第26話 当たり前の様に、戦士達は
時刻は十二時半過ぎ。
詰所のドアを開けた僕の顔に、いきなり雑巾が飛んできた。
袖で顔を拭いながら様子を見れば、我が第三小隊の誇る魔法使い二人がいつもの様にいがみ合っているところだった。
「あっ、先輩どこいってたんですかぁ? 今からマドカさんと食堂に行くんですよぉ。先輩も行きましょうよぅ」
「だ・か・ら! 私は行かないっつってんでしょうが!」
窓際から投げつけられたカンテラヘルメットを僕へと弾き、有沢カナがにこりと微笑む。
「だめですよぉ、ちゃんと栄養採らないと。ほら、早くしないとユイさんが隊長に『あーん』てしちゃいますよぉ」
成程、隊長とユイさんが仲良くお食事するのを見たくないって訳ですか……健気な奴よの。
そしてカナ様、さすがです。
「うっさい! 爆発しろエロ馬鹿妄想女! もういい! セイが、セイが買ってきてくれるもん! ほら、セイ! 焼き肉でも何でもいいから買ってきなさい! もう、すっごい臭くてもいい!」
「……さすがに、それはどうかと思うけど」
「思うな! 感じろ! あたしは少尉なの! あたしが行けって行ったら行けばいいのよ、この三下!」
投げつけられた赤い財布を思いっきり顔面で受けた僕は、肩をすくめて藤崎に背を向ける。別に、隊長の事でそんなに不機嫌にならなくてもいいだろうに。
「あ、センパぁイ。あたしはさっぱりした奴で」
え? 君のも? お金は?
振り返る僕より早く、詰所のドアが自動的に左右から閉まっていった。くそっ、あの小悪魔め、何が『せんぱぁい』だ。実は階級も給料も僕より上じゃないか。
仕方なく食堂へと向かった僕は、数ある弁当の中から『その全てを喰らった時、人は君を豪傑と呼ぶ。命を賭けろ! タレをかけろ! 汗をかけ! 大地を駆けるスタミナ補給、ドラマティックなストーリーが口の中でほどけるミルフィーユ風餃子弁当』と、さっぱりしていそうな豆腐をいくつか買って詰所に戻った。
とはいえ、ふんぬっ! と鼻息を荒くして餃子弁当をひったくった藤崎の隣で豆腐を手にしたカナが、目を潤ませながら『これじゃぁあたし痩せちゃいますよぅ。せんぱぁい』なんてふくよかな部分を僕の身体に近づけてくるもんだから、僕は赤くなった顔を悟られないように風を受けて食堂へと舞い戻るハメになったのだが。
そうしてヘルシーなんちゃら弁当をまんまとタダで手に入れたカナは、隣の藤崎が鬼の形相を浮かべてわっしわっしと喰らう度にニンニク臭を撒き散らす姿を楽しそうに眺めていた。
ちなみに、僕の昼飯は当然の様に豆腐である。
食欲をそそるニンニクとゴマ油の混じりあった芳ばしい香りを鼻孔いっぱいに吸い込みながら、僕は手にしたパックの透明な蓋を慎重にめくる。途端にその身をぷるりと揺らしながら、艶やかな乳白色の彼女が溢れんばかりのジューシーな海の中から恥ずかしそうに顔を出した。そう、豆腐だ。本来なら彼女をお迎えするシンプルな皿の一枚でも用意したいところだったけれど、残念ながらそんな最低限な礼も欠いてしまった僕は、己の知の至らなさを懺悔しつつも、彼女のまとう水の羽衣をこぼさないよう静かに、そっと、その身を右手で受け止める。
見た目以上に、ずしりと重い。
それ自体が美しい芸術品の様に僕の右手を伝って床へとこぼれていく水の羽衣にぎゃあぎゃあ文句をつけて来るにんにく臭い小娘は放っておいて、僕はそっと彼女の柔らかい肩に唇を近づける。ほんの少しだけ抵抗する振りをした彼女は、柔らかなその肌に歯を当てた途端、従順にその身を任せてきた。そうして彼女――そう、豆腐は、決して自らを主張することの無い控えめな甘味を引き連れて、僕の舌の動きに合わせて乱れ始める。いつまでも口の中に居座り続けようとする彼女の大和撫子っぷりを味わっていると、僕は一つの事実にはたと気付いた。
思わず、それが口を突く。
「……醤油が、無い」
「やるわよ馬鹿!」
顔面に投げつけられた餃子のたれ(ラー油・酢入り。開封済み)を粛々と掌の上の冷たい豆腐に掛けていると。
「垂らすなド馬鹿!!」
今度は雑巾が飛んできた。
そんなこんなで僕達がお昼を食べ終わった頃、詰所に戻ってきたユイさんは部屋に立ち込めるニンニクの香りに『あらあら』と微笑んでそっと窓を押し開けた。すっかりいつもの調子に戻っていた今宮隊長は『やる気満々じゃねえか』等と言いながら胸のポケットから煙草を取り出し、踵を返して出かけて行った。
心なしかどんよりと後悔の表情を浮かべてソファーに横たわる藤崎と、彼女の頭を膝に乗せ銀色の癖っ毛を優しく撫でる副隊長、それをにこにこ眺めながら銃を手入れするカナという微妙な空気を感じた僕は、こういう時に煙草を吸いに出かけられたら……と思っていた。
そんな訳で、その日僕は一日中訓練室にこもって個人用プログラムを行った。きついなと感じた時の負荷の大きさを見て、体力が上がったのを実感する。集中力の鍛錬の成績も軒並み向上していて、特にパターン解析系のスコアは研究局がざわつく程だった。
それでも、自分が彼らの望みに近づいているという事実を告げられても、僕が感じていたのは苛立ちと罪悪感だけだった。
陽が落ちるまでにもう一度サイレンが鳴ったのだけれど、我らが第三小隊に声はかからないまま小田島セイのその日は終りを迎えた。
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