第30話 帰れない二人
すると藤崎は、細かく頷きながら少し笑って。
「あ、そ。ふうん、そうなんだ。へー」
そうしてふいに照れくさそうに『くい~っ』と伸びをして。
「ま、言ってもずっと先の話だけどね。まだまだあのお人形じゃ、話にならないし」
そしてフンッと腕組みしたその顔には、いつも通りの不敵な笑み。
「まだ、そんなものなんだ?」
「うん。この十年位で随分進歩したらしいけど、装甲も薄いし、火力も全然。運動性もへっぽこだしね。上田隊長なんて、向こうの学者さんの前で『これは空飛ぶ棺桶だ』って言ったらしいわよ」
「はは、言いそうだな、あの人は」
「ほんと、さすがよね。ま、だから今のはずっと先の話。あたしだって生きてるかわからない位に先の話だから、あたしがそんなこと言ってたなんて絶対内緒だからね」
ぴっと、藤崎マドカが、左の人差し指を僕の顔に突きつける。
細くてきれいな白い指。その気になればいつでも僕を殺せる指。
僕はそれに、自分の人差し指を突き合わせて、
「了解です」
と頷いた。
「? あれ、なんだっけこれ? 何かこういうのあった気がする……」
触れ合った指先に思い当たる節があったのだろう藤崎が、むず痒そうに眉を歪めた。
「友達だよ、友達」
「え? 何それ? そんなだっけ? 本当に?」
嘘じゃない。人間と人間以外が仲良くなる、とてもとても古い映画の有名なシーンだ。
笑った僕を銀髪の魔女がじとりと睨む。
「……ちょっと。実は今、私に、なんか向こうのエッチな事させたんじゃないでしょうね?」
「馬鹿な。映画史に謝れ、このむっつり変態」
「は、はあ!? 誰がむっつりよ、誰が! 全然意味わかんない。大体、変態って言う方が変態だし」
ぷくっと膨れた藤崎が、僕の膝の上のビニール袋をべしべしと叩きまくる。
「つうか、さっさとこれを食べなさいよド変態。食事ってのはとれる時にとって置かないといざって時に力が出ないんだからね、この能無しスケベ侍」
僕は笑った。
「なんだよ、侍って」
「ふん、そんなのほら、武士はくわねど高楊枝とかって言うでしょ? それと掛けてんの」
とっさに思いついたにしてはそれっぽい理由を着けた藤崎が、ちょっと満足げに僕を見下した。
ほうほう成程つまり、能無しのスケベは栄養を摂らずとも楊枝をピンと立てて……って誰が楊枝だ、失礼な。
さすがに藤崎には口に出来ない突っ込みを心で入れつつ、袋から取り出した「揚げあん餃子パン」という謎の物体にかぶりつく。「揚げ」が付いているだけあって、外はパリッとサクサクで、中は……中は、甘い……だと?
「……そういや、餃子食べてたんだっけ?」
平たい餃子の形をしたあんぱんという少々捻りすぎなパンをしげしげと見つめながら発した一言に、暗く口元を歪めた藤崎がくくっと不気味に笑った。
「ええ、あれは我ながら大失態よ。もうね、何て言うか……臭いのよ、部屋が。お風呂上がりにね、こう……むわっと……くくくっ。今頃あの小娘も驚いてると思うわ。本土で流行ってるシャンプーなんか意味無いんだから。ふふっ……くっさい頭で詰め所に行けばいいのよ。それで、部屋に入ってきたユイさんにさらりと窓を開けられるわ隊長に煙草を吸いに行かれるわしてしまいなさい……」
まるで世界の全てを呪う言葉を吐き出すように、赤目の魔女が呟きを漏らす。こりゃあ相当カナにいじめられたんだな。
「……で、僕も道連れにしようとしたわけか」
餃子パンを持ち上げて言った僕の言葉に、星の光さえも飲み込むブラックホールと化していた藤崎は、妖しい笑みをくゆらせた。
「ふっ……そうね、そうしようかとも思ったのは認めるわ。でもね、ふと気付いたの。あなたの浅い罪を裁くよりも、罰すべき人間がいることに……だからそのあんこの甘さが私の優しさだと思ってくれていいわ」
成程、ちょっといびつな感じがそっくりだ。表面には焦げてるとこまであるし……と思いながら餃子型の優しさを月に掲げる。
「確かに、変てこだけど甘くてうまい。これぞ藤崎だ。砂糖の塊も悪くないよ」
我ながら上手いことを言ったぞと思って藤崎を見ると、目が合った藤崎が苦笑いを浮かべて前髪を掻き上げ、意外に広いおでこがちらりと覗く。
「……まあ、変てこは聞き流してあげるわ。だから私に感謝して崇めて部屋に泊めなさい」
「は? え? 今、何て?」
確か、部屋に泊めろとかなんとか
「言ったでしょ? 私の部屋は誰かさんが選んでくれた餃子弁当のおかげで、少しばかり匂いが付くのよ」
「だからって、他に行くとこ……」
「無い。あったらあんたなんかに頼まない」
「笘篠さんは?」
「無理ね。あの人すごく五感が良いのよ。それにあの人と同じ部屋で寝たら何されるか……」
藤崎は何故かそこで頬を染めた。いったい何をされるというのか詳しく聞きたい心をぐっとこらえる。
「ええと、じゃあ、カナは……」
「あいつは私の部屋でたっぷりこんがりガーリックトーストになってもらうのよ」
「……ユイさんは?」
「はあ? あんた分かって言ってんの? 二人っきりで何話せって言うの? 拷問よ、拷問! 絶対気まずい、絶対イヤ!」
まあ、そうだよな。
「………今宮タイぢょっ!」
「血が止まらない体にしてあげようか?」
ぶるぶると首を振って、眉間に置かれた指の向こうの藤崎をじっと見つめる。
「えっと、学校の友達とか……?」
「……いるように見えた?」
僕は無言で目をそらした。
クラスで誰かと話している藤崎など、見たことが無かったから。
クラスの連中が藤崎に向ける感情を、僕は理解できたから。
「………そもそも魔海の活性期は巣に張り付いてなきゃいけないのよ。ってか、いい加減悟ったらどうなの? あんたは最後の選択肢、臭いにんにくよりは冴えないジャガイモを選ぶっていう苦肉の策。こっちは仕方なく、もうどうしようもないから切り札を切ってるの」
粘り気の強い視線で僕を睨みながら藤崎は言った。
「……わかったよ。でも、本当にいいのか?」
「何が?」
「僕も、一応……その、男なのだが」
多少問題はあるが、思春期真っ盛りの。
「あら、構わないわよ。でも、その気になったらちゃんと言ってね? こっちもいろいろ準備があるから」
そうだよな、藤崎は確か減退……以下自重。
「準備って、どんな?」
「そうねぇ、まずはセイの服を、皮膚ごと脱がせてあ・げ・る」
妖艶な笑顔で素敵なことを藤崎は言った。藤崎と話すのは、本当に楽しい。
「痛いよね、それ?」
「あら、私ってそれぐらいの思いをする価値はあると思うけど?」
立ち上がった藤崎が腰に手を当ててウインクして見せたので、僕も爽やかに笑って立ち上がる。
「餃子臭くなければね」
言い終わる前に、僕の視界がぐるんと回った。
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