第24話 上田慎之助

「――いやはやすまない。君は悪くないとは知りつつも、場がざわついていたのでやむをえなかった。許して欲しい」


 茶色いテーブルの向こう側に、白髪混じりの短髪に日焼けした肌の男。言葉とは裏腹に優雅に紅茶を口元に運ぶ彼に、申し訳なさそうな様子など一つもない。

 さすがは百戦錬磨の上田隊隊長だ。同じ隊長でも、どっかの軽薄な金髪とは威厳が違う。


「ん? どうした? 打ちどころでも悪かったかな?」

「あ、いえ……おかげさまで大分良くなりました」


『おかげさまで』というのが適切かどうかは脇に置いておくとして、どうやら僕は五分ほど気を失っていたらしい。気がついたときにはこのレストランの椅子の上だったのだ。


「ところで君は、今宮隊の小田島……セイだったな。確か、一度挨拶をしてくれた」

「はい、合同演習のときに」


 かちゃりとカップを皿に置いた上田隊長は、何かを思い出すように静かに目を閉じた。

 そのカップの置き方一つとってみても、大きな筋肉で固められた巨体と日焼けした肌から受ける豪傑の印象とは違う、内面の繊細さと生真面目さが伝わってくる。

 どこかのお飾り隊長に見習って欲しいほどの威厳。


 そうして彼はごつい両手を体の正面で重ね合わせ、肩の力を抜くと――


「……ぐう」


 寝ていた。


「え? あの……上田さん? 上田さん?」


「……ん? ああ、すまない。少し考え事をしていたもので」

「寝てましたよね?」

「こらこら、私を老人扱いしないでほしいな。いくら朝が早かろうと神に誓ってそれはないよ」

「一瞬いびきが聞こえましたけど?」

「はは、思わずぐうの音が出てしまっただけだろう」

「寝てましたよね?」

「断じて」

「どんな夢を見てたんですか?」

「ソフトクリームを食べていたな」

「やっぱ寝てんじゃねえか!」


 階級を超えた突っ込みだ。敬語抜きで参ろうか。


「はは、君はなかなか面白いね。いい突っ込みだ。久しぶりに本土の風を浴びた気分だよ」

「お褒めに預かり光栄です。……ええと、久しぶりってことは、上田さんも本土のご出身なんですか?」

「ああ、もう40年近くも前の話になる」


 隊長は、こきりと首を鳴らした。


「あの頃はまだ、本土のほうにも時たまファージの被害が出る時代でね。自分の力を持て余していた私の様な若者には、この島へ来ることは一種の憧れの様なモノだった。今ではもう人間は変わってしまったそうだが、当時、フロンティアへと旅立つ若者は多くの人に見送られるような、そういう空気に包まれていてね。若気の至りか、自分の力で世界を守ってやろうとさえ考えていたよ」


「……そうなんですか」


 目を細め、再び紅茶に口をつけた上田隊長は穏やかに笑った。


「だが、ここへ来てからは無力感の連続だった。たくさんの仲間と、部下が死んだ。私自身の至らなさや思い上がった行動が原因で全てを失った同僚も幾人もいたよ」


 何と言ったらいいのかわからなくて俯いた僕の頭に、上田さんの優しくて強い声が響く。


「失礼だが、今の君は同じ様な心境だと推察するよ。何をどうしたらいいのかもわからず、自分自身に唯苛立って。逃げ出してしまおうかと考えては、行く当てもないことに気づいて立ち止る……180人だったかな、君が助けられなかった人数は?」


「え?」


 真っ直ぐに、いたく真っ直ぐにベテランの軍人が僕を見ていた。


「例の墜落事故の死亡者だよ。知らないわけじゃあるまい?」


 知らないわけがない。知らないわけがないじゃないか。でも、だけど――


「覚えておくといい、もし守りたい物があるのなら、絶対に手を離してはならんのだ。一度落としてしまえば、大切なものほど脆いのだからね。そして、君の足元で砕けた物には君が責任を負うべきなんだ。例えそれが誰かに投げつけられたものであっても、君にはそれを拾うことが出来たはずなのだから。その力が、あるのだから」


 そして、苦笑交じりに『古い魔法使いの考えだがね』と彼は続けた。


「そうやって、私はここまで生き延びた。ただ足元にある生活を守るために、目の前の牙を避け、爪を弾き、ありったけの弾丸を撃ち込む。かつて戦場があの白い舞台だった時代から、そうやって互いに互いの大切な物を守り合って生きてきたんだ。君も知っているだろう? ファージというのは、どうしようもなく恐ろしく、死というものはあまりにも突然で、それだけで十分脅威なのだ。だから私はあの忌々しい警報が鳴るたびに肝が冷える思いをしたよ。なんとか活性期を乗り切って、魔海が閉じたときには身体中から力が抜けた。今日を守り切ったと言う甘美な喜びと、明日をまた生きていくのだという実感に気が狂う程に震えたものだ。はは。随分と古い話に聞こえるかもしれないけれど、ホンの三年ほど前の話だよ。特殊部隊が編成されて、前線が遥か彼方へ飛んで行ってしまう前のね」


 彼は、飲みかけの紅茶にミルクの粒を一つ落とす。


「藤崎マドカは、素晴らしい戦士だ。圧倒的と言ってもいい程の魔力があの小さな体に詰まっている。だがね、それによってこの島は緩んだ。余裕ができたのだよ。いまや、飛び抜けた力を持つ彼女達の部隊によってほとんどのファージが海上で駆逐される時代だ。時代が変われば、人は変わる。この三年ほどの間に、余裕を持った連中は随分と頭のネジを緩めてしまった。己が奴らに食われる餌である事を忘れ、安全な場所で口先だけが実に良く動く。あげく『何もしない』ことの言い訳に、『何もできない』と言いだす始末だ」


 くるりくるりとカップの中にスプーンを泳がせながら、歴戦の兵は眉の一つも動かすことなく淡淡と告げた。


「……さっきの、あの酔っ払いみたいにですか」


「ん? ああ、そうだな。あれもそうだ。生まれもあってか、野心の強い男でね。身のこなしが軽く非常に優秀な戦士だったんだが、残念ながらそれだけだ。藤崎マドカを中心に据えた今となっては使いようがない。ところが軍を首になっても、ファージを殺すことしか知らない様な男だから、仕事を与えてやったところでうまくいかない。高くなった鼻が邪魔をして、まともに他人と向き合えもしない。挙句この時期に巣の中で酒を飲んでいる有様だ。そういう不満や現状の責任を藤崎少尉や上層部になすり付けようとしていたようだが、とんだお門違いだ。全ては本人の実力と怠惰が生んだ堕落でしかないのだよ」


「……厳しいんですね」


「現実とはそういうものだ」


 そう言って上田隊長はニヤリと笑う。


「我々の使命は、藤崎少尉の支援だ。彼女は圧倒的に強いが、人である以上絶対的ではない。特化B型であるあの子には、肉弾戦に脆いという欠点もある。だから、少尉が疲労していれば我々が出る、少尉が上位種を狙うならその他の敵を撃ち払う。万が一にも彼女の身に危険が及べば、進んで自らの肉体を盾にする。それができない者は今の軍には必要がない。確かに古臭い頭の者には厳しい現実だ。たかが16、7の小娘の前に立つ事すら許されず、それどころか我々が彼女より前に立ってしまえば優しい少尉の邪魔になるだけだ。それ程に、何もかもが違うのだよ、藤崎マドカという者は。しかしそれが我々の現実――自分の大切な何かを失いたくなければ、それを彼女に投げ渡し、邪魔をするなということだ」


 かちゃり、と。紅茶のカップが、皿にぶつかる。


「恥ずかしながら、私の様な己が強くあることが全ての古い魔法使いにとって、彼女の存在は劣等感を掻きたてるモノでしかなかったのだよ。だからあれは――『第零ライン』とはもともとそういう意味だったんだ。かつての最前線生き場を奪われた男の、それでも防衛の第一ラインは自分達なのだという下らない矜持と、彼女を守ることすら出来ない無力感が生んだ犬も食わないような腐った言葉が、今では少尉に全てを押しつけるための言い訳になってしまった」


 ふっと自嘲の笑みを浮かべた彼は、テーブルに両手をついて頭を下げた。


「すまない」


 上田慎之介は、そのまましばらく白髪の目立つ頭頂部を僕に向けていた。


「あ、えっと……いや、そういうのは藤崎に直接言ったほうが……」


 ひたすら戸惑う僕に、上田隊長は真っ白な歯を見せて笑う。


「ああ、本来そうするべきなのだろうが、いかんせん私は彼女に避けられていてね。どうやら訓練生時代に厳しく接したことを根に持っているらしい。おまけにくだらないあだ名を付けられたとあってはな。今更謝られた所であの子は困るだろうし……うむ。どうしたらいいものか」


 年頃の娘を持った父親の様な顔で頭を撫でて『少し喋りすぎた』と照れくさそうに笑った上田慎之介はそろそろいこうかと席を立つ。その広い背中に、僕も立ち上がりながら声をかけた。


「でも、多分藤崎は上田さんを嫌ってるわけじゃないと思います。今朝あいつに『守るものがあるのなら手を離すな』って説教されましたから」


 すると上田隊長は驚いたように目を広げて。


「――そうか。さすがは私の愛弟子だ」


 嬉しそうに笑いだした。



 時刻は十二時を過ぎていた。

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