第32話 シズカ

 翌朝。変な体勢で寝たせいか鈍く痛む身体の節々と頭を抱え、僕は食堂に向かっていた。

 朝はきちんとシャワーを浴びないと力が出ないというカナを連れて藤崎も朝早く女子寮へと帰ってしまったので、今は一人。僕の部屋で浴びていけばいいとも思ったのだが、それを口に出す男らしさは持ち合わせていなかった。


 普段よりもずっと人の多い通路を抜け食堂の扉を開けると、ここにもたくさんの人が集まっていた。やはり魔海が活性期に入った影響だろうか、ホールにいる誰も彼もが不安や苛立ちを顔の下に隠している。それでも相変わらず明るくふるまうおばさんにモーニングセットを注文すると、飲み物はいつも通り紅茶でいいかと聞かれたので、僕は逡巡した後コーヒーを頼んだ。


 隅っこの空いている席に座り、食パンをかじりながら味の薄い卵に塩を振りつつ口に運んでいると、感情の渦を裂く様にして現れた髭もじゃの中年無機物がドカリと正面に腰を下ろした。


「よう、セイ。早いじゃねえか」

「今日は飲んでないんですね、霧島さん」

「はっ、馬鹿を言うな。そんなことしたら上田の長老に蹴り飛ばされちまうじゃねえか。俺は痛いのと汗をかくのはごめんだぜ」


 科学者だからな。とニヤついた彼は、黒い液体が湯気を立てるビーカーをテーブルに置く。


「……コーヒー、ですよね?」

「ん? ああ、当り前だろ? 知らねえのか? コーヒーってのはこうやって飲むのが一番なんだぜ? ほら見ろ、あっついのをぶっかけられてビーカーちゃんも喜んでらあ」


 下品な笑みを浮かべた彼は、胸元からタバコを取り出すとカチッと音を立をたててライターで火をつけた。


「……くそみたいなこと言わないで下さいよ」


 突然立ち込めたタバコの臭いに、おしゃべりに華を咲かせていた女性達は眉をひそめ、上田隊らしき男の人も一瞬僕らを振り返ったが、彼の喫煙を咎めようとする勇者はいなかった。


「ぶはっ、言うじゃねえか! いいね、随分と攻撃的だ。ははっ、セイ、お前の方こそ飲んでんじゃねえか? 例のお薬をよ」


「飲んでませんよ」


 僕は冷たくつぶやいてサラダを口に押し込む。かけすぎのドレッシングが酸っぱかった。


「おお、怖い怖い。そう殺気立つなって、どうしたよ? 男のくせに、まさかお前まで減退期だってんじゃあるまいな」


 はあっと溜息を吐きだしながら、僕はぐるりと食堂の中を見渡して見せる。


「最近どいつもこいつもその話題でもちきりみたいですけど、それって、結構プライベートなことじゃないんですかね?」


「ははっ、何だ、セイはフェミニストだな。軍人である以上減退期ってのは重要な情報だぜ?わかるだろ? ましてやそれが藤崎マドカで魔海の活性期にかぶってるっていったら、こりゃあもうトップニュースだ。もしあいつが負けちまったら、自分の命にかかわるんだからな」


 僕は小さく舌打ちをする。


「ここの連中は、藤崎のことを何だと思ってるんですかね」

「さあな。魔法使いが何を考えてるかなんて、俺にゃあちいともわからねえよ。……でもまあ、島全体の見解としちゃあ、マドカちゃんは金の生る木だろうよ」

「……下衆な言い方ですね」


 僕はコーヒーに砂糖を入れる。小さなスプーンで一杯だけ。


「そう怒るなよ、俺は上層部のスタンスを客観的に表現しただけだ。何せあいつの空中戦の強さは群を抜いてる。現状報告だって言いながらあいつの戦闘シーンを披露するだけで、本土の連中は黙ってこっちの要求を飲み込むさ。んで、波風立てることなく交渉がまとまるんだから、これ程便利な脅迫カードはないってもんよ」


「……ファージを見逃すよりもですか?」


 言いながらまた一杯、砂糖を足す。


「ん? なんだ、もしかしてお前飛行機落ちたのを根に持ってるのか? 嫌だねえ、そいつはお門違いってやつだぜ? もしくは逆恨み、本土の言い方すりゃあ逆切れってやつか。知ってるだろ? 西側こっちは今戦争になりゃ終りなんだ、わざわざ人間様の感情を逆なでするような真似はしねえよ」


 局長のお喋りを聞きながら、僕は砂糖を追加していく。


「……あれは、東側のビジネスだったっていうんですか?」


 確かに群れに襲われたのは魔海の東、南米へ向かう飛行機だった。


「あのよぉ、セイ。お前、何か勘違いしてねえか?」


 ロビ霧島はタバコを咥えた口の端を歪ませる。


「何を知った気になってんのか知らねえけどよ、きちんとてめえの頭で考えろ。世の中ってもんが『正義』と『悪』の二択じゃねえのと同じように、俺達ゃ『人間』と『魔法使い』の二択なんかじゃねえ。人間の中にも魔法使いの味方がいれば、逆もいる。そんでまた、魔法使いも『東』と『西』の二種類なんかにゃ分けられねえってことさ」


 何を言いたいんだと睨んだ僕を、彼は『はは』、とおかしそうに笑い。


「つまりよ、あの飛行機にゃ『一部の連中』にとってこの世にあっちゃいけねえ兵器が乗ってたんだ。だからそいつらはこっそりそれをこの世から消そうとした。さも見逃されたかのようなファージの群れを使ってな――」


 彼の言葉に垣間見えた微かな悪意に、コーヒーカップをかき混ぜる手が一瞬止まる。


「それってのが、今宮ユウトと、その天才が作りあげた人型の魔導兵器――『シズカ』だよ」


 僕は思わず顔を上げた。


「……今宮、ユウト?」


 今宮理論の提唱者であり、爆発事故で死んだという、西側が生んだ天才科学者。


「あん? 何だ、お前気付いて無かったのか? それともずっと知りませんでしたで済ますつもりか?」


「……どういう意味で――」


「そのままの意味だよ。セイ。今宮ユウトっていう人間は間違いなく天才だった。そもそも魔法ってのは結果じゃあなく方法がイカレてるもんなんだが、あの人の場合はそれだけじゃねえ、目標からしてイカレてた。それが例の今宮理論が徹底的に嫌われちまってからっていうもの、本当に頭が切れちまったんだな。これから先の世界を守るにはより高度な戦力が必要になるって、人体実験にご執心でね。遺伝子操作、薬物による魔力の制御と強制的覚醒、お前さんや笘篠を含んだ子供達が実験台だ」


 科学者は奇跡なんてものは信じない、そう言って――その僕の父の口癖を口にして、ロビ霧島は片目を閉じて笑ってみせた。


「結局その実験に失敗しちまって、今宮ユウトとその子供達は全員死んだってことになってるけどよ、実際は違う。上手い事生き残った彼は、その後お前さんと共にどっかの組織の庇護下に置かれ、そっちの研究に協力しながら本土でのうのうと生き延びてたってわけさ」


 言葉の終わりに、タバコを挟んだ指が僕の顔に向けられる。


「向こうでの名前は、小田島流りゅう。孤高の天才、今宮ユウトの成れの果てさ」


 薄く笑った局長は、空になった皿の上に灰を落とす。


「で、だ。問題はその今宮ユウトが連れていたお前さんだよ。あの今宮所長が必死になって手元に置き、長年に渡る投薬の形跡が見られるお前さんだ」


 心臓の音が、耳に届く。


「結論から言う。小田島セイ。お前をこの世から消すために、あの飛行機は落とされた」

「――僕のせいだと、言いたいんですか?」


 心臓の音にかぶさるように、辺りが急に騒がしくなる。


「くはは。なんだよ、セイ。そう怒るなって。俺は科学者だぜ? 感情論じゃなく、理論よ理論。りろ~んってな」


 ぶははと煙を吐いて笑った彼は、大げさな仕草で胸元から取り出した一枚のカードをそっと机に伏せてみせた。


「……」


 見覚えのあるカードだった。この島に来てから相当の時間を費やしてきた『個人プログラム』の中で『集中力』を上げるために使ったカード。


「セイ、お前、この裏に何が書いてあるか分かるか?」


 ちらり、と彼の顔を見る。分かるわけがない。カードは伏せられていて、見えないんだから。

 まあ、でも『何が書いてあるか』と聞かれれば。


「……何かの模様。恐らく、幾何学的な模様が書いてあります」

「はは、正解だ。やるじゃねえか、だけどそいつはペテン師のやり口だ」


 ウケた。ジョークも皮肉も言ったつもりはないけれど。


「じゃ、これでどうだ?」


 言葉と同時、彼はカードを取り上げて自分の目の前にかざして見せる。相変わらず、僕から裏側は見えないまま。


「……それが、何か今の話に関係が?」

「集中しろや、セイ。お前になら、出来るはずだ」


 有無を言わさぬ彼の目に従ってグッと目を細めて見ても、透視が出来るわけがない。


「はは。んじゃ、これでどうだ?」


 彼が亀裂の様に笑った瞬間、僕は一瞬瞬きをした。


「…………○、ですか?」


 髭面の研究局局長は、くるりとカードを裏返す。


「正解だ。で、お前は今、どうやってこのカードの裏を見た? 見ようとした? パターン予測の時は、どうしてたんだ?」


 頭の中を覗くような彼の目に、僕は眉間にしわを寄せる。


「ただの勘です。『プログラム』の時も、そうやっていました」


 そう、ただの勘だ。過酷なトレーニングを終えて疲労困憊の最中に、頭の中になんとなく浮かんだモノを自動的に口にするだけの。だから、カードの裏が見えたわけじゃなく。


「んじゃ、これは」


 言って、彼は僕の目の前に再びカードを向ける。


「……だから、○」


 変わるわけがない。手品師でも無い限り、目の前のカードが。


「んじゃ、これは」


 彼は一瞬カードを裏返し、またくるりと僕に向ける。


「……」


 ○だ。言うまでも無く。


「ほい、ほい、ほい」

「○、○、○、です」


 いたって真剣に、それでいてどこかからかうように僕の目を見つめたたまま。一定のリズムで彼は続けた。ただ、僕が延々機械の様に『パターン予測』をしていたデジタル画面と違って、手動でめくられる一枚きりのカードの模様は変化をしない。パターンは一定。ずっと一緒の○が。


「○、○……だから――」

「ほい、ほい……ほい」


 僕が声に苛立ちを混ぜ始めた頃合いで、突然。彼がカードを裏返すのを止めて、机に伏せたままにする。


「…………」


 沈黙の中、顔を上げた僕に、霧島局長はニヤリと顔を歪めてみせた。


「…………☆、です」


 はっきりと幻視した模様を答えた僕の目の前で、ロビ霧島がくるりとカードを返す。書かれていたのは、当然の様に○の模様。


「ふはは。不正解だ、セイ。んでもって、正解。つまりお前は、透視をするわけでもなけりゃ、他人の視覚を共有するタイプでもない」


 煙草をねじ消した彼は、また新しいものを咥えるまでの間をあけて。


「これはよ、セイ。C型の人間がやる判別テスト兼基礎トレーニングなんだ。C型ってのは、広く言って『他制圏に影響を及ぼすタイプの固有現象保持者』だと思ってくれりゃあいい。んで、ついでに言やあ、現存するC型のほとんどは対捕食者向きの能力を持っていない」


 低く渋い彼の声が途切れると、僕の耳には鼓動が聞こえた。


「むしろC型の能力は、対人間、対魔法使い相手に最大の効力を発揮する。わかるよな?」


 頷く。分かる。納得する。理解する。どこかの感覚が覚えている。僕はきっと、虫の集団相手の殲滅戦よりも、人間を相手にする方が……。


 俯き、コーヒーカップにまた砂糖を足す。


「んでもって、ウエストアンチバイラスの――んにゃ、魔法使いの王とも言える人間が『持っていると言われる種類の特別な能力』。それと同じモノが、お前にもある」


 軍の王様。で、『僕と同じ』。


「……元帥、ですか?」


 彼は笑って頷いた。


「『攻撃的デイストラクティブC』。奴はただの受信装置じゃあなく、直接『他者』の精神に働きかけて、肉体的にも影響を与えることが可能なのさ。例えば意のままに他人の心を覗き見て、それを書き換えちまうって具合にな」


 僕は沈黙。ぼんやりとした頭で彼の次の言葉を聞く。頭の中にあるのは、彼女の事。声を掛けられる程近くにいて、誰の手も届かない場所にいる、極めて戦闘向きな彼女の事。

 目の前のコーヒーを埋め尽くそうとする茶色の砂糖の様に。ドロドロで。本当はとても綺麗な、彼女の事。


「言った通り、この世は人間と魔法使いの二択じゃねえが、C型の魔法使いはまずこのテストで二種類に分けられる。『元帥と同じ』か『それ以外』か。んで、数少ない『攻撃的』に分類された奴らは、成長につれさらにふるいにかけられてきた」


 彼は何でも無い事の様に笑って。


「大概がこの辺りで失敗した。『完全に誰かと同じ』ってのはなかなか難しいもんなんだ」


 失敗。その言葉が、耳に響いて。頭の中で繋がった。


「それで、『今宮研究所の人体実験』ですか」


 相変わらずの笑顔で彼は答える。教えてくれる。彼が僕に教えたいことだけを選ぶように。そうやって、彼にとって有益な《僕》を生み出すかのように。


「ああ。有望な子供の方向性を操作しようって計画さ。当時、元帥はすでに老い先短い年寄りだった。だから、何としても後継者を欲しがっていた。内も外もギリギリなバランスの中でこの島を守り続けてきた王様は、その『システム』を継げる奴をお望みだったんだあな」


 じっと目を閉じる。嫌な感じがする。彼が語る《僕》について考えるのが絶望的なくらい、僕にはこの島の知識が無い。だから、少しでも耳を貸せば騙されそうで。

 ただ、それでも分かるのは。事実がある、という事。僕はそのカードを使った検査を春休みの本土でも受けていた。この島に来る前にも。何度も。あちこちの機関で。そして事実があれば、理屈で推論は立てられるわけで。


「理解できたか? セイ、お前は特別なんだ。今宮ユウトっつう天才が、かつて王様の為に作りあげた後継者なんだよ。だけど結局、どういうわけか、そいつを持って今宮さんは逃げた。そいつを元帥は欲しがった。それを止めたい奴もいた。互いに、どんな手を使ってでも。ただ、それだけの話だ」


「……『それだけ』、ですか」


 トクトクと、心臓が血を吐き出す音。彼は嘘をついてはいないと思った。少なくとも彼は、彼が真実だと信じている事か、あるいは心から適当に喋っているかのどちらかだと。僕は、そう思った。


 彼は笑った。ニヤリと黄色い歯を見せて。


「東も西も、人間も、元帥派も反対派も誰もが注目してる。お前がどんなもんなのか、壊れちまったポンコツが、本当にあの『魔王』の代わりになれるのかっつうのをな」


 僕も笑った。ははっと、何の感情も無く。


「そんなの――」


 冷える。元帥だろうと、人間だろうと、局長だろうと、他の誰かの評価なんか、関係無い。


「――勝手にやってろ」


 吐き出した言葉の後半をかき消すように、巣の中にサイレンが響き渡った。

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