第51話 赤毛のアニー

「わーお、また派手にやったものね」

 

 医務局の個室に入ってくるや否や大げさに目を丸くしたアンナ・モアランド副局長が、ベッドに腰掛けていた僕の頬に指を伸ばした。

 

「はは。ちょっとね、飛行訓練で飛ばし過ぎてさ」

 

 上半身を丸出しにしたまま照れ笑いで言ってみると、彼女はニヤリと得意の笑みをそばかすに浮かべて。

 

「あちゃー、C型で空を飛ぶなんて、あなたもしかして私を忙殺する気? 早速飛行データを取らせてもらわなくちゃ」

 

 興味津々にきらめく瞳にジョークめかした眼鏡を掛けて言う赤毛のアニー。その指先が向けられた僕の頬はほんのりと暖かくなって、痛みが和らいだ感じがする。

 

「アニーが治癒系ヒーラーで良かったよ」

「冗談。こんなの魔法の内に入らないわ。本職に頼めば痣も綺麗に消えるわよ?」

 

 はは。と笑顔で答えた僕の前、ぽっちゃり女子は眼鏡をきらめかせてまたニヤリ。

 

「わかってるわよ。色々言われるのが面倒なんでしょ。だってあなたって、正規の医者なら間違いなく抗魔力成分を含んだお薬を処方するレベルだからね。死にたくなければ、前線になんか出ずに一日一回死ぬまでずっと飲み続けろって」

 

 掌を僕の腕に向けつつ、アニーはニヤニヤが止まらない。

 

「それが逆の薬を渡してるんだもの。哀れ私の患者は廃人街道まっしぐら。つくづく自分が科学者なんだと実感するわ」

 

 笑う僕の腕に触れ、うっとりとした笑みを浮かべた彼女はむふーっと鼻から息を吐き出して。

 

「……それにしても、あなた。意外と良い筋肉してたのね」

 

 と、なんだか不穏な事を口にした。腹筋から大胸筋をねっとりと眺める視線にさすがにたじろぐ。

 

「まあ、鍛えてるから――」

「アジア系の筋肉って、興奮するわぁ」

 

 不穏な気配を感じた僕に、彼女はすちゃりと眼鏡を上げて。

 

「……ワーオ……ジャパニーズドージンシ……」

 

 ぼそりと呟き、超高速でポケットから取り出したビスケットをもぐもぐと。

 僕はしばらく彼女の脳内に咲いた花がおさまるのを待ってから。

 

「……で、実際の所僕にそのディスペル的な奴は必要なのかな?」

 

 君にも必要なんじゃないかと思いつつ聞いてみると、彼女は慌てたように『んぐっ』とペットボトルのミルクティーを呑み込んで。

 

「こないだシュガーを渡した時に言った通りよ。あなたの魔力中枢はイカレてるわ。自分の魔力の適量ってのがわからないのね。上げる分には加速剤を使わなくてもテンションや気分でどんどん上がっていくんだけど、その時に、身体や精神の悲鳴を無視しちゃうのよ」

 

 アニーはウィンク。星が飛んできそうなくらい完璧なウインクだ。

 

「で、一度溜まった魔力が自然に排出されるスピードがとぉっても遅い。あなたって、例えリラックス状態にあってもパンパンの風船みたいなもんなのよ。こうなっちゃうと日常レベルの感情の動きやストレスでプチンといっちゃう危険性が常にある。だからかなり低いラインで魔力を安定させるのがベストなの。そのために、お医者様なら間違いなく減退剤をお勧めするわ」

 

 頷く。その話は聞いている。で、僕の答えは今でも同じだ。

 

「言った通り、僕の希望は『戦闘レベルで魔法を使える位の状態』でキープすること。多少のやり取りがあっても暴走しない位で。だから飛行訓練のたびにこうなるんじゃ、困るんだけど」

 

 アニーは大げさに肩をすくめて。

 

「はいはい。お客様は随分と偉そうなのね。だったらさっさとデータを取らせてくれるかしら? 東側でも、C型の飛行データは少ないのよ」

 

 頷く。

 

「それは、人数が少ないから?」

 

「それもあるわ。でも、基本C型の人間は治癒かサポートとして育てるのが東側の常識ね。特にあなたみたいな精神感応系統テレパスは成長につれて人間性に問題が出て来る奴と、精神をやっちゃう事例があまりにも多いから、前線チームには置いておけないわ」

 

 大いに頷く。成程確かにと、自分の胸に手を当てて。

 

「そう。じゃあ僕はデータの機械に入るから、適量の薬を頼むよアニー」

「そこはハニーよ、ダーリン。ううん、オダーリン」

 

 独特な日本語を駆使した駄洒落を言いながら、太目の脇腹に手を当ててウインクしてくる交換研究局員。僕は笑って、研究局のデータボックスに向かって歩き出した。身体の痛みが大分マシになったと気が付いたので、『サンキュー・アニー』と、あまり得意じゃ無いウインクを返しながら。

 

 

 翌日、朝。

 まずは寝起きの藤崎に顔のあざを驚かれた。『飛行訓練で子供とぶつかっちゃって』と笑った僕に、『バッカじゃないの?』とか『大丈夫なの?』とか『別にあんたじゃなくて、その子のために言ってるんだけど』とか、あーだこーだと罵倒と心配と飛行講座を受けながらバスに乗る。

 

 で、次に上級住宅区域でいつもの様に僕と藤崎の間に無言で割って入ってきた『マドカさん親衛隊隊長』こと有沢カナちゃんに、じろりと一瞬睨まれて後は完全に無視された。元帥とお話した辺りから、すっかり彼女に嫌われてしまったみたいだ。

 

 そして、最後に教室を開けると。

 

「あ、おはよ―! 藤崎さんと、小田島……くん? ええっ!? ちょっとそれ、どうしたの?」

 

 と、クラスで一番フレンドリーで快活な元気っ子、ミヤビ・中岡さんが片手を上げて挨拶してくれるや否や、目を真ん丸にして。それからはっと気が付いてその視線を斜め下へと滑らせながら。

 

「……え? まさか……浮気……?」

「ばっ! バカバカ! そんなの私がこの程度で済ますわけないでしょ!」

 

 などと藤崎少尉をからかって『えへへ』と笑う中岡さん。僕もまた、その光景に微笑みながら。

 

「あのさ、中岡さん。ちょっと聞きたいことがあるんだけど」

 

 と、恐れ多くもクラスの可愛い子グループに話しかけて。

 

「ふぇ? なになに?」

 

 と目を輝かせたその子に向けて。

 

「この学校で、飛べる人を教えて欲しいんだ。出来れば、全員」

 

 と渾身のお願い顔で言ってみた。『心配』や『可哀想』につけ込めて、顔面の痣も悪くないなと思いながら。

 

 

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