第25話 それは現実を破壊する 

 レストランを出たところで会議に向かう上田隊長と別れ、僕は元来た道へと歩き出した。


 藤崎の力になれない者は軍に必要がないと言った上田さんは、果たして僕をどう見ていたのだろうか。


 ただ醜悪な蟲どもに見逃され、得体のしれない奇跡に助けられ、『何も出来なかった』と言う最低な僕を。あの人は。


 あの酔っ払いに感じた苛立ちが、そのまま自分の胸に突き刺さる。


 僕がここにいる意味。生き残った意味。

 それは与えられるものではないと倉教官が言い、偶然でも幸運でもないと笘篠さんは言っていた。


 ふと、左手側のガラス張りになった部屋の向こうの空を見上げた。向こうに行けば、恐らくそこには本土と呼ばれる故郷がある。僕が過ごしてきた日常がある。


 今年のプロ野球はどうなっているんだろうと考えて、僕は嘲笑った。


「どうした、セイ? にやにやしやがって、どれが笘篠のおっぱいみたいな雲なんだ?」


 喫煙所のガラス扉から、にやけた熊みたいな大男が姿を現した。


 まるで僕を待っていたかのようなタイミングで出てきた彼が口にしたその名前に、一瞬体が反応する。


 ――ロビ霧島には気を付けな――


 僕はできるだけ平静を装って彼に答えた。


「いえ、ちょっと自嘲してただけなんですけど……僕ってそんなに変態っぽいですか?」

「だはっ! 当たり前だぜ、セイ。人間が十人いたらそれは十通りの変態がいるってことよ! 特にこの島の連中なんて一変態二変態って数えるべきだと思うね、俺は。どうだ? 研究局長が言うと重みが違うだろ? ん?」


 ぐりんと大きな目を輝かせて笑う彼に合わせて僕も愛想笑い。


「確かにフラスコを嫁にしてる人は本土にはいませんでしたね」


 少なくともこの人が変態だということには間違いが無いだろう。

 僕の言葉を「はっ!」と一息で笑った局長は、指で試験管を摘むしぐさを見せながら


「あほか、俺の嫁はシリンダーちゃんだ。フラスコなんてのは芸術家気取りの男色家だぜ? 本土じゃそんなことも習わねえのかよ?」

「……こっちの常識を疑いますよ」

「ぶははっ! あのな、セイ。そもそもこの島に常識なんてもんはねえんだよ。魔法使いなんて、科学者からすりゃ常識破りの変態だぜ!」


 屈託のない、豪快な笑顔。子供がそのままおっさんになってしまったような、そういう笑顔だ。その顔が、いたずらを思いついたみたいに輝いて僕に語りかけてくる。


「ううん? なあ、セイ。お前もしかして、いっちょ前に悩んじゃってるんじゃねえか?」


 僕の顔色に気付いたのだろうか。ロビ霧島はニヤリと笑うと、僕の頭を両手でぐしゃぐしゃとかき混ぜる。


「ちょっ! 何するんですか?」


「あーああ、これは完全につまんねえこと考えてるって頭だぜ。何だ? 上田のおっさんに何か吹き込まれたか? それとも何か? 闘えない僕ちゃんはどうしたらいいの? なんて思ってんのか? この馬鹿は?」


 痛いとこを突かれて、局長の手首を掴む僕の手に自然と力が入る。


「あん? やっぱそうなのか? 呆れた真面目君だね、お前さんは。大方藤崎が体調悪いのに頑張ってるのを見てあてられちまったってとこか? ん?」


 身を捩ってその手から逃れ、敵意のこもった視線を彼に向ける。


「ええ、そうですよ。局長は……研究局は何をしてるんですか? 何か、藤崎の力になれる様な物はないんですか? 毎日毎日酔っぱらって……今宮ユウトがいなけりゃ、兵器の一つも作れないんですか?」


「ハハハ、こりゃ痛いとこをつかれたな。でもよ、セイ。東側も西側も、公式の予想じゃC級の大量発生はもっと先だってことになってるぜ。それまでにはお前さんの魔力も戻るかもしれない。それでも……お前が今だっていうんなら、方法はあるがな」


 人を試すような目だと思った。

 あるいはそれは、実験動物に向ける様なモノだったのかもしれないけれど。

 その問いかけに、僕は確かに頷いた。


「明日、藤崎が生きてる保証はないでしょう」


 ヒュー、と口笛を吹いたロビ霧島は白衣の内側のポケットの中から小さなケースを取り出して、それを僕の手に乗せた。


「こいつはな、抗魔力成分とは逆の……まあ増強剤みたいなもんだ。一時的に体内の粒子の反応を促すことで、実力以上の力を引き出す。当然体に負担がかかるんだが、お前さんみたいに壊れちまった人間にも効果ありってデータもあるんだな。まあ、いざってときの切り札だと思っておけ」


 僕は手の中のケースをじっと見つめた。黄色い半透明なプラスチックの中に、ヒマワリの種に似た黒い丸薬のような物体がたくさん詰まっている。漏れ香る甘いミントの様な匂いが鼻に届いて口いっぱいに唾が広がると、本能に近い部分が警告を上げて思わずケースから顔を離す。


「普通の奴なら一生に一粒以下ってとこだが……セイ、世の中ってのはそんなに都合良かぁできてねえんだ。あくまでその薬はイカレきった裏技なのよ。もしそいつを使うんなら、お前さんが真っ当に戻れるのは『いつか』の話になるってことは覚えておけ」


 胸の奥が、冷たく高鳴る。


「どうした? びびっちまったか?」


 意識の内側に響くような低い局長の声に、僕は黙って首を振る。


「はっ、なあ、セイよ。何にせよ、お前さんはもう外側じゃあ生きられないんだ。わかってるだろ? お前さんがいくら言い訳しても『魔法使い』っていう『異常者』の烙印を押された以上、人間のルールはお前を受け入れるわけにはいかねえのよ。わかるよな、そうだろ? だはっ! 遠慮すんな、知ってるぞ、報告によりゃあお前さんの住んでた家は落書きとゴミで一杯だったらしいじゃねえか。人間の反応なんてそんなもんだ。『奇跡の生還者』がファージを呼ぶ『魔法使い』で、おまけにそいつは闘いもしねえで乗客全員見殺しにしたって言うんだからな。とんだ『ペテン師』じゃねえか、なあ。雑誌にゃ写真も載ってたんだって? 仲良くクラスで撮った写真らしいじゃねえか。いやあっはっは、有名人はつらいねえ。だはは、悪い悪い。まあ、落ち着け、セイ。世の中そんなもんなんだよ。本土出の奴らはその辺をしっかり理解してる。どうあがいたって魔法使いってのはこの島でやってくしかねえのさ。わかるだろ? お前には人間なんざのために命をかける義理も、理由も、その上ファージと戦えるだけの力も無い。だからさ、なあ、セイちゃんよ。冷静に見りゃ、本来お前は黙って隅っこで小っちゃくなってるべきなのよ。それでオーケー、誰も文句なんか言わねえよ。この島じゃあ大概の奴がそうしてるんだからな。藤崎マドカ様様だ。それが現実。いくら魔法使いお前らが常識を超えていようとも、現実っつう壁には触れられもしねえってわけさ」


 そこで言葉を切った局長が、口元をニヤつかせたまま、じいっと僕の目を覗き込む。


「……と、そこでこいつが開発されましたってわけだ。なあに、俺達科学者だって馬鹿じゃなかったってわけよ。こいつはテキメンに現実をぶっ壊してくれる、そういうお薬なのさ。まあ、ぶっ壊れちまうのが現実だけじゃ無かったもんで、いくらなんでもこいつを藤崎や有沢に飲ませるわけにゃいかねえんだけどな。ははっ!」


 豪快に笑い、表情は緩みきっているのに、彼の眼は本質的には笑っていなかった。どう言えばどう反応するのか、そうやって自分の言葉まほうの効果を確かめるような、穴のような暗い目だった。


 しばらく、僕と霧島局長は見つめあった。


「でも、つまり、これを飲めば……戦えるんですよね?」


 これを飲めば。これがあれば。僕は。

 それはまるで、僕の中の何かが目覚めるようにして。


「そうそう。ミクロ的にもマクロ的にも短い間だけれどな。お前なら間違い無く効くはずだし、その結果ぶっ壊れちまったとしても、問題は小さい。全体から見たら無視できるレベルにな。なあに、どっちにしろお前は藤崎じゃねえんだ。俺達の命なんて、そんなもんさ。どうせ散るなら燃やしてなんぼって話よ」


 ぎらぎらした彼の瞳に、僕は頷く。

 どんな手を使っても、藤崎マドカは死なせない。

 それがどんなに卑怯な手でも。


「ありがとうございます」


 下げた頭の向こう側で、見透かした様な笑い声。


「だはっ! わかったか、セイ。この島じゃあ科学者だってちゃーんとイカレてんだ」


 決め台詞を言ったヒーローみたいに、親指を立てた局長はウインクしながら豪快に笑った。


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