンだからな!」
パンパンと手を叩き子供達を追い出す教官の背の向こう、最後まで心配そうに僕を振り返ってくれた少女の褐色の顔が扉の向こうに消えるのを見届けると、僕はその場に倒れる様に座り込んだ。
「ほら、掴まれ」
声と同時、依白さんが僕を背負い出す。
「すみません」
苦笑と共にされるがままお姉様の背中を拝借する僕に、彼女は小さく首を振って。
「ったく。資料で読んだぞ、お前、
「そうです。すみません」
申し訳ない声で言っておくと、立ち上がった教官によいしょと一回背負い直された。揺さぶられた身体の痛みを喉で堪える。
「覚えて置け、今のがその後遺症だ。普通なら、筋肉と同じで身体が壊れない様に脳がある程度のブレーキを掛ける。だけどさっきのお前は、防護服が無けりゃ打撲じゃ済まない吹っ飛び方だった。いくら初体験でコントロールが効かなかったとはいえ、普通の奴はあそこまではならない。それがまるで野獣だ。いいか小田島、お前のブレーキは薬でイカレてる。これはもう、一生治らん」
「一生、ですか」
困り笑いの僕を振り向くことなく、彼女はふわりと飛び上がり。
「そうだ。本来そうなったポンコツは軍から外されるべきなんだ。いつ爆発するかわからん爆弾とチームは組めないからな」
はっきりと告げる彼女の背中で苦笑い。
「まあ、ウチにはすでに凄い爆弾がいますから」
「そう言う意味では無い」
不発に終ったジョークに苦笑を深めるけが人を乗せ、高度を上げた熱い女・依白栄子は。
「スピードを出すぞ。しっかりつかまれ、小田島」
と呟いて。「はあ」と、腕の痛みのせいで曖昧な返事を代えすしかなかった僕をニヤリと笑って振り返り。
「遠慮するな。緊急事態だ。多少乳に触れた位では怒らんから、楽な体勢で捕まるがいい」
「……あ、はい」
でも、腕が痛くてと言いかけた僕にふふんと得意気に微笑むと。
「……おい、お前今、依白副隊長殿にはうっかり触れる様な乳が無いと思っただろう?」
「え? いえ」
本当に、全く。微塵も。
「はははっ! いかにもその通りだ! だが私や藤崎少尉の様に、揺れない、目だたないというのは戦闘に置いては高速移動と回避において利点になる! お前も戦場に立つ以上自分の欠点を気にしすぎず、むしろ長所と捉えるんだっ! ポジティブに行こうじゃないか、なあ小田島ぁっ!!」
と爽やか且つ素敵な笑みで他人のコンプレックスを勝手に叫びながら、雨の気配が漂い始めた南国の空をビューンと猛スピードで飛んでいった。
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