第37話 終焉

「はっ! いいぞ、いいぞ!」


 ロビ霧島は何度も何度も机を叩いた。前衛が獣の力で圧倒され、後衛が蟲の量に押されるという極めて悪い戦況を映し出していた映像は、先刻、有沢カナが海にのまれたシーンを最後に途切れたままだ。


 十中八九、セイの仕業だろう。藤崎マドカの敗北など知られてはいけないということなのか。何にしても、おそらくそれが、小田島セイの最後の理性。


 今宮ユウトが研究し、爆発事故の原因となった『魔力の完全同調実験』――表向きには、投薬と外部刺激によって似通った魔力波形とそれに相応しい固有現象を持つC型を量産し、その力をコアとなる魔法使いに集約させる事で莫大な力を得るという名目の下で行われたあの実験。

 結果、核となる《五番》の暴走を引き起こし失敗に終わったとされている研究だったが、小田島リュウとして人間の庇護下にあったあの天才が残したパソコンの中に、ひとつの可能性が残されていた。

 それは『完全に逆の波形を描く魔力は打ち消しあう』という基礎理論を基にした仮説。曰く、魔海の中心にあると推察される《穴》に真逆の波を持つ大きな魔力をぶつければ、あの忌まわしき穴が消えるのではないかという事だ。


 そして、ただ一人彼が研究所から連れ出した子供が――度重なる薬物の投与によって他者とのコミュニケーションを奪われ、代わりに巨大な魔力を産み出す装置となったあのシズカが、正にその逆波形の持ち主だというのだ。霧島は、身の毛がよだつ様な興奮とともにその意味を理解した。


 これこそが、今宮ユウトという天才が魔法使いも人間も、全ての人類の裏をかいて創ろうとしていた《希望》に違いない。


 ジリ貧の未来に手をこまねくのではなく、根本的な解決を図る。

 それが今宮理論の究極形。


 魔海を消す。


 それならば、合点がいく。多くの一般的人間と敵対するリスクを背負ってまで、東側の魔法使い達が《民間機を落とす》という悪魔的な行為に手を染めたわけが。


 研究所から今宮ユウトが盗み出した少年が、単なる『力を失いつつあるかつての独裁者の後継者候補』の一人では無く『魔海を消せる兵器』かもしれないとなれば、その兵器と製作者を消そうと動くのは西側の独裁体制に危機感を持っている者達だけでは無い。

 魔海の消失が魔法使いの存在意義を危うくすると考える連中にとっても、さぞや小田島セイは邪魔だっただろう。


 魔の海域を捉えた計測装置が描く幾何学模様を見つめながら、霧島は唾を飲み込む。


「いけ……消えろ、消えろ、消えてくれ……」


 そうすれば、世界中が救われる。失敗すれば、二度とチャンスはないかもしれない。


 魔力の自律系統がイカレているシズカは、増強剤が促すままに恐ろしい勢いで魔力を膨れ上がらせる。自分が壊れる以上の力を、生成し続ける。

 急げ、急ぐんだ、シズカ。

 お前なら、絶対に大丈夫だ。お前なら、世界を救える。終わらせられる。この下らない闘いを。忌まわしき化物と呪われた魔法使いを。頼む。

 終わらせてくれ。

 あの日からずっと続いている、この悪夢を。

 次の瞬間

「……っ!」

 ロビ霧島は、激しく画面に掴みかかった。

 測定器が示す線対称の形が、少しずつ、確実にずれ始めていた。


 まてまてまて

 そんな

 そんな馬鹿な

 これは何だ?

 まさか、そんな。


 理解できない現実によって生じた焦りと混乱が、思考力を鈍らせる。冷たい汗が体中をはいずって行きはするのだが、煮えたぎり、沸き立つような頭を冷やしはしない。

 砂嵐のようなモニターには何も映らない。

 だから、状況が把握できない。

 ぼろぼろと崩れていく希望の中で、ロビ霧島は急速に冷めていく。

 そして、ああ成程と理解した。

 いつのまにか浮かれる様に夢見ていた希望の裏にあったもの。分かっていたはずなのに、何故か思い至ることが出来なかった、実に馬鹿げた可能性。

 これが『現実』かと薄く笑い、煙草を取出す。

 懸命に考え、裏をかき、策を弄して闘って、結果を導いたつもりが、すべては老いた蜘蛛の巣の上の出来事。とっくに絡め取られていたということなのだろう。

 肺一杯に染み込ませた煙を吐き出した時、静かに部屋の扉が開けられた。

 そこにいたのは、幾人かの男女。見知った顔もちらほらと見える。

 先頭にいた白衣の女の腕が上がる。名前すら覚えていない局員の一人だ。彼女の瞳や真っ直ぐに向けられた銃口の中にさえ、自分を覗いている誰かの顔が見える気がした。


「元帥がお呼びです、局長。ご同行を願えますか?」


 部屋に響いた無機質な声に、『そいつはじゃあないぜ』と笑ってみせた。


「で、用件はなんだ?」


 彼女は無表情なまま微笑んで。


「元帥は、自身の後継となる肉体への精神移行に関するデータをお求めです」

「ああ、そうかい」


 ロビ霧島は、咥えた煙草に火をつけた。

 メタリックなライターに映った自分の顔を見て、髭が伸びたな、と少し笑った。

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