第28話 甘く甘く甘い戦士

 手すりの下を覗き込んでいた藤崎が脹れっ面で『もう……』とつぶやき、僕のほうを振りかえる。ごわごわした布地の、緑と青が足首までグラデーションを描き出す薄手のワンピースが緩やかに翻り、ちらりと覗いた細い足首が妙になまめかしく見えた。

 そして彼女は両手を腰に当てて僕を睨みあげるようにして。


「………じぃ~」


 と本土の虫の鳴き声を出しながらこちらの様子を窺っている。


「ええと……藤崎は、どうしたの?」


 気まずい間を感じた僕は、そうっと言葉を発してみた。


「……別に。今日はセイがボーっとしてたから、ちょっと心配しただけよ」


 そう言って藤崎は手に持っていた紙袋を持ち上げて見せた。どうやら寝る前だったのか、湿った銀色の髪が涼しげなカーディガンの上で揺れている。


「はい、これ。あんた、夕飯も食べてなかったでしょ?」


 腹に手を当てて考えてみる。言われてみればそんな気がしないこともなかった。そこまでボケていたということか。


「はい」


 という声とともに僕の胸に食堂の袋が押しつけられた。


「ありがとう」


 僕のお礼に満足したのか、藤崎は「ふふん」と腕組みをして胸をそらした。


「悪いね。藤崎だって、大変なんだろ? 減退期」

「……ん、まあね。正直眠くてしょうがないんだけど、大丈夫。あんたの心配には及ばないわ。だから、セイはセイのことをしっかりやればいいのよ。間違っても上官の悪口言われたからって、酔っ払いと喧嘩する必要はないの」


 ついっと唇を突き出し、彼女は少し早口でピシャリと言いきった。

 絹のように細い髪が月明かりに輝きながらふわりとそよぎ、剥き出しになった鎖骨の上でしなやかに崩れる。


「ああ、知ってたのか……」


 何だか気恥ずかしくなって、僕は頭に手をやった。あれだけしでかせば、噂になっていても仕方が無い。


 すると藤崎マドカは、ちらりと夜に視線を投げて。


「上田教官……じゃなくて、上田隊長がね、何か急に言ってきたのよ。『小田島伍長はなかなか見所がある男だな』だってさ。良かったじゃない、認めてくれる人がいて。私には、そういう男臭いのはさっぱりだけど」


 両手を広げて肩をすくめた藤崎に、僕は思わず問いかけた。


「……えっと、今のは、上田さんの物真似……?」


 突然出てきた妙な太い声と不細工な顔にびっくりだよ。


「うん、似てたでしょ?」

「あ、うん。割と」


 まあ、似てたと言えば似てた、けど。


 すると銀色の物真似少女は、ふふんと嬉しそうに笑いながらずいっと僕に指を突きつけて。


「つうか、セイ、私言ったわよね? 本土出身の隊員は良い目で見られないんだって。そういう時のためにもあんたは頑張らなきゃなんだから、鼻の下伸ばしてる暇があるなら食事くらいしっかり取りなさいよね。魔法使いたる者一にも二にも体力なの」


 僅かに軽蔑を含んだその眼差しに釈明の必要を感じて、僕は再び言い訳を試みた。


「いや、違うって。たまたま、たまたまさっき笘篠隊長と会ったんだって」

「……たまたま? ふうん。こんなとこで? へー、何してたの?」

「いや、その……なんだか今日は、星が綺麗だったから……」

「はぁ?」


 嫌でも視界に入ってくる満天の星空を両手で示しながら、僕は言葉をつぎはぎした。体が少し熱くなった気がする。この橋ってこんなに狭かったっけ? 足元がぐらぐらだ。


 そんな僕の様子を見て、藤崎は「ふふっ」と笑いをこぼす。


「下手な言い訳、馬鹿丸出し。……まあ、別にいいんじゃない? この島では恋愛は割と推奨されてるのよ。高度な魔法使い同士の子供の方が強力になる可能性が高いんだって、セイはともかく、亜矢子さんの子供なら上層部は大歓迎なんじゃない?」


「だから、そうじゃないんだって……」


 腰に手を当てて大きくため息を吐きだした藤崎は、意地悪な笑みを口元に浮かべて。


「ふんっ、わかってるっつうの。あたしだって、あんたみたいなジャガイモ坊やが亜矢子さんに相手してもらえるなんて思っちゃいないわよ。どうせ私には言えない話でもしてたんでしょ?」


「ああ……ううーん?」


 みんなこういう時のごまかし方って一体どこで学んでるのだろうか? 少なくとも僕の通ってきた学校では教えてくれなかったんだけども。

 髪の毛をいじってごまかす僕の態度を見つめると、藤崎は少し嫌そうな顔をして俯いた。


「……もしかして……今宮隊長の話?」


 一瞬、僕は言葉に詰まる。当てが外れたような、肩透かしを食らったような、そういう気分。


「違う、違う。何て言うか……多分、僕の話だったよ。それに隊長の話を誰かにしたら僕は藤崎に消し飛ばされるんだろ? あの脅しは相当効いてるよ」


 すると、恋する乙女は『そう』と小さく呟いて、下から覗き込むようにちらりと僕を見た。僕は、その顔を見てしまった。その顔に浮かぶ、安堵と寂しさが絡み合った孤独な影を。その瞬間に喜びや悲しみや安心やいら立ちなんかが混じり合った、おさまりの悪い感情が胃の底に湧きあがる。


「藤崎は、良いのか…その、このままで……?」


 余計なことだ。これはきっと、藤崎のためなんかじゃない。言うべきじゃない。分かっているのに言葉が止まらなかった。


 ぴくりと眉を歪めた藤崎が、鋭い視線で僕を睨み上げる。

「……何が?」


「だから……その、気にしてるんだろ? 隊長と、ユイさんのことを?」


 藤崎は、大きな瞳をより一層見開いて。


「なんで? なんで、セイが知ってるの?」

「え? いや、そりゃ、何となくだけど……やっぱりあの二人って?」

「知らない」


 返す刀で切り捨てられた。


「…………ん、でも、長い付き合いだから、分かるの。分かっちゃったのよ。……ううん、本当は、最初からわかってたの。だってそうでしょ? ユイさんが……その、本当は隊長とアレだなんて、セイにもわかるでしょ? なのに……カナも亜矢子さんも鈍くって、いつまでたっても、人の気も知らないで……ったく、ホント、あんな余計な脂肪なんか付けてるから鈍感になるのよね」


 だから藤崎は敏感なんだな、という言葉は飲み込んだ。まあ、実際関係ないとは思うけど。


「……それに、ね………あ~……ううん、なんでもないわ」


 自嘲するような笑みを浮かべて何かを言いかけた藤崎が、小さく頭を振って空を見上げる。その視線の先に、もう少しで丸くなりそうな月が優しい色で光っているのを、僕は見つけた。


「……それに?」

「何でもないって言ってるでしょ」


 最強の魔法使いは、まるでうるさい犬でも追い払うかのように手を振った。そうして彼女はほんのわずかに唇を尖らせる。


「……何だか、藤崎らしくないな」


 僕の言葉に、藤崎の目尻がピクリと動く。


「なにそれ? あんたにあたしの何がわかるわけ?」


 片手を腰に当てて睨みあげる藤崎を見て、僕は少し笑ってしまった。


「そう言ったら、藤崎は怒るんだろうなって事くらいはわかってたよ」

「はあ?」


 僕のペテンに目を丸くした藤崎は、怒りのやり場に困ったように複雑に表情を変えながら、最終的に形のいい鼻に向かってしわを寄せてゆっくりと呟いた。


「嫌なヤツ……」


 思わず「ははっ」と声をもらして、僕は笑った。そうか、嫌な奴か。そんな風に、きちんとストレートに言われたのは初めてだった。


「でも、僕だけなんだろ? 藤崎マドカの悩みに気づいてるのは?」


 藤崎は「ちっ」と小さく舌打ちをして


「随分調子に乗った発言ね。言っとくけどあたしは別に、悩んでなんかないし、それに……万が一そうだとしても、気づいてるのがセイだけってわけでもないし」


 今度は僕が目を丸くする番だった。


「え、そうなの?」


 驚いて聞き返した僕を見て、藤崎は一瞬後悔の色を顔に浮かべる。


「ユイさんか?」


 思い浮かんだ人の名前が僕の口から勝手に飛び出ていくと、「うっ」と、言葉に詰まった藤崎が、思いっきり深く息を吐き出した。


「はあ~、何であんたはそう……ううん、まあ、そうね、そうよ。正解よ、そう、大正解!」


 半ばやけくそ気味な笑みを浮かべた藤崎がパチパチと適当な拍手をくれた。当然と言えば、当然の答えだ。あれだけ所構わず囃したてれば、当の本人でもあるユイさんの耳にも入らないわけがないだろう。ましてや、彼女は声を届けるC型なのだ。そして、自分の気持ちを一番理解しているのはユイさん本人なんだろうし。


「だから、僕にも口止めしたのか? ユイさんに気を使って?」


 ちらりと僕を見た藤崎が、諦めたように口を割る。


「半分正解、50点」

「もう半分は?」

「あんたね、それ位自分で考えなさいよ。……ま、セイにはわからないと思うけど。はい、タイムリミットは30秒」


 冷たく言って楽しそうに笑った藤崎が、チクタクと口で言いながら左の人差し指を時計の針に見立てて動かし始める。


 本気で、僕には分らなかった。それ以上の理由は、いくら頭を捻っても、想像がつかない。


 やがて

「ブッブー、残念。時間切れ」

「正解は?」


 すかさず聞いた僕に、藤崎が呆れたような顔を浮かべる。


「相変わらずの平和ボケね……。まあいいわ、じゃあ、ヒント。例えるなら私は砂糖の塊で、セイはほとんどブラックコーヒー」


「……え?」


 全く意味がつかめなかった。僕がコーヒーで、藤崎が、砂糖? いや、わざわざ『ブラック』とつけたところに意味があるのか?


 思考をめぐらす僕を見て、藤崎は小首を傾げて優しく微笑んだ。


「神様がね、小さな小さなスプーンで、コーヒーカップに砂糖を入れたの。最初のカップには一杯だけ。次のカップには二杯、その次は三杯っていう風に、だんだんだんだん量を増やしていったのよ。わかる? でも、それはすごく小さいスプーンだから、隣との違いは全然わからないのね。だけど、それでも確実にコーヒーは甘くなっていくでしょ? 隣のカップとの違いは分からなくても、最初の奴に比べたら後の方のはすごく甘い。普通の人が口にしたら、吐き出しちゃうくらいの甘みなの。だからそこに、線を引いたのよ。誰にでもわかる様に、明確な数字で、人間は線を引いたのよ。ここまではオーケーで、ここから先は甘すぎるって。そしたら、セイはこれはちょっとなって弾かれた位のコーヒーで、あたしはコーヒー色した砂糖の塊。ううん、もはや砂糖の塔ね。真っ白けっけの、異様な何か。……それってもう、コーヒーじゃないわよね? 知らない人が見ても異常だってわかっちゃうし、砂糖の味を知ってる人は思いっきり嫌な顔するんじゃない? どっちにしろ、それはコーヒーとは違う、別の何か――だから、私は色んな名前で呼ばれてるし……私の我儘は、通っちゃうのよ。私がそうしたいなんて言ったら、きっとそうなっちゃうの。他の人の気持ちとか努力なんかを全部無視して、ね」


 ワンピースの裾とともに風になびいた銀髪が、俯いた魔法使いの表情を隠す。


「ふふっ。ねえ、いい例えだと思わない? 経済学の教科書にのってたの」


 銀髪を撫でる藤崎の真意が掴めずに僕が戸惑っていると、突然、彼女がパチンと音をたてて手を叩いた。


「はい! この話はお終い。あ~疲れた!」

 急に声のトーンを上げて伸びをする藤崎の姿を見ながら、僕は足りない頭を回していた。


 今の話の、コーヒーが人間で、砂糖が、魔法だとして。

 確かに人間と魔法使いを分けるのはただの数字だ。

 ここからは異常値で、ここまでが人間。

 その境界線の差なんて、誰にも判別できるようなものじゃない。

 よくできた例え話じゃないか。

 ああ、本当に良く出来た例え話だ。


 ――だけど。


 だけど、それじゃあ藤崎が。

 銀髪に赤眼の女の子が

 誰にも、コーヒーだとは思われない?

 あいつがいなけりゃ、それで良かった?

 ふざけるな。

 藤崎マドカは、何もかもが違うって?

 そんなことは、ないだろう。

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