第36話 勝利
にらみ合ったままで動かない状況にマドカは焦りを感じていた。血が流れすぎているのだ。溜めたはずの魔力が乱れ散るのがわかる。一刻も早く、カナを治療しなければ成らないのに。
――と、かくん、と空中で停止していた体のバランスが崩れた。
支えが、無くなったのだ。
カナが、落ちた。
振り向く理由もその余裕も髪の毛の先ほどもないはずなのに、それでもマドカの視線は軽くなった半身を確認してしまった。
敵から目を切ったその瞬間、本能的に危険を感じて捻った右肩から後方に吹き飛ぶ。
「いがっ……」
刺された、というよりは角ごと押し込むような体当たりを受けている。藤崎マドカはとっさに目の前の獣の首を蹴り体を捻って離脱する。
速い、速すぎる。弾丸のごとく空を駆け抜けていった獣が、再び離れた距離から
だけど、カナが死んでしまったら、自分が頑張ってきたことが泡になる。
ぞくり、と頭の中に恐怖が生まれた。こうやって簡単に人は死ぬ。それが嫌だったから自分の命を懸けてきた。なのにまた……きっとまたいくつもいくつも死んでいく。この監獄のような島の上で。耐えられるだろうか。明日また、戦えるのだろうか? カナがいなくなっても?
小さく舌打ちをして、自分の弱さを振り払う。
大丈夫。だって自分は最強だから。
絶対に、負けることは許されないから。
だから。
息を吐き、身体を丸めたマドカに、ピクリと獣が反応する。
来い、もっと、もっと近くに!
殺してやる。
広げた魔力の網に、ファージが触れた、その瞬間。
「邪魔……だあぁぁあっ!!」
ひたすら、ただひたすら、全身から魔力を放つ。自分を中心に周囲を全部吹き飛ばすため、爆風から自分をガードする力も最小限に、残りの魔力を使い切る勢いで爆発させる。
それでも、きらめく星の様に彼女を取り囲む爆炎はあまりにも小さくて。
「!? っぐぁ……!」
薄紫の煙を切り裂いて来たファージの体当たりを受け、すでに空中でバランスを保てなくなっていたマドカは吹き飛ばされた勢いのままに回転し、海から突き出た岩に頭をぶつける。額から目の中に血が流れこんだ。ずるりと背中を岩に預け呼吸が荒くなるのを感じながら、上空から襲いかかってくる獣の姿を目でとらえる。右の前足がちぎれていて、それでバランスが取れないのだろう、スピードがかなり落ちている。
でも、身体は、動かない。
頭の奥からこみ上げるように、感情と映像が湧き上がった。
これで、終わりなのかな。
また学校に行きたかったな。
楽しかった思い出が、思い描いた空想が、いくつも同時に花開く。
……あれ? ちょっと待って、何よこれ? おかしいじゃない?
あたしがこういう時に思い出すのは、絶対に――
「藤崎! どうした? 大丈夫か? 藤崎! くそっ、映像はどうした? 復旧しないのか!」
右耳にぶら下げたカンテラから、今宮隊長の声が聞こえた。
目の前には、妙にゆっくりと迫る獣の角がはっきり見える。なのに、体は一ミリも反応しない。
自分は、まだ生きているのに。ふがいない自分に腹が立つ。
唇を、強く強く噛んだつもりで。
――動け。
マドカは全身に命令した。
生きているなら動け、どこでもいいから動け、動きなさいよ!
何が来ても、どんな手を使っても、ファージなんて、この藤崎マドカが殺してやる。
特別な力なんか無くたって、噛みついてでも殺してやる!
絶対に、私の後ろにやるもんですか!
その瞬間、相手の動きを見極めようと見開いたマドカの目に、信じられない光景が飛び込んできた。
次から次へと飛んでくる光弾の嵐。
やめて、と思った。誰が、とも思った。
光を弾いた被膜の中で、ぐるりと魔獣の顔がそちらを向く。無差別な怒りが、瞳と牙から漏れる。
前時代的な武器と戦い方。そんなんじゃ、あのクラスのファージには傷すらつけられないのは分かっているはず――。
――え?
と思った。別の意味で、目が見開く。なぜならそれは、地上戦を担う上田小隊の攻撃であり、ここは、遥か最前線だから。
魔獣が吠える。突進する。攻撃部隊の間から盾を構えた守備隊が飛び出る。受け止め切る。一度引いた敵に張りつくように前に出た一人の男が、ゼロ距離から剛腕を振り切った。上田隊長だ。あの人は、強い。でも、飛べないはず。
獣が、痛みに身をよじる。
男達の群れがそれを追う。綺麗だった。美しかった。統率された部隊が、入れ代わり立ち代わりしながら助け合い、強大な化物の命を削っていく様は。
まるでそれ自体が一匹の形を持たない獣の様に判断は速く、動きも乱れず柔軟に襲い掛かる。
右に逃げるなら、右に。上に逃げるなら、上に。敵よりも強く速いその獣は、反応速度をどんどんと上げていき、やがて。
左に逃げる前に、左に。下に逃げる前に、下に。奥に引こうとするならば、それ以上前に――まるで相手の心が見えているかのように、敵よりもずっと速く。
なぶり殺しだった。少し可哀想になる位残酷なショーだった。許されるなら、目を逸らしたくなるくらいの。
身体中から血を流した手負いの獣が吠える。凶悪な魔力を撒き散らして吠え千切る。
合わせる様に、もう一匹の獣も吠えた。まるで、断末魔の様な荒い声で。
それで、マドカは気が付いた。群れから成る獣の頭がどこにあるのかを。歪んだ視界の端。闘う男達の後ろ側。本来上田隊長がいるべき位置に、黒の防護服を纏った見慣れた少年の姿がある事に。
激しく払った腕にあわせて男達は一斉に散開し、同時に回り込んでいた人間が攻撃を開始する。まるで、あいつに操られている様に。上田隊長までもが、恐れを知らぬ前衛の戦士として血を流し、若々しく躍動する。
ふっと、音が遠くなる。視界が霞む。眠くなる。
突然空間をつんざいた獣の咆哮で、顎が上がる。
数人の男が暴れる獣の身体に纏わりつき、皆で首の根を抑えこみ、少しずつ落下していく獣の傍へと飛翔してきた少年が、強引に伸ばされた獣の喉笛に――噛みついた。
恐怖と嫌悪感が混じった短い悲鳴が、マドカの喉を通った。
噴き出す血飛沫を身体中に浴びながら、肉片を吐き捨てる少年の顔。
……やっぱり、セイだ。どうして? 嘘でしょ? 何が起こってるの?
とても、とても嫌な感じがする。
暴れるファージに巻き付いた上田隊長が、噛み千切った傷口に両手を差し込む。ギュグという唸りを漏らした獣は、次の瞬間、引き裂かれた長い首から鮮やかな赤い血をまき散らして落ちていく。
恐怖に、体が動かない。あまりにグロテスクな光景に、そしてそれを簡単にやってのけた爆発寸前の星の様な魔力を秘めた、得体の知れない化け物に。
闇色に染まった魔海の空域を背負いながら、全身を獣の血で濡らした彼がゆっくりと振り向く。
「藤崎……」
誰に呼びかけるわけでもない、焦点の合わない声でマドカの名を呟いて。
私は今、どんな顔をしているのだろう。
ドクン、と一つ空気が揺れた。
魔海が鼓動を乱すと同時にセイは、セイじゃなくなった。
「っああああああ!」
彼によく似た何かの、断末魔。
彼の周りに居た人が、ぼとぼとと海の中へと落ちていく。
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