第33話 今、僕に
あちこちでおしゃべりをしていた女性達は、食器をそのままにして走り出す。上田隊のグラブを置いて食事をしていた男性は、すでにその場にいなかった。
席を立とうとした僕に、ロビ霧島が声をかける。
「おやおや、真面目だねぇ。行った所でどうせ見学なんだろう?」
「そういう仕事です」
「だはは、違いねえな。んじゃ、せめてコーヒーくらい飲んでけよ。さんざん砂糖入れやがって、台無しじゃねえか」
言われて僕は、カップの中身を思いっきり喉の奥へ流し込む。
ぬるい。吐き出しそうになるくらいに、くそ甘い。
これでいいか? これで、お前は満足なのか?
だけど。それでもまだ。僕は。
「まだ、足りないくらいですよ」
口元を拳で拭いながら、僕はぼんやりと呟いた。
「はっ、何だそりゃ? ……ははーん、コーヒーと砂糖の例えか? 懐かしいじゃねえか、今宮所長が実験中によく言ってたぜ。いまだに言ってたのか、あの人は」
「……あいつ……」
苦笑する。オリジナルじゃねえのかよ。僕が親父の真似をしたみたいに思われてるぞ。
「……ああ、んじゃもしかしてそのくそ甘いのは藤崎か? ったく、お前は藤崎藤崎って、わかりやすい奴だな。そんなにあのじゃじゃ馬がいいのかね? 俺なら断然カナちゃん派だぜ?」
「黙れ、ロリコンシリンダー」
有沢カナは、ちょっと怖いんだよ。
本土仕込みの突込みにロビ霧島は歯を見せて笑いながら、それでも目の奥は僕の反応を窺うようにぎらついている。
「はは、丁度いいじゃねえか。出せよ、セイ。そいつの出番だ」
言いながら、彼はまっすぐに僕の左胸を指差した。
僕は黙って、薬の入った黄色いケースから一粒を掌に転がした。
異様な匂いに、ごくりと唾を飲み込む。
「くいっといっとけ、ははっ! 今更ビビってんじゃねえって。ちっちゃいころのお前さんはそいつが大好きだったんだぜ? まあ、おかげで始終呆けてたんだけどよ」
彼の言葉に従って、これを飲んだなら。僕は、一体どうなるというのだろう。
「どうしたよ? ほら、マドカちゃんがピンチだぜ? 王子様みたいに格好よく助けて来いや。奴は案外弱虫だからな、助けてやったら惚れてくれんじゃねえか? ピンチはチャンスつってな、だはは」
ロビ霧島がしゃくった備え付けのモニターには、戦いの様子が映っていた。自宅のパソコンで見ていた『赤眼の魔女』の動画と同じ、かなり粗い映像だ。だけどそこにいるのは、赤眼の魔女でもましてや最強の魔術師でもない。
僕はもう知っている。
きまぐれで我儘で意地っ張りの藤崎マドカを。
普段はむかつくくらいに自信たっぷりのその表情に、余裕がないのが一目でわかる。
心が読める? 他人に指図が出来る? ふざけるな。
『他人の気持ちを理解する』なんて、人間ならば誰でも出来る事だろう?
それこそ小学校で教わるようなことだ、『人』が『人間』であるための根本じゃないか。
――なのに。
顔を上げる。
第零ライン? 彼女の前に味方はいない? 優秀な戦士? 一人で大丈夫? あいつが、それを望んでる? どいつもこいつも。
「……ふざけるな」
これを飲めば、僕は。
藤崎の傍に。
彼女の力になれるのなら。
誰にも恥じる事の無い、ずっと思い描いてきた強い
薬の粒を、かみ砕く。
嫌な味、突き抜ける様な眩暈。心臓が一つ大きく脈を打って、頭の中の『僕』がすこしずつぼやけ、透明になる感覚。
「……これで、どうすれば」
局長は微かに笑ってこめかみに指を当てた。
「はっ、そんなもんは自分で考えろ。自分で出来なきゃ、他人を使え。分かってんだろ? お前にゃ、俺みたいに汚え嘘を並べ立てる必要はねえ。ダハッ! オラ、いつまでもつまんねえ事言ってねえで、さっさとアレを何とかしてこい、王子様よ。王子は王子らしく思うまま、自由にやりゃあいいのさ。なあに――」
――お前なら、上手くやれるはずさ。
そう言って、彼は顎でモニターを示した。
そこに映る、ぎゅっと唇を結んだ彼女の顔に巣の中は嫌な具合にざわめき立つ。
まるで彼女は勝つことが当たり前であるかのような口ぶりで。
自分以外の誰かが、何とかしてくれるのが当然だとでも言う様に。
何をやっているんだと、赤眼の魔女の苦戦を責める。
果たしてこの映像を見てる奴らの内で、一体どれくらいの人間があの女の子の心配をしているのだろうか。
殺し方も知らない、餌の癖に。
あの子がどれだけのモノを抱えて、どんな気持ちで生きているかも知らずに。理解しようとすらせずに。自分で戦おうとあがきもせずに。理解の出来ない化物に、道を譲るようにして。
いつかの僕の様に。
藤崎マドカを、見殺しにするのか。
何があっても、どんな手段を使っても果たすべき僕の役割。
僕が、彼であるために。彼女が望む僕であるために。
あの悪夢の中に、彼女の顔が出てこない様に。
「……あれって、どこが配信してるんですか」
「さあな、確か通信室だと思ったが」
「そうですか」と呟いて部屋を出る背中に「じゃあな」という声がぶつかった。
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