第27話 笘篠アヤコ

 すっかりあたりが暗くなった頃、僕達は一旦解散することとなった。司令官二人を詰所に残し、ニンニクの匂いが衰えない藤崎の部屋に泊るのだというカナ達と別れた僕は、男子寮のエレベーターに乗り込むと支給されたジャケットの胸ポケットからプラスティックのケースを取り出した。

 

 温度の無い壁に背を預け、黄色いケースを濁った白色の蛍光灯にかざし、黒っぽく見える丸薬を透かしてみる。

 

 どんな感じがするんだろうか。

 空を飛んだり、銃から魔力を撃ち出したり、手の先から魔導砲にも勝る威力の一撃を放って、命を賭けて闘うのは……。 

 

『元帥と同じ』。

 

 トイレであの酔っ払いが呟いた言葉、あの瞬間の感触。

 誰かと同じ――『代用品』。

 

 元帥というのは、とても偉い人だ。それ位は知っている。だからきっと、強いのだろう。もしも、それが自分に。もしも自分が、彼と同じ――。

 

 掌に乗せた丸薬をぎゅっと握る。

 

 期待線上の『いつか』ではなく、今すぐにでも訪れる『その時』に、僕は何が出来るだろうか、と。

 頭に浮かんだ藤崎の仏頂面に、苦笑いで首を振る。

 

 こんな薬を持ってると知ったら、君は怒るんだろうな、と。

 

 同時、『力になるよ』と言ってくれた人の言葉を思い出し、最上階のボタンを押しこんだ。

 

 すでに暗くなった屋上には、湿り気を帯びた温い風が強く吹いていた。本土よりもずっと南東にあるこの島は、まだ四月だというのにかなり暖かい。小さな人工島であるせいか、気温の割に湿度も低く、単純な暮らしやすさで言ったら本土よりも上かもしれない。

 

 男子寮の扉を閉めた僕は頭上を覆い尽くす星を眺めながら、誰もいない橋の上を歩く。すっかり慣れたつもりでいた海の匂いに鼻を曲げ、足下の街から目を逸らす様に顎を上げて。

 

 月がやたらと近くに見える夜だった。

 

 せりあがってくる波音と、星の重さで落ちてきてしまいそうな夜空を独占したような気分になって、僕は両手を広げて少しだけ歌を歌う。適当な英語で口ずさんだはずのそれに、空の上から追いかける様なハーモニーが降ってきた。

 

「素敵な選曲だね。逢引かい、少年?」

 

 見上げた僕の視線と入れ違いにオーバーサイズのTシャツ姿の笘篠とましの隊長が舞い降りた。ふわりとめくれた裾からこれまた短いズボンが覗き、かろうじてTシャツ一枚じゃないことを確認すると僕は安心しておどけて見せた。

 

「ここに来れば、会えると思ったんです。笘篠とましのさんに」

「おやおや、嬉しいことを言ってくれるね。でもね、少年があたしと逢引きするには二階級程足りてないね」

 

 ニヤリと笑ってVサインを突きだした笘篠隊長は、そのまま僕の鼻を薬指で弾いて数字を増やした。

 

階級章バッヂじゃなくて、こっちの話なんだけどね」

 

 僕は思わず苦笑い。

 

「それって、今宮隊長くらいですか?」

「ははっ、あれは駄目だ。煙草を吸うのは無しだね。言ったよね? あたしは人より鼻が良いんだ。それとちなみに、あいつの美男子階級は少年の八個は上だよ、残念ながら」

 

 くすくすっと笘篠さんは笑いだす。小麦色の肌が妖しく月明かりに照らし出された笘篠さんは、通常の三倍はセクシーだった。

 

「にしても、少年は随分とおいしそうな匂いを付けてるね?」

「あ、いえ、これは藤崎……いや、僕のせいなんですけど……」

 

 笘篠隊長は体を曲げて僕の体の匂いをクンクンと嗅ぐ。なんだかくすぐったい様な気がして距離を取ろうとした襟が掴まれて、笘篠さんのカフェオレ色の顔が目の前に上がってくる。

 

「これ、なーんだ?」

 

 近づきすぎている笑顔の前に、すぅっと小さな箱が持ち上げられた。黄色い半透明なプラスチックの中に茶色い粒。そこから漏れ出る甘い刺激臭に唾が口いっぱいに広がって――。

 はっと気づいて抑えた胸元に、ケースの感触はもうなかった。

 ふわりと大きく後ろに飛んだ笘篠隊長は、複雑な笑顔を浮かべて小首を傾げる。

 

「思い出した、思い出しちゃったよ、君のこと。君が誰なのか、やっとわかった。いつだって君はこの匂いにまみれていたもんね。シズカちゃん」

 

「…………?」

 

 僕は少し驚いて彼女の顔を見つめる。小学校の頃、確かに僕はそう呼ばれてからかわれていた。

 

「てっきり君は壊れてるのかと思っていたけど、違ったんだね。そうか、少年は……生き残ったのは、あのシズカちゃんだったのか」

 

 笘篠隊長は笑っていた。いつもの様に、にこにこと。

 

「うんうん、そうか、それでセイなのか、本当にひどい名前だね、センスも愛情もありゃしない。いいや、ごめんよ。何を言ったって覚えているわけがないんだよね、シズカちゃんが。うん、じゃあ少年、これはロビ霧島から貰ったモノかな?」

 

 黄色いケース越しに、僕と笘篠さんの視線がぶつかる。鉄の様な笑顔に、ほんの少し、寒気が背中を。

 

「……はい。そうです」

「そうか。君は……当然これがどういうモノか知っているんだよね?」

 

 視線を合わせたままで、僕はまた頷いた。

 

「うん、それじゃあもう、とやかく言っても仕方がないね。ふふ。しかし……残念だな。せっかく仲間に会えたというのに、あたしと君の間には随分大きな壁を感じてしまうんだからね」

 

 両手を広げ、踊るような足取りで近づいてきた笘篠さんが僕の胸ポケットにそっとケースを差し込んだ。そうして、片手を腰に当てて小首を傾げる。

 

「あれ? あはは。ごめんごめん。私ばっかり喋っちゃって。シズカちゃんも、私に用があったんだよね?」

 

 風になぶられた彼女の茶色い髪の毛が、肩のあたりをかすめて揺れる。

 

「あ……魔法の、事で……」

「ん? 魔法のこと??」

「あ、いや……なんていうか……」

 

 考えていた事が、上手く言葉に変わらない。

 

 小さい頃の記憶なんて、病院の灰色の天井と時折やってくる父親の声位なものだったから、彼女が何を言っているのか、何を考えているのか全くもって分からなくて。

 

 頼みごとがあったはずなのに、困惑が頭を痺れさせ動揺が思考を奪っていく。

 

「あはは、ごめんね。困らせるつもりはなくてさ、少しだけお話がしたかっただけなんだよ」

 

 自分だけ全てを理解しているかのような笑顔を浮かべた笘篠隊長の指が、そっと僕の眼の下をなぞる。

 

「少年と……今宮ユウトの子供としてね」

 

 僕は目を見開いた。

 

「シズカとあたし、他に七人もいたんだよ。あの研究所には。元帥の指示で、子供達に強力な固有現象を発動させる実験をやってたんだ」

 

「……実験…………?」

 

 呟いた僕の頭を、笘篠さんがそっと撫でた。

 

「そう。例えばマドカちゃんの爆発みたいな戦闘向きのオリジナルを、人為的に産みだすのさ。方法は簡単、素質のある子供達が『破壊』や『攻撃』を願う様に精神を誘導するだけ」

 

 笘篠さんは両手を広げて。

 

「私の役目は『見学』だった。仲間が嬲られ罵られるのを、ずっとずっと見させられた。実験は成功。きっと世界で一番人の願いがかなう瞬間を見届けたんじゃないかなって位に、次々と攻撃的なオリジナルを生み出してたよ。一人は突然パタッと倒れて死んじゃったけどね」

 

「……笘篠……さん?」

 

「私は、君も見ていたよ。君は、君の場合は、天井知らずに魔力が上がるもんだから、どんどんその薬を与えられてた。計測器を覗いていた奴らは、一つ投薬が終わる度に歓声を上げてたよ」

 

「あの……大丈夫、ですか?」

 

 喋っていた笘篠さんは、柔らかな笑顔のままで首を振った。

 

「大丈夫なわけない。ガラスの向こうで、君は完璧に壊れてた。一日中ボーっとして、部屋の壁に寄り掛かってるだけの、泣きも喚きもしない人形だった――とっても静かな、ね」

 

 じっと、笘篠さんが僕の目を見る。にこにこ笑って見えるのに、何だかすごく苦しそうにも見えて。まるで笑顔の海に溺れてしまったみたいな。

 

「……ええと……あの、それで、その子達は、どうなったんですか?」

「そうだね。それを言わないわけにはいかないよね。彼らはね、みんな私が殺しちゃった」

 

 ――研究所ごとね。

 

「え?」

 

 笘篠さんは、まるで愉快な冗談を言っている様にカラカラ笑って。

 

「あはは。あのね、あの頃の私には、ガラスの向こうで泣いてる皆を助ける事なんてできなかった。それでも何とかしたくって、全部全部壊してやりたくて、ついにそれは叶ったんだ。うん。これは内緒にしてるんだけどさ、私の本当の固有現象は『皆の力を借りる』事」

 

 言って、笘篠さんはセクシーなウインクを。

 

「それで私は全部壊した。私達の中でも一番強烈だったお兄ちゃんのオリジナルと、とびっきりの魔力を持った弟の力を泥棒してね。いきなりマドカちゃんクラスの爆発をかましちゃったわけさ。いえい」

 

 笑顔でピースサインをくれた笘篠さんは、相変わらず何を考えているのかわからない不安定な違和感の塊で。

 

 それを見た僕は、やっと気が付く。

 

「で、皆、死んじゃったんだ。生き残ったのは私と、東側に出張してたロビ霧島だけ。そう言われてたんだけどね。いやはや、びっくりしたもんだ」

 

 彼女は何を考えているのか分からないんじゃなくて、何も感じてはいないのだ。

 空っぽなんてレベルじゃない。

 心を入れておく器ごと、とっくに、ぶっ壊れているのだ。

 

「笘篠さん?」

 

 同じだ。あの人――ロビ霧島と。多分、この人達は、とっくのとっくに、イカレてるんだ。

 

「あの……本当に、良く分からないんですが」

 

 言いながら、髪を掻く。ファージの群れに襲われて以来、何もかもが自分の周りで動いていて。彼らが語る『僕』は『僕』では無くなり。この島に来てからは、いつの間にか『彼』に追いつこうとする『僕』がいて――。

 

 相変わらず、笘篠さんはそういう人形の様にただにこにこと温度の無い笑みを浮かべたまま。

 

「あはは。うん、まあ良いよ。もしも君があたしのことを覚えていてくれてたら、嬉しかったかもしれないけどね」

 

 ありもしない傷をなぞるように、彼女の指が優しく僕の頬を滑って行く。

 それはそのまま彼女自身の傷をなぞっているようにも思える仕草で、そういう彼女に、僕は薄く笑って首を振った。これ以上その話を続けても、きっとお互いに無駄に終わる。

 

「そうですね。じゃあ、そうなのかもしれません」

「そうなんだよ?」

 

 笘篠さんが、小首を傾げて僕を見た。

 

「ふふふ。まあいいや。しかし生きてみるもんだね。こうやって、また仲間と――」

 

 そこで言葉を切った彼女は、少し鼻に皺を寄せて女子寮の扉を振り向いた。

 

「おやおや、そこにいるのはマドカちゃんかな? デバガメだなんて感心しないね」

 

 笘篠隊長の声が向けられた方向、青の夜明かりに目を凝らすと、少しだけ開いた扉の隙間で銀髪の影がびくりと揺れた。一瞬の間があって、諦めたように肩をすくめた藤崎がそっと姿をみせた。

 

「……お邪魔でしたか?」

 

 笘篠隊長はくすくすと笑う。

 

「いいや。あたしは見られていても問題ないよ。セイ君もそっちのほうが興奮しちゃうタイプかな?」

 

 その時になってやっと匂い立つほどの女性である笘篠隊長と自分の密着度合に気が付いた僕は慌ててバックステップすると。

 

「いや、違う。違うぞ藤崎」といらぬ誤解を解こうと言い訳を試みた。

「うっさい、変態。どう見ても骨抜きだったわよ」

 

 藤崎は突然三万年くらい退化した様な顔をして

 

「こーんな、こーんなに鼻の下伸ばしてた」

 

 言葉の終わりに『ふんっ!』と付け足し、ゴリラみたいな顔のまま僕を蔑視。

 

「あははっ、焼きもちだなんてかわいいね。大丈夫だよ、マドカちゃん。あたしは君のこともたくさん愛しているからねっ!」

 

 いつの間にか藤崎の背後に回っていた笘篠さんが愛おしそうに銀髪頭を自分の胸にうずめると、『ひぃぁぁあ!』というまるで化け物にでも出会ったかのような藤崎の悲鳴が月まで伸びていく。

 

 そして、腕の中におさまった小さい頭を振り乱、何とか逃げようともがいていた藤崎の耳元で、笘篠隊長が何かを囁く。

 

「なっ! ち、違いますっ!」

 

 真っ赤な顔をした藤崎の向こう側で、走高跳みたいに背を反らした笘篠隊長が笑いながら手すりの外へと消えていくのが見えた。

 

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